第2話 死体のない葬儀に男二人

 桜の花びらは散り落ちた。今の桜の木には若々しい青葉が実り始めていて、次の季節の準備をしている。落ちた花弁は地面に混ざり、美しい薄ピンクの色は濁りを帯びている。その上を、俺みたいな汚い人間が立ち尽くしていた。

「ふぅ。」

 そんな桜の木々の間を煙草の煙が通り抜けていく。けむりは葉を超えて上昇し、青い空の中へとに溶け込んでいく。今日の俺も、いつもと変わらないくたびれたスーツを着ているのだが、今日だけはその意味が違った。喪服だ。今日の俺は、突発的な葬儀に参加しに来ていた。

 死んだのは高校時代の友人。型乃坂かたのさか 瑛己えいき

 大人になった今でも交流のある数少ない友人の一人だった。やつは昔から正義感に溢れていて、リーダーシップもあっていつも俺達のことを引っ張ってくれていた。俺にとって奴は光で、絶対に沈むことのない太陽だった。でも、そんな太陽もあっけなく沈んだ。美しい過去の思い出は、こんな形で大人になることを強いて来る。


 葬儀に参列した他の連中に、俺のような奴は多いだろう。あの男に救われた者、あの男を指針に前を向けた者は多い。だからこそ、奴の葬式は俺には少し華やかに見えた。大勢の人間に感謝されて逝くのは、とても瑛己えいきらしい最後だ。


 殉職。だそうだ。警察として。市民を守る為に仕事をした結果“デモ悪魔”に殺されたらしい。警察は奴の遺体を回収することも出来なかったそうだ。だから、この葬儀に死体はない。ただ形だけのお別れ会。それでも、悲しいものはある。

 悲しいなんて思えるのも、あいつと出会ったおかげだ。それまでの俺は感情というものをなくしていた。

 俺が最後に瑛己の顔を見たのはいつだったかな。


「こんなところに居たか。咲夜さくや。」

 桜木に寄りかかりながら思いふけていると、どこからかその男は現れた。

 海實かいざね 甲太朗こうたろう。俺の高校時代からの友人だ。今は警視になっていて、俺達の中で一番瑛己の死の事情に近しい人間だ。瑛己が何の事件を追ってどうしてこうなったのか。きっとテレビや新聞の報道では出て来ないような具体的な情報まで掴んでいることだろう。

 俺の予想では、こいつは今頃躍起になって瑛己を殺した犯人の捜索をしているものだと思っていた。全国放送で大々的に発表された犯人について、警察はまだ逮捕に至ってはいないようだったからだ。

 こんな時代だ。全国指名手配なんて出ればまず間違いなく情報が出て来て逮捕が出来る。そう俺は思っていたんだけどな。まあ、少子化の時代だ。ある意味昔より人の目は少ないのかもしれない。


「なんだ。俺なんかを探していたのか?いいのかよ。仕事の方は。」

 甲太朗も喫煙者だ。俺は構わず煙草を吸いながら話しかける。

「今日は特例だ。上にもきちんと連絡はしてある。親友の死だ。流石に今日くらいは許される。」

 言いながら、奴もまた桜の木に寄りかかりながら煙草に火を付ける。

「そうかい。それは良かったな。」

 そこから俺達は、少しだけ静かな時間を過ごした。どちらから話しをするまでもなく、ただ煙草を吸うだけの時間。後になって考えてみれば、あれは俺達が旧友として、学生の頃の自分達に立ち直って瑛己を想う最後の時間だったのかもしれない。四人で過ごすような日々は既に終わりを告げているのだから。

 なんとなく、近くに瑛己も一緒に居てくれているような気がした。


「なあ、お前はこの事件。どう思う。」

 そんな時間を終わらせたのは甲太朗の方からだった。“この事件”とは瑛己が殉職した事件のことだろうか。俺にそんなことを聞いたってどうしようもないだろと思う。

「どう思うも何も、ただ悲しいと思うだけだよ。」

「本当にそうか?憎いとか。犯人に復讐してやりたいとかいう思いはないのか。」

 じっと甲太朗がこちらに視線を送る。こいつにしてはいつになく感情的だ。それだけ“親友”の死は痛いものなのだろう。

 俺は視線を逃しながら正直に思ったことを口にする。

「そんなことを思ったところで、どうなるってんだよ。お前らと違って、俺は警察でもないんだ。誰かを裁いたりする権利なんざ持ち合わせていない。」

 私怨めいたことを考えるだけ無駄だった。被害者側からの復讐は許されていない。どんなに相手を殺したくても、我慢して他人の下す判決に加害者への処遇を任せることしか出来ない。それが現実というものなのだ。

