蝶の翼:再生の軌跡

蒼い月

第1話 終わりなき絶望の淵

私はアヤメ。都内の大学に合格して、4月から大学近くのアパートを借りて生活をはじめた、どこにでもいる18歳の女の子だった、はずだった。あの日、先輩に誘われてサークルの新歓コンパに行くまでは。


飲み会に集まったのは男性と女性が半々くらいだった。さいしょ、わたし達新入生は、「すみません、まだ未成年なので」とお酒を断っていた。しかし、場が盛り上がり、話がはずむにしたがって、だんだん気が緩んでしまったようだ。先輩からの「ちょっとだけ、飲んで見れば」という誘いを断れなくなって、「薄いお酒だから、ジュースみたいなもんだよ」といって渡された、口当たりの甘いお酒を飲み始めた。そして気がついたら、私は薄暗い部屋の中にいた。先輩や知らない男の人達に囲まれて、レイプされていた。


翌日の早朝になって、私はようやく自分のアパートへ帰る事を許された。帰りしな、先輩のスマホに録画された昨晩の動画を見せられた。


「わかっていると思うけど、この事をだれかに言ったら、この動画が拡散することになるよ」


私は怯えながら、うなずく事しかできなかった。


「あと、LINEのアカウントを教えてね。ちょくちょく呼び出すと思うけど、逃げたらまずい事にると思うよ」


まだ薄暗い道を歩き、私はアパートへ帰った。昨晩の痕跡をシャワーで洗い流しながら1時間ほど泣き続けた。しかし、今日も1限(9時)から必須単位の授業がある。私は初年度になるべくたくさんの単位を取りたかったので、月曜から金曜まで、かなりの授業を詰め込んでいた。悲鳴をあげる体と心を無視して、着替えるとカバンを持ってアパートを飛び出した。


3限の授業がおわり、私はアパートへ戻ってきた。ベッドに寝転んでうとうとしていると、ピコピコというLINEの着信音が鳴った。スマホの画面を見ると、先輩からだった。その瞬間、私は青ざめた。見たくなかった。画面をみつめながら、しばらく逡巡していると、再び着信音が鳴った。見たくなかった。私はスマホを床へ落とすと、トイレへ駆け込んだ。吐き気がしたのだ。何回かえづいていると、ドンドンドンと誰かがアパートのドアを叩く音が聞こえた。誰かが執拗に、ドアを叩いていた。怖かった。その時、スマホのコール音が鳴り出した。私はついに、スマホを拾って、受信ボタンを押した。


「なんで俺のメッセージを無視するんだ」


それは先輩の声だった。


「アパートに居るのはわかっているんだ。早く出てこい。」


それは、有無を言わせない強い口調だった。私は血の気が引いたが、同時に、この声に逆らうのも怖かった。私はアパートのドアを開けた。そこには、笑顔の先輩が立っていた。


「ちょっと、入るよ」


「えっ、なんで私のアパートに?」


先輩はドアを閉めると、カチっとドアをロックをした。そして、私の手を引いてワンルームの部屋に入ってきた。どうして私のアパートがわかったのか?もしかして、帰り道で後をつけられたのか?


「へえ、このマンションの部屋はわりと広いな」


「先輩、、、」


「アヤメ、昨日は悪かったな。俺もOBの先輩方に脅されて、仕方なかったんだ」


そう言って、申し訳なさそうに謝ってきた。しかし、私の手はつかんだままだった。結局、私はベッドに押し倒された。先輩は、朝方に帰っていった。


私は毎日、授業に出ていた。単位だけは、きちんと取りたかったからだ。そして、先輩も毎日、夕方に私のアパートへやってきた。3限が終わる頃に、LINEで今日の帰宅時間をきかれて、授業がおわって帰宅する頃は、いつも私のアパートに来ていた。予備の鍵を「よこせ」と、取られたからだ。先輩から逃げられない日々が数週間ほど続いた。しかし、これはまだ、地獄の入口にすぎなかった。


5月のゴールデンウィークの前の晩、アパートで待っていた先輩は、私を別のアパートへ連れて行った。そこは、私がはじめてレイプされた場所だった。中へはいると、5人ほどの男たちが待っていた。先輩は「OBの方々です」と紹介した。中には、最初にレイプされた晩にいた人も何人か混じっていた。


「やっ!」


私は血の気が引いた。ここに居てはいけないと思った。すぐに出なきゃとドアの方を向くと、先輩に腕をつかまれた。


「今日から連休が続くので、しばらくOBさん達のお世話をしてほしいんだ」


私は10日ほど、そのアパートに居続ける事になった。この部屋には、最初にいた5人だけでなく、途中から見知らぬ男達が何人も、入れ替わりながら来た。起きている間は、なぶられ続けた。泣き続ける私に、「気分が高揚するから」と、白い錠剤を無理やりのまされた。その後の事は、記憶が朦朧として定かではない。定かではなかったが、あまりに強い刺激が、際限なく訪れた事だけは覚えていた。連休が終わる頃、私の心も体もボロ雑巾のようになっていたのにもかかわらず、白い錠剤による刺激から逃れられなくなってしまったたようだった。


