EP.2甘美な青い果実

 光に満ちた天界。その輝きの中に、俺は息苦しさを感じていた。


周りの天使たちは皆、男女のペアで語り合い、戯れている。俺だけが、そこに馴染めない。


同性を好きになる自分。それは天界では許されない、禁忌の感情だった。


ある日、意を決して親友に打ち明けた。


「俺さ……男が好きなんだ」


言葉が喉から絞り出されるように出た。あいつの表情が凍りつくのが見えた。


長い沈黙の後、親友は重い口を開いた。


「ニカフィム……俺は黙っててやる。だが、他の奴には絶対に言うなよ」


その言葉は、俺の心に深く突き刺さった。理解してくれると思っていた。受け入れてくれると信じていた。


だが現実は違った。あいつの目には、同情と失望の色が浮かんでいた。


その日以来、天界での日々はより一層息苦しいものになった。

周りの輝きが、俺を押しつぶそうとしているかのようだった。



目が覚めた。夢を見ていたのか。

あの頃の記憶が、こんな形で蘇ってくるとは。


隣で眠る紺碧の寝顔を見つめる。

彼が同性からの愛情を受け入れてくれたのは、単純に無知だったのか、それとも本当に恐ろしくなかったのか。


少しばかり思案しながら、俺は再び目を閉じた。​​​​​​​​​​​​​​​​




 紺碧と同棲してから一ヶ月が過ぎた。俺たちはお互いを「コンさん」「ニカさん」と呼び合うほど親密になった。

一方で俺は、天使としての使命を放り出してここにいる。「ホムンクルスを殺す」という使命を━━

「おはようございますニカさん!今日はエッグベネディクトを作ってみたんですよ!」

「おお、すごい上達の早さだな」

和やかな朝食時に、流していたニュースから冷たい声が響く。

「続いてのニュースです、陸軍基地から、一体のホムンクルスが脱走したとの情報が━━」

「ホムンクルス。」思わず呟いてしまう。

俺たちが狩るべき存在、ホムンクルス。それが民間人の元に紛れ込んだというニュースを聞き、由々しき事態だと直感する。

きょとんとした様子のコンさんに問いかける。

「なぁコンさん、ホムンクルスって知ってるか。」

コンさんは首を横に振る。暖かいパンを皿に置き、ため息をついた。

「ホムンクルスは危険な存在なんだ。残酷で簡単に人を殺す、絶対に近づいちゃいけない。」

「何より……ホムンクルスは、神に存在が許されていない。存在してはいけないものなんだ。」

ふぅん、とコンさんは呟いた。どこか悲しそうな顔をしていた。優しいコンさんのことだ、禁忌の存在が生まれてしまったことに心を痛めているのだろう。

「ホムンクルスと人間には、一つだけ見た目に違いがある。ホムンクルスは左目の白目が黒いんだ。だから左目が黒い奴はもちろん、左目を隠している奴には近づいちゃダメだぞ」

「はぁい」と暗い声の返事。冷めてしまったパンを口に運ぶ。

「ねぇ、キスしません?」

コンさんが藪から棒に囁いた。俺はあまりの突然さに咽せてしまった。喉が落ち着いた頃、見つめ直したコンさんは微笑みを浮かべていた。

「い、いきなり何を━━」

「だって、僕たち付き合ってるんでしょう?それくらいいいじゃないですか。」

コンさんは立ち上がって机を回り、俺の目の前に立つ。柔らかな唇が目の前に迫る。

「ね?いいでしょ?」

長いまつ毛に彩られた瞳が、物欲しそうに瞬いている。俺は肯定の意を示すように、目を閉じた。

暖かい感触が唇に伝わる。首に腕が絡められ、胴と胴が接触する。

その瞬間、俺の中で何かが千切れる音がした。

コンさんを強く抱きしめ、舌を絡める。熱い感触が脳を駆け巡る。

ああ俺は、ずっと、こうしたかったのだ。美しい少年を、この腕の中に!

少し息苦しくなったのか、はたまた理性が戻ってきたのか、唇を離す。コンさんは目を丸くしていたが、すぐに満足そうにニマリと微笑んで、俺の真似をし始めた。

ああ、まるで悪魔だ。俺は今、悪魔に誑かされているのだ。

蕩けるような感覚に包まれた後、すっかり自分のものが熱くなっていることに気がついた。

「……寝室に行こう」

コンさんの手を引いた。


 まだ日も高いというのに、コンさんをベッドに押し倒し、再び熱いキスをする。

コンさんのシャツに手をかけ、脱がせようとするが、コンさんに手首を掴まれてしまう。

「えっ」

「えっ……?なんで今脱がせようとしたんですか?」

そう言われて、世にも恐ろしいことを直感してしまった。


コンさんは、子供だ。愛されたいだけの子供だ。


俺が先に舌を入れたから真似しただけだ。本質的に性行為を理解してるわけじゃないんだ。ああでもこの様子なら、上手く丸め込めば転がり落ちるようにコンさんは抱かれてしまうだろう。そのことのどれだけ恐ろしいことか!

背筋に悪寒が走り、最早そういう気分ではなくなってしまった。

「なんでもない!やっぱり、なんでもないんだ。」

そう口走って、逃げるように寝室を後にした。

興奮と罪悪感と不快感が、胃の中を駆け巡っているようだ。全てを吐き出して忘れるため、俺はトイレに駆け込んだ。


 その日の夜。僕は久々にニカさんの部屋ではなく、自分の部屋で眠ることになった。ニカさんの部屋はダブルベッドだから、充分寝るスペースはあるはずなのに、朝の出来事が気まずいからと断られてしまった。

一人の寝床は、狭いはずなのにひどく広く感じた。眠りも浅かったのか、深夜に一人目覚めてしまった。

なんとなくトイレに行って用を足し、洗面所に写る自分の顔を見た。


左目の白目が黒い、ホムンクルスである僕の、本当の顔を。


「いけない、擬態が解けちゃってる。」

目をぱちくり、数回瞬きして、「いつもの顔」に戻した。

ニカさんは天使だ。ホムンクルスを狩る者だ。僕が脱走したホムンクルスだとわかれば、きっと僕を殺しに来るだろう。

それはきっと、ニカさんにとって望ましくないことだ。だからずっと隠したままでいるんだ。

そういえば、今朝服を脱がそうとしたのは、結局なんだったんだろう。

「ニカさんになら、僕は何をされても構わないのに」

呟いて洗面所を後にした。


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