[総ルビ]滝川海老郎の短中編集

短編集1

1．コーヒーと猫 -Coffee and Cat- (2800文字)

　俺（おれ）は少（すこ）し前（まえ）から行（い）きつけの喫（きっ）茶（さ）店（てん）がある。コーヒー（coffee）ショップ（shop）『シルフィード（Sylpheed）』だ。

　高校（こうこう）と家（いえ）の途中（とちゅう）から少（すこ）しそれた道（みち）沿（ぞ）いにあり、それなりに客（きゃく）も入（は）いる。

　この暑（あつ）い七月（しちがつ）の気（き）温（おん）では、冷房（れいぼう）の効（き）いた喫（きっ）茶（さ）店（てん）は涼（すず）むのにも最適（さいてき）だった。

　マスター（master）は四（よん）十（じゅう）代（だい）のおじさんだけど渋（しぶ）くてそこもいい。

　高校（こうこう）二（に）年（ねん）普（ふ）通（つう）科（か）三（さん）組（くみ）、山梨（やまなし）、大樹（たいき）。読（よ）み方（かた）はタイキ。

　帰（き）宅（たく）部（ぶ）のため余（よ）裕（ゆう）で放（ほう）課（か）後（ご）に喫（きっ）茶（さ）店（てん）によって、ひとりカウンター（counter）席（せき）に座（すわ）り一杯（いっぱい）のコーヒー（coffee）を頼（たの）み、クラシック（classic）のＢＧＭを聞（き）きながら、エンジョイ（enjoy）していた。

　静（しず）かに、店内（てんない）の雰（ふん）囲（い）気（き）を楽（たの）しみながら、ゆっくりコーヒー（coffee）を味（あじ）わうのが好（す）きだった。

　過去（かこ）形（けい）なのは、今（いま）はちょっと違（ちが）う楽（たの）しみができたからだ。

　俺（おれ）の左（ひだり）隣（どなり）には、俺（おれ）と同（おな）じ高校（こうこう）で隣（となり）のクラス（class）、二（に）組（くみ）の真記（まき）、マキちゃんが座（すわ）っているからだ。

　彼女（かのじょ）は最近（さいきん）、この喫（きっ）茶（さ）店（てん）にふらりと寄（よ）ったらしい。

　そこには俺（おれ）が座（すわ）っていた。男（だん）子（し）の制服（せいふく）はまだ学生（がくせい）服（ふく）で、パッと見（み）では同（おな）じ学校（がっこう）かは分（わ）からない。

　女（じょ）子（し）のセーラー（sailor）服（ふく）は学校（がっこう）によって多（た）少（しょう）なりともデザイン（design）差（さ）があるから、俺（おれ）はすぐに同（おな）じ高校（こうこう）だと分（わ）かった。

　空（あ）いている席（せき）は、一番（いちばん）隅（すみ）の俺（おれ）の左（ひだり）隣（どなり）か、おじさんに挟（はさ）まれて向（む）こう側（がわ）しかなかった。

　彼女（かのじょ）は俺（おれ）の隣（となり）を選（えら）んで腰（こし）かけた。

　座（すわ）ると、俺（おれ）の前側（まえがわ）も見（み）えるので、校（こう）章（しょう）も見（み）える。

「あっ」

「うん、同（おな）じ高校（こうこう）だと思（おも）うよ」

　俺（おれ）はすぐに返（へん）事（じ）をした。クラス（class）章（しょう）もつけているので、どのクラス（class）かも分（わ）かる。

　お互（たが）いに自己（じこ）紹（しょう）介（かい）をなんとなくして、そして黙（だま）っているという選択（せんたく）肢（し）もあった。

　俺（おれ）はどちらかといえば、ソロ（solo）だしコミュ（commu-）障（しょう）だし、女（おんな）の子（こ）に免疫（めんえき）がないタイプ（type）だ。

　でも彼女（かのじょ）は、少（すこ）し間（あいだ）が空（あ）いた後（あと）、話（はな）し始（はじ）めた。

「私（わたし）、こういう喫（きっ）茶（さ）店（てん）、あこがれてて」

「ああ」

「それで今（いま）まで来（き）たことなくて勇（ゆう）気（き）を出（だ）して、ひとりだけど今日（きょう）、はじめて来（き）たんです」

「うん、それはよかった」

「はい」

　これで満足（まんぞく）したのか話（はなし）をやめた。

　彼女（かのじょ）はメニュー（menu）を見（み）てブレンド（blend）のホット（hot）コーヒー（coffee）を注（ちゅう）文（もん）する。

　しばらく無（む）言（ごん）で喫（きっ）茶（さ）店（てん）内（ない）をじろじろしない範（はん）囲（い）で眺（なが）めたり、雰（ふん）囲（い）気（き）を楽（たの）しんでいた。

