EP.15襲撃の翌朝

 天使の襲撃の翌朝。かつていた基地は瓦礫の山と化してしまった。帰る場所のある兵士たちは一時帰宅となったが、そうではないホムンクルスたちとニカフィムさん、そして監視役に、私も含めて一部の兵士たちは、街のホテルにしばらく宿泊することとなった。


 ニカフィムさんは、あれ以来ずっと部屋から出てこない。その上、紺碧と顔を合わせた途端、酷く怯えた顔をしていた。

無理もない、恋人がかつての同胞を食う光景を目にしてしまったのだから。


「ニカフィムさん、朝食、ここに置いておくよ。食べたかったら食べてくれ。」


部屋に入って、サイドテーブルに簡素な食事を置く。


「天使に食事は本来必要ない、そう言ってるだろう……。」


塞ぎ込んだ様子のニカフィムさんが答える。昨日からずっとこの調子で、何も口にしていない。


「それでも食事は提供されなければ。何かあったら、すぐ呼んでくれ。」


 そう告げて、ニカフィムさんのいる部屋を後にした。



 「アイさん、おはようございます。ニカさんは様子どうでしたか?」


当の紺碧はと言えば、戦いの傷はすっかり癒え、大盛りのスクランブルエッグとベーコンを取ってきている。


「昨日と変わらないよ。」


「そうですか……。」

紺碧は少し落ち込んだ顔をした。


「お前ってなんつーか……ほんとにマイペースだよな、悪い意味で。」


ミドも口を挟む。指摘は間違っていないが、的を得ていない。


「紺碧、ミドも。食事中だが、大事な話をしていいかな。」


「はい……ニカさんのことですか?」


「そうとも言えるが、そうではない。ニカフィムさんが参っているのは、紺碧の問題行動のせいなんだ。」


「その話昨日も聞きましたけど……どこが問題なんだか、僕にはわからないです。あの状況で天使を食べていなければ、僕は餓死の危険性があったんですよ?リスク回避として合理的な選択じゃないですか?」


「それは……そうなんだが……」常識の通じない、子供の疑問に頭を悩ませる。


「人が人を食べてはいけない理由は色々ある。一番は、病気にかかるからなんだが、ホムンクルスだから当てはまらないとして……死体の尊厳?いやこの子たちには難しいか……。」


回答に詰まる。私も倫理的な人間とは言い難い。こういう時に手本になれるような生き方はしてこなかった。


「人は、人を食べない生き物なんだ。理屈云々ではなく、そういう習性を持っていると理解してもらっていい。」


「そして、習性から外れた行動をする同族を見ると、すごくびっくりしてしまう。ニカフィムさんは君のことを大切にしていたから、特に衝撃が大きかったんだよ。」


「ふーん……。」紺碧はぼんやりとした理解ながらも、納得はしてくれたようだ。


「今後も人や天使を食べてはいけないとは、私は立場上は言い難い。君の言うとおり、生存のために必要な行動だからね。」


「ただ、嫌悪感を示すニカフィムさんにも、寄り添ってあげてくれ。少なくとも今は、そっとしておいてあげてくれ。」


「はーい」紺碧は残念そうな返事を返した。


この説明で本当にいいのか……?何か大切なことが欠けてはしないか……?