先輩からは、1週間ほど連絡がなった。私は毎日、LINEの着信音が鳴る度に、ビクッとして首をすくめたが、友人から授業の問い合わせや、サークルの告知ばかりだった。平穏な日が3日ほど続いた時、私は妙にイライラする事に気づいた。1日中、ずっとイライラして授業に集中できなかった。どうしたんだろう、何でかな。その日の夜、原因がわかった。私は絶望を感じた。あの時の強い刺激を、私の体が求めているのだ。しかし私の心は、もう二度とあの部屋に行きたくないと拒絶している。私は、体と心に引き裂かれて悶えながら、週末を迎た。


金曜の3限の終わり頃に、先輩からの連絡が来た。今晩に「あのアパートへ来い」という連絡だった。返信しないままアパートへ帰ると、先輩が待っていた。私は逃げる事ができなかった。


それからは、毎週の週末、あのアパートで過ごすようになった。白い錠剤は、あのアパートでしか、もらえなかったので、仕方がなかった。あの強い刺激が四六時中、私の頭の中から離れないようになった。そして、あの刺激に結びついている性行為も、頭から離れなくなってしまった。自分のアパートへ帰る時は、自分から先輩に、「今晩はいつ来てくれますか」と連絡を送るようになった。先輩との普通の性行為は、ちいさな満足しか得られなかったが、無いよりはマシだった。


7月にはいると、先輩の態度がだんだん冷たくなって、性行為もおざなりな感じになっていくのを感じた。私への興味がなくなってきているのかと、不安になった。そして、あのアパートへ行く連絡が来なくなった。その週末、イライラを我慢しながら、必死で先輩へLINEのメッセージを送り続けたが既読スルーが続いた。明けて月曜の夕方、私のアパートで待っていた先輩は、私をさらに大きな絶望へ落と突き落とした。


「ごめん、OBさん達、しばらく忙しくて来れなくなったみたい」


「そっ、そんな。私これからどうしたら!」


「ああ、あの薬だよね」


「私、あれがないとすごく苦しいんです」


「うーん、困ったなー。これまではOBさん達が自分でお金を払って購入していたんだ。


「それって、すごく高いんでしょうか」


「聞いてみるけど、たぶん、1条で10万円くらいするのかな?」


「私、そんなお金、いったいどうしたら」


「それなんだけど、いい方法がるんだけど、聴きたい?」


私に援交しろ、と先輩は言った。客は、OBのだれかが紹介するので、その都度、先輩からLINEで連絡が来るそうだ。えっ、売春?私、体を売るの?私のなかで、絶対に嫌という気持ちと、早くあの白い錠剤がほしいという気持ちが闘っているのを感じた。すこし考えさせてくださいと返事すると、先輩はすぐに帰っていった。もはや私の体にたいする興味もなくなってしまったようだった。私はボロ雑巾のように使われた挙げ句に、無価値になってしまったようだった。いったい、何回目の絶望だろうか。一晩中、イライラで眠れなかった。生まれて初めて、自慰をした。しかし、いくら自分で慰めても、たいして役には立たなかった。翌朝、私は欲求に負けて「お願いします」と先輩へ連絡した。


次の日、先輩から早速の連絡が来た。今晩の6時半という時間と、喫茶店の名前と住所とテーブルの番号を教えられた。すこし前にその喫茶店に入り、指定されたテーブルに座り、紅茶を注文して待っていた。ちょうどの時間に、見知らぬ中年男性がお店に入ってきて、「お待たせしました」と声をかけられた。その男性は笑顔で私を見ると、「アヤメさんですね」と言った。私達は喫茶店を出ると、男性と一緒に近くのラブホへ入った。行為が終わると、男性からお金を受け取った。封筒には1万円札が1枚だけ、はいっていた。私達はラブホを出ると、そのまま分かれた。私は先輩に連絡した。


「先輩、いま終わりました。ところで、1万円しかもらわなかったのですが」


「ああ、金額について説明するのを忘れてたね」


「1万円って、安くないですか?これじゃ、あのお薬を買うのに、いつまでかかるのか、、、」


「ええと、お客を紹介してもらっているOBさんや、間にはっている俺のマージンがあるんで、その金額になっちゃうんだよね。でも、たくさん紹介してあげられると思うから、すぐに10万円いくよ」


という事で、そういう事を頻繁に行うようになった。一晩に数人ほどの時もあった。白い薬のない行為では、小さな満足感しか得られなかった。そうして、土曜になってようやく10万円がたまった。


「先輩、10万円が溜まりましたので、あのお薬を1つ、お願いできますか」


「オッケー、今晩もっていくよ」


私は白い錠剤を1つ、先輩から受け取った。ちょっと震える手でコップに水を注いで、ゴクッと飲み下した。しばらくすると、顔がすこし熱くなるのを感じた。


「先輩、お願いします」


先輩はちょっと面倒くさいという顔をしたが、私が腕を強く握っていたので、「しょうがない」と言って服を脱ぎ始めた。強い刺激を伴う性交のあと、私のイライラは止まり、翌朝までぐっすりと寝る事ができた。


