EP.16深夜のともだち

 ミドとアイさんと街を遊び尽くした日の夜。昼間言ったことがどうしても頭から離れなくて、目が覚める。

やっぱり神様って悪い奴なのかな。天使たちも悪い奴だから神様に従ってるの?

でも、ニカさんはそうではない。そもそも、インプットされている知識の中には、「神は善良である」と言われている。

どうしても気になって眠れなくて、ベッドから起き上がる。

ミドはすっかり疲れ果て、ぐっすり眠っているようだ。


「……ここは基地じゃないし、こっそり抜け出してもバレませんよね?」


そっと服を着替え、左目の黒さを隠し、夜の街へと繰り出した。

夜の街は静かだった。昼間の喧騒が嘘のようだ。

ネオンが輝いているのも遠くに見えるが、大抵の家はカーテンを閉め灯りを消し、寝静まっている様子だ。

これじゃあ散歩にしかならないか、と思っているところに、公園の前を通りがかった。

キィ、キィとブランコが軋む音がする。音の方を見やると、そこには、僕よりずっと小さい子供がいた。



不思議な様子の子供だった。男の子か女の子かは、ぱっと見では判断がつかなかった。

ただ、瞼はつまらなそうに下がっているのに、瞳の色は玉虫色に輝いているように見えた。暗いからか、何色だかよくわからないのだ。

僕はその子のことが気になって、声をかけた。


「こんばんは。あなたも一人ですか?」


「……誰?」その子は僕に尋ねた。


「僕は紺碧です。眠れなくて街を歩いていたら、あなたを見つけたので、声をかけてみました。」


……そういえば、こんなところに子供が一人でいたら、ホムンクルス製造業者に拐われてしまうのでは?人攫いは多発してるって、アイさんが言ってました。何か適当な理由をつけて、この子と一緒にいた方がよいのでは?

