Push to Talk

Phantom Cat

ハードワイヤードの呪縛

 最近竹内桜「ぼくのマリー」全10巻を一気買いして一気読みしてしまった。この作品はロボ娘ものとしては既に古典の範疇に入るものになっているが、どちらかというと主人公の凄まじい処女厨っぷりがフィーチャーされている感がある。それを示す典型的エピソードの一つとして、作中に「純潔回路」なるワードが登場してしまうのだ。


 「純潔回路」はヒロイン(?)の女性アンドロイドの「マリー」に、その生みの親である主人公が実装したものなのだが、ここではその具体的な内容については触れないでおく。が……まあネーミングから類推できるものとさほど変わらないと思っていいだろう。

 確かに今の時代じゃコンプラ的にヤバげではあるが、30年前の作品なんだからしょうがないとも言える。いや、実は問題はそちらではない。僕は純潔「回路」というところに引っかかったのだ。

 「回路」……だって? ハードワイヤードでロジックを実装するなんて……アナクロに過ぎないか?


 いやまあ30年も前ならそんなもんじゃない?……と思われる若い方もおられるかもしれないが、断じて違う!


 そりゃ確かに70年代ならそんなもんだった。キカイダーの「良心回路」しかり、ハカイダーの「悪魔回路」しかり。あの伝説の「石津版宇宙戦艦ヤマト」にも、「自律判断回路」「自己修復回路」なんて言葉が登場する(ちなみに、ネタバレになるがこれらの回路を備えているのはなんと「イスカンダルのスターシャ」である)。


 さらに思い起こせば、映画「2001年宇宙の旅」のクライマックス、ハルVSボーマンの対決シーンもそうだった。あの時、ボーマンはモジュールを一つ一つ抜いていったのだ。まさしく7400シリーズあたりの TTL IC 並べてロジック組んでた時代の発想である。ちなみにクラークの小説版ではボーマンが引っこ抜いた大量のモジュールが無重量空間に漂う描写がある。まさにTTL ICをソケットから抜いて放り出す感覚だよなあ……


 もちろんこれもまだ60年代だから許せると言えなくもない。だけど実際は既にその時代にだって IBM S/360 とか DEC PDP シリーズといったプログラマブルなコンピュータはいくらでも存在していた。そして、コンピュータが実行するタスクの大部分がハードウェアではなくソフトウェアによるものであることは、時が経つにつれ常識になっていった。だからこそ、80年代にその対決を丸パクリしたボトムズの最終回を見たときの僕は、心底がっくりしたものだ。今時それをやるのかよ、みたいな……


 話を戻そう。何度も言うけど、「ぼくのマリー」が連載されていたのはたった30年前なのだ。30年前といえば90年代。初代プレステが覇権を握り、パソコンもビジネスシーンを中心に普及の一途を辿っていた。この作品にだって「インターネット」って言葉が登場する。そんな時代にロジックをハードワイヤードで実装するなんて……


 とは言え未だに「思考回路」なんて言葉が普通に使われているし、どうやら「ハードワイヤードの呪縛」は思った以上に日本人に浸透してしまっているらしい。まあでも脳細胞のシナプスはある意味ハードワイヤードと言えなくもないので、「脳の思考回路」であれば科学的に正しい表現ではある。だけど……たぶん「思考回路」の意味するところをより正確に表す言葉は、「アルゴリズム」であろう。


 アルゴリズムは端的に言えば「問題の解き方」だ。特に数学はいろんな解き方がある問題が多い。その解き方は全て「アルゴリズム」と言える。プログラミングを行うにあたっては、まず「アルゴリズム」を考えるのが基本である。「思考回路」という言葉は大抵「こうなったらこうする」といったロジックを意味しているわけで、これはまさしく「アルゴリズム」に他ならない。


 今や小学校でもプログラミング教育が始まっており、「アルゴリズム」についても学ぶようだ。小学校でプログラミング教育を受けた世代が成人するような時代になってはじめて、日本人は「ハードワイヤードの呪縛」から解き放たれるのかもしれない。


 ……と、ここまで書いておいて気づいたのだが……良く見たら「ぼくのマリー」にこんな言及があった。主人公によれば……


「純潔回路はプログラムの一つで、OSに書き込まれているもの」


らしい。


 ……。


 それってライブラリとかミドルウェア的なものじゃないの? だったら「回路」じゃなくない?


 一応SF考証してみよう。マリーのCPUが人間の脳を模したハードワイヤードなニューラルネットワークだったのならば辻褄は合う……が……だったら「OS」も「基本回路」とか書かないと整合性がとれないよなぁ……


 とりあえず、今はもうロボットがロジックとして「○○回路」を備えている、みたいな描写はさすがにほとんど見なくなった。ちょうど「ぼくのマリー」の時期は、その過渡期だったと言えるのかもしれない。この取って付けたような「純潔回路」の説明は、それを如実に表しているのではないだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Push to Talk Phantom Cat @pxl12160

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