魂を吹く
如月ちょこ
魂を吹き込まれるはモノだけではなく
ふと、今より高みへ行ってみたいと思った。
理由なんてなかった。
そもそも理由がいるのか疑った。
昔から、突発的に行動をするのが好きだったから。
そもそも、今の人生に希望が持てなかった。
人付き合いも、仕事も苦手。モノづくりが仕事であるのに、手先が不器用。
友達も出来ずに、ただ同じ日々を魂が抜けたようにコピーして過ごすだけ。
周囲から除け者にされていることにも気づいていた。
だからこそ、ただ頭の中に流れてきた欲求のままに動いてみた。
理性なんて、働かなかった。
このことが、より人生を沼に誘うことになるのはわかっていたが、止められない。
気づけば、勤めていた工房をやめていた。
仕事が苦手だというのに、より仕事で高みへ向かうことを目指して。
◇◇◇
そこは、山奥の古びた工房だった。
建物の周りには蔦が生えていて、入口の道には、人が通っていると思われる以外の場所には雑草が生えていた。
ボロい。あまりにも。そう思いながら中に入ると、初老の男がいた。
身だしなみを全く整えていなかった。
人と接しているのかすら、よく分からなかった。
山奥に引きこもっているんだから、まともな人間ではないだろうと、最初にこの工房を見つけて働かせて欲しいと志願した時には思った。
しかし、あっさりと就労の許可が出たことには拍子抜けした。
雇用主に対して嘲笑の感情を抱くのはよくないが、その理性をも打ち砕くほどに、その男――――与兵衛は変人であった。
「お前を一年で本物にしてやる!」
入門初日、俺を指差しこう宣言された。
内心、何を言っているんだこいつはと思い必死に笑いを堪えていた。
「は、はぁ……?」
「だからまずは作れ! 自分の感性に従え!」
思っていたよりも何倍も熱い男だな、と思っている間に材料……のようなものが投げ渡された。
「これは?」
「木だ。これを、お前なりに解釈して加工してみるんだ」
は? ただの木じゃないか。こんなものに解釈を載せて、自分の思うように加工する?
……できないだろ。
けど、できないと思っても刃向かうことは出来ない。
まだまだ若造、それも入門初日だから。
ここで刃向かったら……な。
恐怖で支配されているとは思いたくないし思っていないが、さすがに今日反旗を翻すのは人として間違っている。
それくらいの分別は、ついている。
近くの机――これもやはり古びている――に置いてあった刃物を手に持ち、自分の頭の中に湧き出てくる美しいものに少しでも近づけるため、木を加工する。
他の物が全て古びている中、刃物だけは、柄の部分も、刃の部分も綺麗に保存されていた。
だからなのかはわからないが、刃物を持った瞬間にどこからともなくモチベーションが湧いて。
どんどん木を削って、拙いながらも木がなにかの形になってくる。
熱中していた。
いつしか明るかった外の景色は暗くなっていて、それに呼応して室内まで暗くなっていた。
そして気づく。
この工房、電気がない。
やはり古びた建物であるから仕方ないな、と思いつつも夜に作業はしないのか、とこの工房の行く末が不安になる。
それはそれとして、俺の左手に握られていたただの木は、拙くも、自分が作ったにしては今までの工房で作った時よりも綺麗だと思える桜文様が削られていた。
「おお、できたのか」
「はい、まぁ……」
自信なさげにできた作品を渡す。
受け取った与兵衛さんは、少しの間表面を凝視して、一言。
「筋は悪くないな」
その言葉にほっと息をついたのも束の間、与兵衛さんはすぐさま俺の手から刃物を奪い取る。
そして、俺に渡したものと同じような木を持った。
「手本を、見せてやるよ」
そこからは与兵衛さんの独壇場であった。
彼の眼の色が変わった。
本気の、“職人”の眼。どこから削って、どこにどのような模様をつけて、どのような形で完成させるのか。
その全てを頭をフル回転させて考え、自らの手で形にしていく。
もはやその姿は、身だしなみに気を使わず、入門初日にいきなり俺を指さし宣言してくるような変人ではなかった。
……見惚れてしまっていた。
華麗すぎる手さばきと、与兵衛さんの本気が感じられる表情。
与兵衛さんの近くにだけライトが置かれていて、周囲は真っ暗であることも、より与兵衛さんの技を際立たせている。
そして――――瞬く間に出来上がっていく、俺の作品と同じ桜文様の、何に使うかも分からない小道具には、心を奪われっぱなしであった。
「できたぞ」
与兵衛さんから、お手本が手渡される。
個人的には一瞬で過ぎていった鑑賞の時間であったが、時計を見れば既に5時間が経過していた。ライトがなければ何も見えない夜になっていた。
だから与兵衛さんの近くに行って、出来上がった作品を見る。
……言葉が出ない。全てが違う。