しかし、翌日の昼頃になると、再びイライラがはじまった。そこから先、イライラを感じながら援交を続け、10万円が溜まると先輩を呼び出す日々が続くようになった。私は怒りっぽくなった。授業には出席していたが、ぜんぜん集中できなかった。このままでは、前期テストを落とす科目が出るのではないかと不安になったが、どうしようもなかった。


前期のテストをなんとか終えて、ほっとしている時に、真っ青な顔をした先輩が私のアパートへやってきて、絶望へ突き落とされた。


「不味い事になった。薬を調達していたOBさんが、警察につかまってしまった。それで、あの薬はもう手に入らなくなったんだ」


「ええ、そんな」


私も一瞬で真っ青になった。


「俺も、捕まるかもしれない。悪いけど、俺は今晩、アパートを引き払って、しばらく消える。アヤメのLINEアカウントも既に削除した。もし警察が来ても、俺やOBさん達の事は、絶対に言うんじゃないぞ。お前だって、同罪だぞ。あの薬を何度も買っていたのだからな」


私は更に血の気が引いた。私も警察に捕まるのか。刑務所へ入るのか。人生が終わるのか。


あっという間に、先輩は去って行った。あのお薬がなければ、私はどうすれば良いのか。途方にくれた。なにもできなかった。強いイライラだけが残った。アパートに引きこもったまま、1週間が過ぎた。部屋の中は、カップラーメンやポテチの袋などの、ゴミだらけになっていた。1週間悩んだ末に、夕方、新宿の大久保公園へ行く事にした。ネットのニュースで、路上で売春する女性達の記事を知ったからだ。あのお薬がなければ、十分な刺激は得られない。でも、普通の性交も無いよりはマシ。そう決断すると、私は毎晩、新大久保の路上に立って、一晩に何人もの男性と性交するようになった。いちどの行為で得られる刺激では、イライラと衝動を止められなかった為だ。


8月の末、あのお薬が絶たれて二ヶ月が過ぎようとしていた。お薬の禁断症状と思われたイライラは、ようやく収まりつつあった。しかし、性行為への欲求は、収まるどころか、より強くなっているようだった。また、お薬の影響がぬけた頃、お薬で麻痺していた私の心のいちぶが帰ってきた。それは、新しいショックを生んだ。私は、ものすごい自己嫌悪に陥った。私は汚れてしまった。堕ちてしまった。無価値になってしまった。そう強く思い込むようになった。打ちのめされておおきな穴が空いた私の心は、だれかにすがりたかった。誰かにその穴を埋めてほしかった。私は、新大久保の路上で知り合った薄汚い男を、アパートへ連れ込んだ。やさしくしてくれたその男に、頼りたかった。誰かに、頼りたかった。私は孤独という絶望の中で、足掻いていたのだと思う。


9月になって、授業がはじまった。クラスでは、誰とも話さなかった。人と話すのが怖かった。もしかして先輩が戻ってきているかと、久しぶりにサークルに顔を出したが、先輩はやはり居なかった。がっかりしてボーッとしていると、同じ学年の男の子に声をかけられた。彼も私とおなじ、1年生だったはずだ。


「ええと、アヤメさんですね。僕は、チハルですけど、覚えてますか」


私はすぐに返事ができなかった。


「ほら、4月にサークルに入った時に、少しだけお話した事があるんですけど。ほら、ぼくら同じ出身地だって言ったの、覚えてますか」


私は、何を話せば良いのかわからず、口を開く事ができなかった。


「新歓コンパの後からずっと見かけなかったので、ちょっと心配してました。」


私は、新歓コンパという言葉を聞いて、気分が悪くなった。


彼は、私の顔色が悪くなったのを感じたのか、


「どこかで休みますか、ええと、学食がすぐそこにあったはず」


私は彼に手を引かれて、学食ですこし休んだ。テーブルを挟んで彼と話していると、段々とかれが怖くなくなってきた。彼は、夏の間ずっとバイトしていた時の苦労話を延々と話していた。なんだか優しい人のようだった。せっかく知り合ったので、LINEのアカウントを教えてほしいと言われて、断る事もできなくて、彼とLINEでつながった。その日から、1日に何度も、彼からLINEのメッセージが来るようになった。最低限の返事しかしていなかったが、彼は平気なようだった。時々、授業の後で喫茶店で話をするようになった。夜は、あいかわらず新老久保まで出かけて援交をつづけ、深夜アパートへ帰ると、待っていた薄汚い男へお金を払って、まだ出ていかないでと頼んだ。彼は面倒くさそうに、私を抱きよせた。私の心の穴は、薄っぺらい絆創膏のようなもので、ちょっとだけふさがれる事で、眠る事ができた。


ボロボロになった私の、終わりの見えない苦しみの日々に、ようやく1つの転機が訪れる事になった。

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