そう自問したが、答えは見つからなかった。私も食わなくては生きてはいけない。自分の分の食事に手をつけた。



「ごちそうさまでした。」

「ごちそうさん。」


紺碧とミドが食事を終える。きちんとごちそうさまが言えるようになったのは、ニカフィムさんのおかげだろう。


「今日からしばらくはここで待機なんですよね?何をしてればいいですか?」と紺碧が尋ねる。


そういえば、彼らの暇つぶし用のタブレットは、基地に置いてきてしまった。活発な子供たちに、一日中何もしないで過ごせと言うのは無理があるだろう。

構ってくれそうなニカフィムさんもあの調子だ。どうしたものかと悩んでいたら、ミドがおずおずと口を開いた。


「あの……よければ……街、見たい。」


「そういえばミドは外に出たことなかったんですよね。外の空気おいしいですか?」


紺碧は脱走の経験があるから平然としているが、言われてみればミドは基地の外を知らない。知りたがるのは当然と言えるだろう。


私としても、内心はホムンクルスたちに色々な経験をして欲しい。色々と決めなければならないことはあるが、スマートフォンから対応できるだろう。


「わかった。じゃあ一緒に街を歩いてみようか。ただし、能力は使わないこと、私の見えないところに行かないこと、ミドは左目を隠すこと。これを守れるなら、だけどね。」


「……!」ミドは言葉にしなかったが、喜びが表情から満ち溢れているのがよくわかった。


「私もちょうど食べ終えたところだし、早速出発しようか。」


「やったー!僕が外の先輩として、色々教えてあげますからね!」


紺碧は何故か誇らしげだ。子供らしくて微笑ましいと、心からそう感じた。



「これは鳩です!鳥の仲間で、街にはたくさんいます!」

「これは信号機!青は渡れで、赤は渡っちゃダメです!」

「これはハエです!ばっちいので触っちゃダメです!」


紺碧は目に入るもの一つ一つをミドに説明していく。ミドは素直に感心したり、時々知ったかぶりをしたりしながらも、興味深そうに話を聞いている。

やがて、空き地の前を通りがかった。手入れがされていないのか、雑草が伸び伸びと生い茂っている。


「これは空き地です!どういう意味だろう?まぁ草がいっぱい生えてるところです!」


そう言うと紺碧は空き地の草をじっと見つめるかと思いきや、急に手を伸ばし、何かを掴んだ。


「見てください!カマキリです!本物捕まえたのは僕も初めてです!」


「わぁ……!かっこいいな」


ミドは目を輝かせている。そうでしょうと言わんばかりに紺碧は誇らしげだ。


「カマキリは肉食動物で、他の虫を食べます!何なら、自分の仲間も食べちゃうんですよ!」


「へー、お前と一緒じゃん。」


ミドは何気ない冗談のつもりで言ったのだろうが、これはまずいと思って口を挟もうとする。しかし、


「えーっへへ、そうですか?今度は大きいカマキリになろうかな?」


紺碧は少し間を開けた後に、嬉しそうな顔をした。二人の間で問題がないならいいのか?と思いつつ、二人がカマキリ談義に花を咲かせているところを見守った。



たくさん街を回って、夕暮れ時になった。あれから色々と回った。コンビニやショッピングモール、ファミレスで昼食を摂ったり。どれも一般人には日常的なことだが、ホムンクルスの二人には新鮮な出来事だったようだ。


ふと鐘の音が聞こえて、そちらを見やる。教会が日暮れを告げる鐘を鳴らしているようだった。


紺碧の解説がまた始まるか?と彼の方を向いた。紺碧は教会の方を、何を言うでもなくただじっと見つめていた。その顔立ちは端正で、生気が感じられない気すらした。


私は少しだけ怖くなって尋ねてみた。「教会には行ったことないのかい?」


「はい。行ったことないです。ニカさんにとって気まずい場所だって、わかってたので。」


日が暮れ、影が紺碧の顔に落ちた。紺碧は整った顔を崩さぬまま話し始めた。



「ねぇ、カマキリが仲間を食べちゃうのは、強い子供を作るためなんです。カマキリの子供はたくさん生まれてくるけど、たくさん死んじゃうから、少しでも多く生き残れるようにって、お母さんのカマキリはお父さんを食べちゃうんですよ。」


「でも、もし神様がいたとしたら、どうしてそんな風にカマキリを作ったんでしょう?たくさん死んじゃう子供に、共食いする習性。アイさんは共食いはダメだって言ったけど、カマキリは共食いする習性があるんですよ。」


「そんな風にカマキリを作った神様って、ほんとにいいひとなんですか?」



彼の表情は逆光で見えなかった。この問いが単純に聞かれたことを聞いているのか、天界への叛逆の意志を強めているのか、私には測りかねた。


「さぁな、そんなの知らねぇよ。」ミドが口を開いた。


「お前、ドリンクバーで変なミックスジュース作ってたじゃん。あれは単純に作りたいから作ったのか?それともほんとに美味しくなると思って作ったのか?」


「それは……」紺碧が口ごもる。


「どっちにしろ、作る理由にはなるだろ。神様にとって、作る理由なんてそれだけで充分だったんじゃないか。」


「……そっか。そうかもしれません。」


不思議だ。私が思いもよらなかった疑問を思いつき、それに答えを出してしまっている。

ああ、ホムンクルスの成長はなんて目覚ましい。

私は密かに感動していた。今まで見てきたどのホムンクルスたちよりも、この二人は情緒が発達してきている。

本当にそのことが嬉しかった。


「……そろそろ帰ろうか。夕食に間に合わなくなってしまう。


感動を隠すように二人に告げ、私たちは手を引きながら帰った。

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