俺がさっき作ったものなんておもちゃですらない――いや、もともと下手だったが――と思うほどだ。
同じ桜文様といっても、俺のものは線がガタガタで、各模様の大きさも全く統一されていない。
しかし、与兵衛さんのものは一直線に、模様と模様の区切りの線が並んでいて、各模様の大きさも同じ。
そしてなにより――――作品が、生きている。
具体的に何が生きているのか、と問われれば答えるのは難しいが、桜が今にも舞ってきそうな神秘さを秘めている。
ただの木端と、芸術作品。
これだけ俺の作品を卑下しても足りない。それくらいの違いがあった。
「……どうだ? 感想あるか?」
「ちょっと……言葉になりません……」
「そうかそうか……それだけ、感動したってことだな?」
「は、はい、もちろんです……。あ、ですが――生きている気が、しました」
矢継ぎ早に質問されて戸惑う。その戸惑いのせいか、本音がポロリと出てしまう。
しかし、その言葉を聞いた瞬間に、与兵衛さんの言葉のスピードが急に遅くなった。
「お前……わかる、のか?」
「……なにがですか?」
質問に質問で返すな、とかよく言われることがある。特にここに来始めて初日だから、良くなかったかもしれない。
けど、反射的にやってしまって。しかし、それを何も気に止めていないような口調でさらに色々言ってくる。
「そうか、直感的なんだな。……ならいいか、今からモノづくりで大切なことを教えよう」
そう言って、与兵衛さんは俺の手からお手本の作品を回収して行って――それをそっと撫で始めた。
「お前はさ、技術が一番大切って思ってるかもしれない。確かにそれも大切だ。けど――なによりも大切なことは、モノに命を宿すこと」
それはどういう――という疑問は、与兵衛さんに目で制された。
「モノには、使う人がいる。使う人のことを考えて、俺たちはモノを作らないといけない。相手は何を求めているのかな、とかな。それを考えていると――自然と、造り手の魂が吹き込まれる。魂を込めると、自然と作った人の想い――命が、宿る」
一気に説明し終えた与兵衛さんは、ほっと息を吐く。熱い言葉で、人の心を動かす才能には長けているのかもしれない。
そしてそんな人の言葉に、久方ぶりに心を動かされた。
「わかったか?」
「……はい、なんとか」
心を動かされたといっても正直、まだあまりよくわかっていない。
モノづくりにそこまで全力を懸けたことがないから。使い手のことも考えたことがないから。
けど、それはまだ知らないだけで。
これからどんどん作品を作って、与兵衛さんから技術や姿勢を盗んで学べばいいんじゃないのかな、と思う。
「ハハッ、そうかそうか。……明日からも頑張れよ、若人」
◇◇◇
「よくここまで昇って来れたな、二代目」
「あなたが、ここまで引き上げてくれたからですよ、師匠」
……二代目、か。俺にとっては、あまりに重い言葉だと思う。
俺たちは今、昔あった蔦はなくなり、中に電気は通り、人が通らないところにも雑草は生えなくなり――されど、最初と全く変わらない工房にいる。
今日は、師匠――与兵衛さんが引退する日。
たった二人だった工房が、たった一人の工房になる日。
モノづくりが下手で、けれども仕事で高みに行きたい。
理由もなくさまよった、その願いだけに突き動かされて心が荒んでいた俺を、拾って育ててくれた方。
魂が抜けたように過ごしていた俺がいきなり転がり込むことを許してくれた方。
「お前の目は、昔と大違いだよなぁ。なんというか、生気が宿った」
「モノづくり、楽しかったですから」
与兵衛さんの目が、すごく暖かい。
その眼差しには、これからここを引き継ぐ俺に対する期待。
そして――与兵衛さん自身が、最高傑作を作り上げられたという感傷に浸っているかのようで。
今思えば、初めは小さな桜文様から始まったモノづくりも、上達とともに高度なものを作るようになっていた。
舞台上に置かれる小道具であったり、美術館に置かれるオブジェクト。
“相手”がいないモノを作ることも増えた。
それでも、モノに魂を吹き込むことは変わらない。
モノに生を宿すことが、なによりも楽しくなっていた。
与兵衛さんに、モノづくりを教えてもらった。
全力を懸けることの素晴らしさを教えてもらった。
絶望的なほどに“高みへ行きたい”と願う俺を導いてくれた。
いつしか、空っぽだった心に色々なものが宿っていた。
これも全部、モノづくりのおかげ。
「そうか……お前はもう、俺がいなくても大丈夫そうだな」
「えぇ、俺は救われましたから――――」
「――――モノづくりに、そして与兵衛さんに魂を吹き込まれた俺はもう無敵です」
魂を吹く 如月ちょこ @tyoko_san_dayo0131
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