　そしてコーヒー（coffee）が出（で）てきた。

　ミルク（milk）と砂（さ）糖（とう）を入（い）れてかき混（ま）ぜる。

「いただきます」

　彼女（かのじょ）は軽（かる）く口（くち）だけで挨拶（あいさつ）をして、そっと口（くち）を付（つ）けた。

「あっ、美味（おい）しい」

　やさしい声（こえ）で、そう言（い）った。

　俺（おれ）はなんと返（へん）事（じ）をすればいいか分（わ）からないので、とりあえずうなずいておいた。

「大樹（たいき）君（くん）はこの喫（きっ）茶（さ）店（てん）、いつもいるの？」

「ああ、毎日（まいにち）じゃないけど、たまに」

「そうなんだ」

「うん」

「コーヒー（coffee）好（す）きなんだよね？」

「そうだな」

「私（わたし）も好（す）き。コーヒー（coffee）もお店（みせ）の雰（ふん）囲（い）気（き）も、なんだか好（す）き」

「そりゃよかった」

　なんだか何（なに）を話（はな）したらいいか分（わ）からないけど、向（む）こうから話（はな）してくれるから別（べつ）に問題（もんだい）なかった。

　返（へん）事（じ）には困（こま）るけど、相槌（あいづち）なら適当（てきとう）でもいいし。

　ぽつぽつ、適当（てきとう）な話（はなし）をして、そして静（しず）かになる。その繰（く）り返（かえ）し。

　そうしているうちに、喫（きっ）茶（さ）店（てん）の外側（そとがわ）のガラス（glass）の前（まえ）に、ネコがやってきた。

「黒（くろ）ネコちゃんがきたね」

「うん」

「あの子（こ）も常（じょう）連（れん）なのかな」

「ああ、よく見（み）るな、あのガラス（glass）の前（まえ）がお気（き）に入（い）りらしい」

「そうなんだ。お友達（ともだち）なの？」

「いや」

「名（な）前（まえ）は？」

「確（たし）か、ロメオ（Romeo）だったかな」

「ロメオ君（くん）ね、じゃあ男（おとこ）の子（こ）かな」

「そうだと思（おも）うよ」

「ふうん」

　ロメオはガラス（glass）の前（まえ）で背（せ）を丸（まる）めて座（すわ）り、体（からだ）を舐（な）めている。

　足（あし）が上（あ）がっていて肉（にく）球（きゅう）が見（み）えていた。

　黒（くろ）ネコと一口（ひとくち）に言（い）っても、実（じつ）は差（さ）があったりする。まず目（め）の色（いろ）。ロメオは金色（きんいろ）だ。なかには緑（みどり）っぽい子（こ）もいる。そして鼻（はな）と肉（にく）球（きゅう）は綺（き）麗（れい）なピンク（pink）色（いろ）。どちらも黒（くろ）い子（こ）のほうが多（おお）い。あとは完全（かんぜん）な黒（くろ）ではなくお腹（なか）が白（しろ）いなんてネコもいる。

　ロメオはしばらく眺（なが）めたら、どこかへ行（い）ってしまった。

　俺（おれ）たちも喫（きっ）茶（さ）店（てん）を出（で）ることにした。もちろん彼女（かのじょ）とは別々（べつべつ）だ。

　そんなこんなで、たまに喫（きっ）茶（さ）店（てん）に行（い）くとマキちゃんとよく会（あ）うようになった。

　最初（さいしょ）はぽつぽつだった会（かい）話（わ）も、少（すこ）し長（なが）く話（はな）すようになった。

　そんなある日（ひ）、今日（きょう）もロメオが来（き）た。

「ロメオ今日（きょう）も来（き）たね」

「うん」

　二人（ふたり）でガラス（glass）越（ご）しに眺（なが）めているとロメオが座（すわ）ったまま俺（おれ）たちのほうを向（む）いて「ニャー、ニャー」と鳴（な）いた。