「ただ事実を受け止めて、やつの死を受け止めるくらいしか許されてはいないんだよ。」

「天国にいるあいつの為にだとか、そういったことも思わないのか?」

「―?死んだ奴の為に何かをしたところで、何も得るものはないだろ。だってそいつはもう死んでるんだから、感謝も返せない。幸せや喜びを感じてくれることももうないんだよ。」

「だから、やるだけ無駄だと言いたいのか。」

「ああ。故人の為に人を傷つける奴の方が危ない奴だろ。」

「……。やっぱりそうか。」

 甲太朗が呟いたその言葉に皮肉めいた何かを感じて、俺は眉をひしょげた。

「どういう意味だよ、それ。」

「いや。出会った頃のお前を思い出してな。あの時ほどではないが、少し人間味を失っているように見える。」

 ……。どういう意味だよ。それ。

「なんで俺は、親友の葬式日にそんなこと言われないといけないんだかね。」

「俺は。お前は変わったと思っていた。それこそ、瑛己あいつの死を悼んで復讐に躍起になるくらいにはな。」

 面白いことを言う。そんな意味のないことをやって何になると言ってやりたかったが、俺はぐっと言葉を呑み込んだ。こいつからしか見えない“俺”の姿が気になったからだ。

「お前は、昔のお前に戻るのか。」

「そこまで薄情に見えるかねぇ。周りを見て見ろ、ここにいる全員が仇討ちを望んでいるように見えるのか。」

「……。見えないな。わるい、俺が少し敏感になり過ぎていたようだ。」

「だろ?」

「だが、そう簡単に割り切れない人間もいる。修司が今そうしているようにな。」

 ここにいないもう一人の親友。修司だけが、今も真剣に犯人を追い掛けている。長い付き合いからか、その姿は容易に想像出来た。

「……。なるほどな。確かに、そういう思いもあるのかもな。」

「だろう。大切な人を殺されて、誰もが冷静でいられる訳ではないんだよ。」

 そんなことを言いながら、甲太朗は少し後ろ手で後頭部を掻いた。

「ストレスを溜めすぎたか。俺も少し感情的になっていたようだ。咲夜、お前が正しい。感情に任せることがいいことだとは限らないな。」

 落ち着いたのか、強ばっていた甲太朗の肩が少しだけ緩む。

「そんなにストレスが溜まってんなら、偶にはウチの店に寄るといい。友達として、相談には乗るぞ。」

「ああ。そうだな。今度からは頼るかもしれない。」

 最近多発している“デモ悪魔”に関する事件に警察として振り回され、甲太朗は疲れているのかもしれない。そこに親友の死も重なっている。心が不安定になりかけていてもおかしくはなかった。


 そう納得する俺の顔を見て、甲太朗は軽く俯いた。

「俺はな、お前が静かな時ほど心配になる。」

「……。」

「あの時の。俺達と敵対していた頃のお前が戻って来たんじゃないかと思ってな。」

「若気の至りだよ。当時の俺はもういない。瑛己やお前らがそう変えてくれただろ?」

「だが、お前にとっての良心だった瑛己はもういない。」

「……。なるほどな。それで“心配”か。」

「お前は瑛己や修司とは違って分かりづらいからな。俺達の知らないところで、勝手に行動していてもおかしくはない。」

「大丈夫だよ。面倒事に巻き込まれるのにはもうウンザリしている。お前らと違って人命救助的な仕事を選んだ訳でもないしな。わざわざ自分から面倒事に首を突っ込むかよ。」

 煙草を吹かしながらそう言うが、甲太朗は静かに俺の表情を観察していた。


「……。嘘だな。」

 甲太朗は携帯灰皿を取り出して煙草の火を消しながらそう呟いた。


「いや待て。どうしてそうなる。」

「昔よく、その手口にやられたからな。」

「……。」

 過去を懐かしんだ甲太朗に、俺はぐぅの音も出なかった。

「安心しろ。別に止めたりはしない。ただ友達として、警告だけはさせておいてくれ。」

 俺はそれに対して、何も返さなかった。何かを返したところで意味がないと諦めていた。過去の自分は否定出来ない。

 もう充分感傷には浸れたのか、甲太朗は体重を預けていた桜の木から背中を離す。

「もういいのか?」

「ああ。そろそろ仕事に戻る。この町を、守らないといけないからな。」

 そういうと奴は、最後に一言だけ残して立ち去っていった。

 際に一言。

「死ぬなよ。親友ヒーロー。」と。


 甲太朗の背中が遠くなっていく。地面に落ちた花弁は、決して終わりだけを示している訳ではない。風が吹き、地面の花弁が少しだけなびいた。


 消える過去の色彩に、死んだ友への友愛の色が混じった。

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