信号機は未だ

無地無繍

信号機が未だ

「ああ、ちきしょう。」

 -とある、蒸し暑い夏の中。灰色をした道の傍。1人の男が放った。彼の額は汗を流し、首から体へと、河を流すかのようである。

 こんな様になりながらも彼が街をふらふらと彷徨うのには、何か特別な理由が要りそうなものであるが、そうでもないらしい。コーラ。それは今、彼が金より何より欲している物。今は、それを買うための道のりということになっている。だが、意気揚々と飛び出してきたであろうこの旅路に、彼は早々と後悔の念を抱いているらしい。

 たかがコンビニまで。そんな「たかが」に、エアコンの秋に暑さを忘れてしまったこの体は、予想外の悲鳴を上げている様子だ。そして今、運悪くも彼は、近所で長いと噂になっている信号に捕まってしまったのである。

 既に暑さが体を巡り切ってしまった彼にとって、この1、2分の待ちぼうけは無限にも感じられるのだろう。

 -どれくらい待っただろうか。ちらり、ちらりと、赤い枠組みに佇む、あの忌々しい帽子を睨む。奴をいくら確認しても、奴は止まったままだ。

 もういっそ、横断歩道を渡ってしまおうか。そんな考えが頭に湧いて出てきて鬱陶しい。信号機がだ、赤色だ。こんなつまらない決まりを破るわけにも、行かないのだ。湧いた思考を振り払うかのように、私は物思いに耽る。きっと、この暑さの中飲むコーラは絶品だろう。とか、コンビニはどれくらい涼しいのだろう。とか。まぁ、下らないことだが。

 私はふと、今朝のニュースの内容を思い出した。信号無視をした子供が車に轢かれたという速報。特段、心に残るわけでもない事だったのだが、何故かそれが頭に浮かんだのだ。それがより一層、まだ信号を渡るわけには行かないという想いを強めた。

 それにしても、こんなにこの信号は長かっただろうか。もう、5分ほど立ち止まっているような気もする。あつい。私は一刻も早くコーラを飲みたいと言うのに、この信号はうんともすんとも言わない。

 私は、無意識のうちに電柱にもたれ掛かっていることに気付いた。地面に、幾つか水滴も見える。

 おかしい。この暑さも、信号も。もしやすると、私が考え事をしている間に、この信号は一度青になっていたのかもしれない。いや、きっとそうだ。それ以外は考え付かない。そう思うと、何故かより、体が熱くなってきた気がする。いよいよ、死んでしまうのではないかと思う程に。

 喉が渇いた。死にそうだ。もういつまでこの横断歩道に居るのだろうか。さっきから、車も一台も通らない。そして相変わらず、信号も変わる気配がない。

 ひたすらに耐える。汗が地面に落ちた。視界が歪んでいる。目もチカチカする。朦朧とした意識の中、私は初めて、信号が青に変わっていることに気付いた。しかし、信号は既に点滅している。早く、渡らなくては。そう考えてはいても、足が思うように動かない。早く。早く。しかし、ようやく踏み出せた一歩は、志半ばで力尽きてしまったようだった。そして私は、白黒のボーダーに倒れ伏した。

 -灰色をした道の傍。とある、蒸し暑い夏の中。1人の男が倒れていた。監視から逃れた帽子の男も、すっかりと赤色に変わっているようだった。

 彼が物のようになってしまってからどれほど経ったのだろうか。耳を澄ましてみても、蝉の声すら止んでいる。もちろん車も、通らない。信号機はいまだ、赤色のままである。

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信号機は未だ 無地無繍 @mizimuzi5

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