政務官を目指す侯爵令嬢、登城したら王太子の婚約者になりました
千山芽佳
第一章
第1話 プロローグ
「ぜったいおかしいわ。政務官を目指す私がなんで王子妃候補になってるの?」
エルドラント侯爵家の令嬢であるリディアナは、フェルデリファ王国の王城にある食堂でぶつぶつと文句を垂れていた。
王城勤めの官僚が利用する食堂に、侯爵令嬢という異質な人物が混ざっているのだが、政務官達は慣れた様子で時折相槌を打ちながら食事を続けていた。
「リディアナ様、こんな所にいらしたのですか」
第一王子ルイスの侍従であるネッドが、息を切らして食堂に入って来た。
「お迎えに上がりました。離宮へ戻りましょう」
「……はい」
しずしずと立ち上がり食堂を後にするリディアナ。重い足取りで溜息を零した。
「家に帰りたい……」
リディアナの嘆きにリジンが答える。
「正式な婚約者が決定するまで、候補者は帰ることも王城を出ることも叶いません」
知っている。
今ここ王城では、国内外から貴族の子女が集められ、令嬢教育という名の王子妃選びが行われていた。
自由奔放な性格の型破りな令嬢リディアナも、侯爵令嬢として例に漏れず婚約者候補に名を連ねた。本人の意思と適性は関係なく。
「戻ったかおてんば娘」
「きゃっ!」
離宮に繋がる渡り廊下の角を曲がると、この国の王太子であるルイス=フォン=フェルデリファが腕組みをして待ち構えていた。
驚いて悲鳴を上げてしまったリディアナは口を抑えるが、すぐに姿勢を正して不敬を誤魔化すように淑女の礼をとった。
「殿下にご挨拶申し上げます」
「敬称ではなく名で呼べ」
「……ルイス様」
「ああ」
ルイスは満足そうに目を細めて笑みを浮かべていた。
「ソレスの見舞いの帰りに部屋へ寄っが不在だった。まったく、一体君はまたどこにいたのだ」
「図書庫におりました」
「食堂にいました」
誤魔化そうとしたリディアナに勘づいたルイスが、ネッドに目配せをした。お陰で間髪入れずに訂正されてしまった。
「図書庫に行ったのも本当です。その帰りに少ーし食堂に寄っただけで……」
「政務官の邪魔をするな」
「見知った仲ですし業務の邪魔はしていません」
「……そんなに親しいのか?」
「はい?」
「政務官の気が散るので婚約者候補の食堂の立ち入りを禁じることにする。候補者といっても君しか立ち入ってはいないが……」
「そんなーー」
リディアナはルイスの強引な姿勢に反抗した。
「ルイス様だってネッドさんの業務を妨害しているじゃないですか」
「はあ? ネッドは私の従者だ。私を補佐するのが仕事だ」
「でも私を探すのは業務外ですよね」
「君が大人しく部屋にいないから、私に代わって探しに行ったのだ」
「私に何の御用だったのですか? また特に用もなく会いに来られたのでしょう? 用もないのに探させるのは本来のネッドさんの仕事の邪魔だと思いますがー」
「この、屁理屈を――。そもそも君が大人しく部屋にいればいいだけの話で、王城内を歩き回って騒ぎを起こすから私が心配して様子を見に来るのではないか」
「ではこの際に騒動ばかり起こす候補者を除外しまー?」
「――っしない!」
「むぅー!」
どさくさに紛れて除籍を求めたが却下されてしまった。
リディアナの理論が破綻しているのも、可愛くないのも、王族に失礼な物言いも理解していた。全ては婚約者候補から外れるため。それなのにルイスは不敬には目を瞑り、一向にリディアナを手放そうとしないのだ。
「政務官を目指す私を応援してくだるのは感謝しますが、婚約者候補なんて回りくどい役を与えず採用してくださればいいのに」
「女性の登用は過去に例がない。実績のない君を政務官にしたところで貴族の反発を受けて揉み消されるだけだ。一度覆されたら数十年は議論にすら上がらないぞ。だから慎重にと時期尚早だと、そう何度も説明しているではないか」
「……」
「君は、結婚する気が無いのか?」
「けっ、こ……ん?」
「初めて聞く言葉みたいに返すな」
「ないですね。というか、変わり者と言われる私を好む殿方を見たことがありません」
「……私は、君を特別気にかけている」
「ありがとうございます。ご期待に沿えるよう政務官として生涯国のために尽くす所存です」
「リディアナ」
熱のこもった声で名前を呼ばれて、居心地が悪く目を逸らした。
ルイスとのやり取りは好きだが、時々変な空気になるのに困っていた。話は終わったと言わんばかりに礼をとり踵を返した。
背後でもう一度名前を呼ばれたが聞こえない振りをした。
振り返るとルイス付きの護衛がリディアナを送り届けるよう命じられたのか付いてきていた。
深窓の令嬢みたいな扱いには慣れていないのでむず痒い。
ルイスと話していると不整脈の様に心臓のリズムが一定ではなくなる。左胸に手を添え、浮つく心を押さえて気付かぬ振りをした。
知りたくない。知らなくていい。
私は政務官になるのだから――。
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