そう考えているうちに、その子のお腹がグゥゥと鳴った。


「お腹、空いてるんですか。」


その子は答えた、「お腹空いてるけど、食べたくないの。」


「お腹が空いているのに食べたくない!?そんなことあるんですか!?」僕は驚きを隠せなかった。


「ママはいつも『これでご飯買ってきなさい』ってお金渡すの。でもお金で買えるご飯、食べ飽きちゃった。」


「そうですか……でも食べないのはダメですよ。食べないと死んでしまいます。」


「別に……死んだら何か困るの?」


「困りますよーっ!ご飯が食べられなくなっちゃうじゃないですか!」

「あっでも、そのご飯を食べたくないんでしたっけ。うーん、じゃあ死んでもいいのかも?」

僕は首を傾げた。でもなんとなく、この子を放っておいたらいけない気がした。


「わかりました、僕と一緒に、食べられそうなものを探しに行きましょう!」

「あなた、名前はなんて言うんですか?」


「名前……?って何?」


困りました。僕とおんなじで名前がない子です。


「名前ってのは……うまく説明ができないけど……とっても大事なものです。」

「とっても大事だから、なるべく早く持った方がいいけど、すぐに決めたらダメなんです。慎重に考えないと。」

「とりあえず、行きましょうか。名前は食べられそうなものを探しながら、考えておきます。」


僕たちはそうして、食べ物探しに夜の街に繰り出した。



「ちなみに、いくら持ってるんですか?」


その子に問いかけると、その子は財布を手渡した。

財布の中を見ると、低価値な小銭がたくさんと、一番安いお札が一札入っていた。


「もしかして……500引く200って、いくらだかわかります?」


「ん?どういう意味?」その子は首を傾げた。


わかった。この子はお金の価値がわかっていないし、計算もうまくできない。この財布の中身は、溜まっていくお釣りの小銭と、渡された一札のお札で構成されているんだ。

僕がついてきてよかったと、心から思った。


「まずはこのお店から入ってみましょう、来たことはありますか?」


「……何回もある。」


そう言って、とあるコンビニに二人で入った。

「肉まん……は売り切れてますね。おにぎり。あっ、新発売のたまごポークケチャップミックスおにぎりですって!いいなぁ〜!」

「あっ、菓子パンも色々ありますよ!ベリーベリーミックスジャムサンドとか、揚げカレーパンとか……食べたことないのいっぱいありますね!」

魅力的な新商品に思わず目を輝かせてしまう。はっと気がついて、子供の方を向く。じっと僕の方を見つめていた。


「すみません、僕ばかりはしゃいでしまって。何か気になるものはありましたか?」


「……ん。紺碧が食べたいやつ、わたしも食べたい。」


「僕が食べたいやつですか?いいですけど……。」


先ほど挙げた商品は、どれもさほど高価なものではなかったため、二つずつ買っても予算内に収まりそうだった。それらと牛乳を二つずつ買って、僕らは先ほどの公園に戻った。



その子はベンチに座るや否や、おにぎりにかぶりついた。


「ダメですよ、ごはんを食べる前は、『いただきます』ってするんです。」僕はその子に注意した。


「……何それ。」


「食べ物はみんな元々生き物だったんです!生きてたものをいただくから、ごはんになってくれてありがとうって感謝をごはんに伝えるんですよ!」


「ふーん。」


「じゃ、いただきまーす!」儀式を済ませると、僕も勢いよくたまごポークケチャップミックスおにぎりにかぶりついた。


「んー!おいしい!」

ふわふわの厚焼き卵としょっぱくて脂っこいポーク、ケチャップごはんとなんだかよくわからない野菜ミックス味がして、とにかくいっぱい味がして美味しかった。

夢中になっておにぎりを平らげている横で、その子もおにぎりに再び口をつけた。


「……!」


二口目を食べた途端、その子は涙を流し始めた。


「えっ……!?どうしたんですか、泣くほど不味かったですか!?」

あんなに美味しかったのに!?と思いながら、僕は鞄からハンカチを取り出した。


「……ちがう。すっごく味がしておいしいの。」

「人がおいしそうに食べてるごはんって、こんなにおいしかったんだ。」


その子は袖で涙を拭って、おにぎりに再びかぶりつき、あっという間に完食してしまった。

コンビニの袋を漁り、その子はジャムパンを僕に渡してくる。


「ほら、紺碧。次はこれ食べたいから、一緒に食べて。」


正直、それでご飯が美味しくなる理由はよくわからなかった。ご飯はいつでも誰と食べても美味しいものだから。

でも、その子は少しだけ生意気になった。元気になった証拠だと思った。僕はそれが嬉しかった。


「しょうがないですね〜!」


僕はジャムパンに口をつけた。少しだけ大袈裟に美味しがってみせた。その子も上機嫌になって、ジャムパンを食べ始めた。

ふっと、この子につけたい名前が思い浮かんだ。

ジャムパンを牛乳で流し込んで、口の中を空にしてから喋り始める。


「あなたの名前、思いつきました!」

「あなたは今日から九十九(つくも)です!」


「つくも……?どういう意味?」


「九十九、百……いっぱいの数から一足りないって意味です!」

「あなたは食べたくないものがあるんでしょう?でも、一つ食べたくないものがあっても、他のいっぱいのものが食べられるようにって!だからつくもです!」


その子……九十九は目をぱちぱちさせた後、大きく笑った。


「なにそれー、変な意味!」

「ふつう、全部食べなさいって言うとこじゃん!」


そうかな?と思った。ふつうって言われても僕はわからないから。

でも笑ってくれたのは、胸の奥がじんわり暖かくなる感覚が確かにあった。


「紺碧、ありがとう。」

「ごはんがこんなにおいしかったのは初めて。」


「どういたしまして!」僕も心から笑って答えた。



 それから僕たちは、公園でたくさん遊んだ。ブランコを押したり、滑り台の滑り方を九十九に教えてもらったり、ただ広い場所を駆け回ったりした。

やがて、空がだんだん明るくなってきた。そろそろ帰らないと。抜け出したのがアイさんにバレたら怒られてしまう。


「九十九、今日は楽しかったです。僕はそろそろ帰ります。」


「えっ……!?やだ!帰っちゃヤダ!」

九十九は僕の服の裾を掴んだ。

ここで名前をくれた人にいなくなられることの、どれだけ心細いことだろう。僕がニカさんに名前をもらった時もそうだった。

だけど僕にはもうニカさんもアイさんもミドもいる。帰らなくちゃ。

九十九と目線を合わせて、語りかける。


「残念ですが、僕は帰らないといけません。僕には待ってくれている、大切な人がいるんです。」

「でも、僕がいなくなっても、あなたにつけた九十九という名前も、込めた理由も、なくなりません。ずっとそばにいます。」

「そのことを忘れないで。そうして、いっぱいご飯を食べてください。できますか?」


九十九は一度裾をぎゅっと握った後、離した。

「わかった。がんばってご飯食べる。」


その顔は、明らかに寂しいのを堪えている顔だった。

僕は後ろ髪を引かれる思いだった。この子はずっと寂しい思いをし続けるのかと思うと、胸がぎゅっと苦しくなった。

でも僕も、ずっと九十九と一緒には、いたくてもいられないことはわかっていた。自由に外に出られるのは、今この時だけなのだから。

ふと気がつくと、視界が潤んでいた。ああ僕も、九十九に何もしてあげられないことが悔しいんだ。

袖で涙を拭い、九十九を一度だけ強く抱きしめた。


「さよなら九十九。元気でね。」


そう告げて九十九を離し、僕は朝焼けの街を駆けていった。

振り返りたかったけど、振り返らなかった。振り返ることは九十九のためにならないと思った。

目尻から涙が溢れ、それが風に乗って飛んでいく。早朝の湿った空気の一部になって消えていく。

こうして僕と九十九が会った一晩の出来事は、二人だけの秘密になったのだ。

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