君と過ごせば

糸式 瑞希

 空に手をかざす。降り注ぐのは、木陰の木漏れ日。


 いつからだろうか…、明るさに自らをさらけ出すよりも、

 穏やかな暗がりの方が、僕には好ましい物となっていた。

 それが僕を守るのだと、所属する属性なのだと、最近はそれが確信に近い。

 例えば、木々の作る、穏やかな木陰、その木漏れ日…、そういう物に僕は強く影響されていた。

 そう、言うならば属性…。要するに人は何かに帰属する、って事らしい。


 ある日の事だ。近所のデパートに、僕は日用品の買い出しに来ていた。

 あまり外に出ないように、日用品を買い溜めるのはこの季節お決まりの僕の行動パターンだ。

 車で移動できる範囲内に、主要な施設が一応はひと通りある、それはありがたいことだった。

 だが、この街に住み始めて十数年が経つが、街並みが変わるのにつれて、例えば、あの本屋が無くなった、だとか、あの服屋が無くなった…とか。開発が進むに反比例して、少しずつ不便になりつつあるこの街を、僕は憂いていた。ちなみに、本屋はフィットネスジムに、服屋はドラッグストアに変わった。


 夏だ…。七月でこれでは…。

 街ゆく人々は、皆、活気があふれた道を赴くままに歩いている。

 聞こえてくるのは、何気ない会話だ。

 子供の声、女性の声、学生の声…

 僕は自分自身でも今そう言う表情をしているだろうと何となく想像できる様な惚けた顔で、空を見上げた。

 考えるのは、あの子は今どうしているだろう、とか、あいつにLINEでメッセージを送ったら、返事はちゃんと来るだろうか?とか、そんな事だ。

 ずっと一緒にいる物だと思い込んでいた友人、恩師、さまざまな人々。

 最近、時間がもの凄い速さで過ぎていく。僕を取り巻く人々も、変わっていく。なぜだか、少し、焦る。


「にしても…」

 暑い…。

「おい、青少年!」

 すると、背後から女性の声が聴こえた。

 ん?なんだ…?僕に言っているわけじゃないよな…?

 だが音の聞こえた方向を振り返る。人間の習性だ。

「こんにちは」

 気づけば、聴いたことのある声だ。懐かしい…。愛しい声。…愛しい?いや、僕は彼女を知らない。

「ああ…、誰だっけ?」

 口から思わずこぼれ落ちたのは、そんな言葉だ。

 僕は、彼女を知っている、のだが、それがなぜか、彼女が誰なのか分からない。

 いわゆる、知り合いの知り合いみたいなあれだろうか?

「ひどくない…?」

 彼女は少し傷ついた様子だった。確かに、旧知の間柄(どうやらそうらしい)に対して「誰だっけ?」と言うセリフは少し無愛想なのかもしれない。

「うーん…。もしかして、田村…か?」

 適当に言ってみた。

「違うよ…」

 彼女は少し悲しそうにする。

「そうか…」

 僕は彼女が少し可哀想に思えて、彼女を思い出そうと努力した。

「ああ、古川、か?」

 そうだ、古川だ。

「正解」

 にこりと笑って、彼女は僕に微笑んだ。


「僕たち、どこで出会ったんだっけ?」

「忘れたの?」

 と言うか、分からない。記憶から、すっぽり彼女との出来事が抜け落ちている。

「ああ、分からない」

「まあ、君にとって私はそんな物なのかもね」

 そう、だろうか?彼女ほど印象的な人物を簡単に忘れる事があるだろうか?

