三条つばめ警部補のお別れ「おんなどうし」
高柳 総一郎
犯行編
お気に入りのシャーペンを、右から順に消しゴム、マーカー、シャーペンの芯、修正テープの順に並べていく。
これまたお気に入りのノートを広げて、所定の位置に。
生徒会室はすっかり、白島莉乃の空間になった。決まった手順で、決まったものを、決まったように並べると、空気が違ってくる。
自分の空間になると、自分だけが好きにできるように思えて良い。まるで支配者になったようだ──元町女子学院。学校の一室である生徒会室の、生徒会長用の机。二年生になったばかりで生徒会長に当選してからは、生徒会の仕事を終えてからここで少しばかり小説執筆をするのが日課になっていた。
プロットを練るのは楽しい。登場人物達を操る自分は、まるでマエストロだ。一方で小説はトレーニングのようなストイックさが必要だな、と感じている。毎日の練習が物語を作るのだ。
日課はいい。決まった習慣を作る。まっすぐの線を定規で引くような美しさがあると思う。
「会長、今いい?」
ノートへ新しい展開を書き始めようとしたその瞬間に、莉乃は呼び止められた。ペンをゆっくりとノートに置いて顔を上げると、友人の黒田夕陽の姿があった。野暮ったい眼鏡に、毛先の回った肩まである髪は、眼鏡まで覆い隠している。
「……夕ちゃん、どうしたの?」
「やだなあ、会長。今日、図書室の広報のアイデア考えてくれるって、約束したじゃない」
そういうと、夕陽はつかつかこちらに近づいて、クリアファイルに挟まっていた資料を机の上に広げた。ノートが隠れて、一人だけの空間は彼女に侵食され、莉乃は思わず眉根を寄せる。
しかし払い除けたりはしないし、特に異議を述べたりもしない。
友人は大切だ。別に彼女に悪気があるとも考えていない。何より今日は決行日──だからこそ、何も言わなかった。
「ええ、そうだったわね」
「この資料が、会長のアドバイスを受けて探してきた今年のおすすめ図書なの。『夕陽の好きな作家のほうがいい』って言ってもらったから、絞るのが大変で」
莉乃と夕陽は文芸部に所属している。一年の時、図書委員だった二人で立ち上げた部だ。元々この学校には文芸部というものはなく、二人が二年生になっても後輩は入らなかった。卒業すれば部も消えるだろう。それでいい。何事も失われていくことに意味がある。ページをめくれば、物語が終わっていくように。流れというものはどんな物語にも存在する。
物語に流れがあるように、人生にも流れというものがある。莉乃はそれに早い段階から気づいていた。流れに沿う生き方はラクだし、逆は辛い。そして中には、流れをコントロールできる人間が存在する。
それが私だ。
「なかなか良いじゃない。やっぱりあなたのチョイスは最高ね」
資料に一通り目を通して、形ばかりの労いをのべる。
「ありがと、会長」
「私、ここを片付けていくから、ブラッシュアップは図書室でやりましょう? 先に行っててもらえない?」
夕陽は控えめな──それでいて心底嬉しそうな笑みを浮かべて、走り去っていった。彼女の背中を見送って、莉乃の心に冷風が吹き込まれ、かいてもない汗が引く音がした。
準備をしなくてはならない。まずは深呼吸。冷静に努めるのが肝要だ。
図書室は生徒会室の真下の階にある。仕掛けは上々。生徒会長の仕事は、リハーサルの時間をいくらでも生み出してくれた。弓をつがうように、仕掛けを引っ張り、窓枠にひっかけた細いワイヤーを、手袋に巻き付けて構えた。
大丈夫。必ず成功する。手順は完璧だ。決めたとおりに、決めたことを順序通りにやる。何も難しいことはないし、そうできたら嬉しいものだ。
莉乃はスマホを取り出した。
「夕陽?」
『会長、どしたの? 電話なんて掛けてきてどこにいるの?』
「まだ生徒会室。それより、困ったことがあって。手袋を窓から落としちゃったのよ。悪いんだけど、うまく見えなくて。覗き込んでもらえない?」
ガラガラ、と窓を開く音がスピーカー越しに響く。図書室は三階。距離は十分なはずだ。
人差し指。中指、薬指。決まった順を、決まったとおりに。そうすれば、世の中はきちんと回り、空気も違ってくる。ワイヤーを思い切り引いた。
砂袋が落ちたような音が鳴り響いたのと同時に、莉乃は窓枠から伸びたワイヤーを引っ張り回収しながら、スピーカーフォンに向かって呼びかけた。
「なんの音? 夕陽?」
夕陽には意味のない呼びかけだった。しかし自分にとってはこれが生命線になるだろう。
下を覗き込むまでもなく、夕陽は死んでいるだろう。莉乃は携帯の通話を切り、下へ向かった。
黒田夕陽は地面の染みとなって、赤黒い血溜まりの中に沈んだまま、動かなくなっていた。
目論見は達した。
莉乃は血の跡を避けて、校舎の壁際──プランターの後ろにそっと自身の手袋を置いてから、思い切り叫び──もはや動くことのない、そう仕向けた親友へと殺到して、彼女の身体を揺らした。
彼女がなぜ殺されたのかを説明することは誰にもできないだろう。傍目から見れば事故──あとは警察も同じ結論に達するように仕向けるだけだ。
黒田夕陽は三階から転落死して、私はその遺体を見て深く傷ついた。何なら、彼女が死んだ原因こそが自分なのかもしれないと、罪悪感に苛まれるのだ。
物語はそれでおわりだ。『それ以上』の事実が展開されることはない。白島莉乃が彼女を殺した証拠は、現状何も無いのだから。
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