「ねぇ大樹（たいき）君（くん）、なんかロメオ呼（よ）んでない？」

「珍（めずら）しいな、まるでごはん頂戴（ちょうだい）ネコみたいじゃんか」

「そうだね。でも何（なに）か用（よう）があるのかな」

「ネコにそんなことないと思（おも）うけど」

　俺（おれ）たちは店（てん）長（ちょう）に一言（ひとこと）、話（はな）してから店（みせ）を出（で）てロメオのところに行（い）った。

　そうするとどうだろう。ロメオは立（た）ち上（あ）がって、少（すこ）し先（さき）に進（すす）み、後（うし）ろを振（ふ）り返（かえ）った。

「なんだかついて来（こ）いって言（い）ってるみたい」

「そうだな」

　俺（おれ）とマキちゃんは、二人（ふたり）で顔（かお）を見合（みあ）わせて、どうするって表情（ひょうじょう）をした。

「まぁついて行（い）ってみるか」

「うん」

　俺（おれ）が言（い）うとマキちゃんが同（どう）意（い）した。

　ロメオは何軒（なんけん）分（ぶん）か通（とお）りを進（すす）んでいく。

　そして後（うし）ろを振（ふ）り返（かえ）ってから右（みぎ）の路地（ろじ）のほうへ折（お）れた。

「あ、曲（ま）がった」

　マキちゃんの実（じっ）況（きょう）中（ちゅう）継（けい）を聞（き）きながら俺（おれ）たちもついて行（い）く。

　路地（ろじ）は細（ほそ）く人（ひと）通（どお）りもない。

　路地（ろじ）をしばらく進（すす）むと、突（つ）き当（あた）りに着（つ）いた。

「わぁ」

　マキちゃんは思（おも）わず感嘆（かんたん）の声（こえ）を上（あ）げる。

　なるほど、道（みち）の突（つ）き当（あた）りは左（ひだり）に折（お）れている。

　その道（みち）沿（ぞ）いはコンクリート（concrete）の低（ひく）い壁（かべ）になっていて、その向（む）こう側（がわ）に、川（かわ）が見（み）えてた。

　その川（かわ）は綺（き）麗（れい）な水（みず）が流（なが）れていて、水面（すいめん）が光（ひかり）を反射（はんしゃ）してキラキラ輝（かがや）いていた。

　ロメオはそのコンクリート（concrete）壁（かべ）に登（のぼ）って、その上（うえ）に座（すわ）って待（ま）っている。

「ロメオちゃん、ここに連（つ）れてきてくれたの？」

「にゃぁあ」

　分（わ）かっているのかどうか。ロメオが返（へん）事（じ）をする。

　ネコは普（ふ）段（だん）、人間（にんげん）の話（はなし）を分（わ）かっていない風（ふう）に見（み）えるが、たまに本当（ほんとう）は理（り）解（かい）しているんじゃないかっていう風（ふう）に行動（こうどう）することもあって不思議（ふしぎ）だ。

　俺（おれ）とマキちゃんは、そのコンクリート（concrete）の前（まえ）に並（なら）んで立（た）って川（かわ）を眺（なが）めた。

　コンクリート（concrete）の背（せ）の低（ひく）い部（ぶ）分（ぶん）は幅（はば）が狭（せま）く、俺（おれ）たちはかなり近（ちか）い位置（いち）で立（た）って見（み）ないと、二人（ふたり）で見（み）ることができない。

「あっ」

　マキちゃんが小（ちい）さい声（こえ）で、反応（はんのう）する。

　あまりに近（ちか）かったので、二人（ふたり）の手（て）が、そっと触（ふ）れていた。

「うん」

　なにか決（けつ）意（い）をしたみたいな声（こえ）をマキちゃんが小（こ）声（ごえ）でする。

　そのまま手（て）を動（うご）かしてきて、俺（おれ）の右（みぎ）手（て）をマキちゃんの左（ひだり）手（て）がしっかりと握（にぎ）ってきた。

　緊（きん）張（ちょう）する。ドキドキする。

　マキちゃんはそのつないだ手（て）を、景（け）色（しき）に興奮（こうふん）しているのか、若干（じゃっかん）左（さ）右（ゆう）にゆすったりする。

　そのうち落（お）ち着（つ）いてきた。

「本当（ほんとう）に、いい景（け）色（しき）だねぇ」

　どこかのんびりと、リラックス（relax）した声（こえ）でそう言（い）った。

「うふふ。あっ、喫（きっ）茶（さ）店（てん）、お会計（かいけい）まだだったね。戻（もど）らなきゃ」

「お、おう」

　そう返（へん）事（じ）するのが精（せい）いっぱいだった。

　もう少（すこ）し二人（ふたり）でこのままでいたい、なんてとても言（い）えなかった。

　まぁ、また来（く）ればいい、そう思（おも）った。

「おお、二人（ふたり）ともお帰（かえ）り」

「マスター（master）、ただいまです」

「マスター（master）、俺（おれ）たち。すみません」

「いいって。お、なになに、どうしたのそれ？」

「それって？」

「手（て）なんてつないじゃって、まぁ」

「おおっ」

「きゃっ」

　マキちゃんが手（て）を放（はな）して、小（ちい）さく飛（と）び上（あ）がって離（はな）れていった。

　少（すこ）し寂（さび）しいがしょうがない。

「ふふ、なんでもありません」

　優（やさ）しい顔（かお）で、いたずらっぽく言（い）うマキちゃんに、俺（おれ）もマスターも見惚（みほ）れそうだった。

（了）