「思い出すよ、そのうち」

「うん、ちゃんと思い出してね」

 彼女はまた笑ってそう言った。

「なんか、悩み?」

 彼女はそう言って僕の背中を小突く。

「ん、まあ、ね…」

 空を見上げる。降り注ぐ日差しに、少し困惑する。


◇◇◇


 ある日、僕は自宅にて友人の雨宮と一緒に過ごしていた。

 隣家の軒先では風鈴の音が聴こえてきて、

 呼吸をするたび、湿度の高い夜気が鼻腔に入り込んでくる。

 少し、小雨が降っている…。

 日が暮れ始めた、夏の夜だ。


 テレビの選局をリモコンで行う彼。

『この日、東京では過ごしやすい気温となるでしょう…』

『お兄さん、何言うてはりますねん…』

『じゃあ、彼女は違う世界から…』

 次々とチャンネルを変える彼。

 僕は先日、古川と出会った時の事を彼に話した。

「とまあ…、そんな事があったんだ」

「古川…?そんな奴いたか?」

「ほら、髪が長くてメガネを掛けた、女性にしては背の少し高い…」

 彼は少し考えたあと、思い出したように、

「ああ、古川か」

 と、彼女の事を思い出したようだ。

「僕たち、3人でよく一緒に過ごしただろ?」

「そうだったかな…」

 雨宮は少し考えて、

「ああ、そうだった、俺たちはいつも一緒にいた」

 ようやく、思い出したようだ。

「どうだ?今度、3人で一緒に会わないか?」

 僕は彼にそう言った。古川のアポは取ってないが、僕たちの間柄なら、彼女は快諾するだろう。

「ああ、それもいいかもな」

 彼も二つ返事で承諾した。



 当日、僕たちは比較的近場の水族館に来ていた。

 薄暗い、クーラーの効いた館内…落ち着く。

「雨宮くん、久しぶりだね…」

 古川が言う。

「ああ…いつ以来だったかな」

 雨宮は懐かしんで居るようだ。

「高校の頃会ったきりだから、もう10年くらい…かな?」

 2人は話し込んでいる。


 僕が熱帯魚の展示を観ていると、横から雨宮がずいっと間に割り込んで、

「ああ、ネオンテトラか。綺麗だよな」

 と言った。

 僕の肩には彼の手が添えられていて、

 何というか…、以前からボディタッチが多いような気がしていた。

 若干、嫌な予感がした。


「観賞魚、好きなのか?雨宮」

 僕は少し焦りながら彼に聞いた。

「いや、そんなに詳しくは…でも綺麗だと思ってな」

 横に視線をやると、古川も横からネオンテトラの展示に釘付けになっていた。

「綺麗だね…」

「ああ、そうだな」

 2人はそんな風に話をしている。

 …そんな2人を眺めながら、僕は昔の事を思い返していた。


 それは、今のような夏の出来事だ。

 僕らがまだ小学生の時。

 家族間の集まりで、僕たちは観光地の旅館に行く事になった。

 特に特筆すべき出来事も無く。普通に、僕たちは観光を終えた。


 だが、その時撮った写真が、問題のある物だった。

 それがいわゆる心霊写真…、だったと言うわけだ。

 写真自体はシンプルなもので、少し影が写っているだけの、ありふれた写真だった。

 僕たちは当時ゴールデンタイムを賑わせていたテレビの某バラエティ番組に、その写真を持ち込んだ。

 放送当日、僕たちは、放送されるテレビ番組を3人で集まって見ていた。

 けれど、結論を言えば、写真は霊の仕業ではない…という事らしかった。

 だが、その後僕たちに不可解な現象が起こった…


 それは僕が自宅の自室にて、1人寛いでいた時だ。

 突然、部屋にあるブラウン管のテレビの電源がオンになった。

 それが当時、世間を賑わせていた某ホラー映画のワンシーンを連想させ、僕は震えた。

 ブラウン管の砂嵐に釘付けになる僕。目が逸らせない。

 しばらくすると、画面は勝手に消えた…。

 僕は自室で寝ることが出来ず、居間のソファで、電気を付けたまま寝たくらいだ。

 翌日、父の、

「何やってるんだ、そんな所で…」

 と言う声で僕は目覚めた。


 二人は何も言いたがらなかったが、彼らは何かがあった、と言うことだけを言って、それ以上を語りたがらなかった。


 そして、その曰く付きの旅館に僕たちは十数年振りに赴いていた。

 写真の話を彼らに話すと、彼らは二つ返事で旅館への旅行を承諾した。

「懐かしいね」

 古川が言う。

「ああ、懐かしい、な」

 記憶の中の建物より狭く見え、僕らも大人になったと、小さい体だった子供の頃からの変わり様を感じた。

 ああ、ここはこうだった、とか、おぼろげな記憶を参照して、勝手に納得する僕。


 適当な挨拶を交わして、僕たちは別れた。

 客間にて僕は、雨宮と二人で、布団を敷いて、川の字(?)で寝ていた。

 古川はもちろん別の部屋だ。まあ、当然だが。


 うまく寝付けず、僕は天井をじっと見ていた。

 沈黙の中、突然、

「あれから、いろいろ…時間が過ぎたよな」

 雨宮がそう言った。

「なんだ、急に」

「別に、なんでもないよ」

「そうか…?」

 僕がそう言うと、隣から彼の寝息が聴こえてきた。

 なんなんだ、一体、言いたいことだけ言って…。

 そして、僕も眠ることにした。


 そして、夜中、目が覚めた。

 隣の布団で雨宮は眠っていて、部屋の隅に視線をやると、テレビの明かりが付いている。僕は前回と同じ様に震えた。

「お、おいっ…」

 僕は慌てて雨宮の布団を揺すった。

「ん?なん…」

 彼が目を覚まそうとする、

 そこで目が覚めた。

「なんだ、夢か…」

 僕は1人呟いた。


「そんな事があったんだ」

 翌日、俺は2人にそう訴えた。

「はは…そりゃ寝落ちだな」

 そう言って、彼らは苦笑いし、それ以上は語らなかった。


 その後、3人で街を観光して、僕たちは帰りの帰路の途中で、電車に揺られていた。

 雨宮は寝てしまっている。

 空いている車内、僕は古川と話をしていた。

 彼女は一言、こう言った。

「私、ずっとここにいる」

 と、そう言った。

「ん?ここ?」

「なんでもない」

 彼女は微笑んで…、それはまるで木漏れ日の日差しだった。


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