ものがたり 2
山井
第二章 陰謀と傀儡 ① ミガシとウルア
力、というものが無辜の者にこれほど冷酷に振り下ろされたことはない。
嘘つきの解古学者たちが口々に「セキソウの村の悲劇」を語り出す頃、聖都はまるでそれを跳ねつけるかのように〈神霊祭〉へ向け準備を進めていた。
夜になっても灯りの絶えないそんな景色が東向きの窓から遠く望める。
凄惨な光景を目のあたりにして幾つかの夜を数えたものの、そこに佇む少年の瞳から赤黒い闘志が途絶えることはなかった。短く刈り込んだ髪も、裾や袖を切ってこしらえた『スケイデュ』の黒い制服も、復讐にも似た強い決意の現われなのだ。
こんこん。
「失礼いたします。フローダイム様より伝令です。この度は紙鳥でありますゆえお受け取りください。」
簡単な音声を覚えさせて集団で再生させる蟲伝えではなく、より長い文章や誤解を招かないための文字を必要とした手紙を鳥に託して伝える通信方法が紙鳥だ。毒鳥とはいえ、二羽三羽と飛ばしても戻らないことが無いわけではない。それでも急を要し当地に距離があれば仕方なく選ばれる手段でもある。
「 〈木の契約〉をダジュボイ・モクより聞き出し、早急に「子」を育てよ。
〔こあ〕〔ヒヱヰキ〕〔魔法〕への動きが活発になっている。 」
「・・・ふぅ。」
『スケイデュ』の長に就いていても聞かされない情報は多い。
「どうしましたミガシ団長? なんかヘンな・・何か妙なことでも書いてあったの?・・・ですか?」
慣れない言葉遣いに手こずりながらもハユは顔をしかめた団長に尋ねる。
「いや・・・。」
教皇やフローダイム、それに『フロラ』までがなぜ〔魔法〕や〔ヒヱヰキ〕などといった訝しい寓話の産物を求めるのか、それ以前に信じているのかさえ分からなかった。
ただ、それが覇権を争う上で何かとても重要な鍵を握っているのだろうとは感じている。だからだろうか、最近その男の本棚にはいかがわしい本が増えてきていた。バカバカしいものがほとんどだが、幼い頃を思い出させるものもあって実は密かに気に入っている。
「ハユよ、確かお前も両親を早くに亡くしたのだったな。」
フローダイムからの指示もあったがハユは好きで身近に置いていた。
参謀役や直属の兵さえも付けることがなかったため周りの者たちもやや困惑している。
「はい。いつかお話したように物盗りが襲ってきて・・・。その時もにい・・兄が、おれ、わたしを守ってくれました。
ミガシ団長、わたしも村のヒトたちの姿はすべて見ましたけど、その、他には、なかったんでしょうか・・・にい、兄が、まだ生きている気がしてならないんです。」
遊団長の介添えとして午後は組織の連関や簡単な心得を学ぶことになっている。ただ午前中の教養と体術の研修だけでは礼儀作法までは学べなかったようだ。そのため今は、先輩団員の立ち居振る舞いや言葉遣いを見よう見まねで体現しているところだった。
「近隣の村や町にいる者たちからはまだ何も聞かれないな。他人種から見ればヌイもコネも同じ部族に見えてしまうのだろうが、これは我々とて同じだ。
お前の兄に、なにか分かりやすい特徴でもあればいいのだが・・・。」
セキソウの村の一件以降はこうして基地で情報の整理やそれに基づく指揮を執ることが多かった。
情報部隊の収集員から上がってくるもの、またその他のルートから手に入れたものはいったん連隊長のところで振るいにかけられる。
だが、広い見識と秘密事項を持つ中枢でないために切り捨ててしまうものもごく稀にあるため、時間のある時はこうしてボツにされた情報や資料にまで目を通す作業に手を回していた。一度は捨てられたものなので機密と呼べる情報はないものの、手持ち無沙汰もつまらなかろう、ということでハユもこの作業に付き合わせてもらっている。
「あいにく、ありません。・・・ひひ、真面目で、やさしい。それくらいです。」
ミガシの笑んだ顔をもう幾度か見てきたこともあり、ハユの中の恐怖はずいぶん薄らいでいた。あ、これさっき読んだ、などのミスならば何も言わずに「確認済み」の判を差し出すだけだ。
してはならない間違いでない限りきっとこの男は無闇に怒ったりはしないのだろう、そうハユは感じている。
「そうか。見つかればいいな。・・・いや、見つかるだろう。」
目を下ろしたそこには東棟の湯管が壊れた、やら、南の離れの厠が臭い、などのクレームまである。基地内に設けた匿名での情報提供箱のものなのだがまさかそれが遊団長に読まれるとは書いた当人とて思いもよらなかったろう。
「あの、ミガシ団長。さっき「お前も」って言って・・・」
下官が上官の家族背景を尋ねるなど当然今まで誰もしてくることはなかった。
上からの指示に従い下を然るべく動かす、という一連の流れに文字通り逆行するものだったから。
「ああ。だが話すと長くなる。・・・ふ、面倒な家に生まれてな。こう見えて俺は良家の出なのだ。」
自嘲めいたその顔に切なさを感じながらも手許の紙に目をやる。
「あ、えと、はい。・・・ん? 団長っ、こ、これ・・・」
そこには門衛から上がってくるはずだった、風読みたちの話があった。
「どれ、見せてみろ。
・・・な、
か、・・・風読みがっ?・・・なぜここへ来るのだっ!」
自分と異なる部分に取り乱しているミガシに、差し出がましいながらも聞いて欲しくてハユは言葉を続ける。
「あ、団長。え、あの、じゃなくてここ。おれ、わたしを探しに来たらしいんです。わたしを弟と呼ぶヒトが、・・・来たと。
・・・・団長、あの、あの、門衛の係を、していたヒトのところへ、あの、行っても、いいでしょうか。」
声を震わせ立ち上がって、半分地団太を踏んでいるハユはもう胸が詰まって躍ってしまって気が気ではなかった。
「あ、いや、戸の前の者にその門衛を呼ぶよう伝えよ。」
はいっ、とひとっ飛びして戸を開け放つハユとは対照的に、ミガシはひとり脂汗を流している。
そこへ。
「こんにちは。・・・おや。ふふ、この子が・・・いや。久しぶりですね、ミガシ団長。」
遊団長の言を兵に伝えて上機嫌になるハユの後ろから、温和な笑みを湛えたチヨーの要人が音もなくフラリと入ってきた。
「うあっ、びっくりした・・・あいや、えと。こんにちはです。」
「・・・これは、ウルア執官史。ハユ、お前は――――」
「いえいえ。紙鳥はお受けになられたのでは?」
刺繍の抑えられたローブを揺らし、その老夫はミガシの言葉を遮ってハユを椅子に掛けさせた。
「準備が・・・よいのですな。というより時局が予断を許さぬ、といったところか。」
そう漏らすと水出しカコ葉の茶を自ら洋杯に注ぎ、ミガシは来客に差し出す。
「あの・・・団長?」
「いや。そのまま聞け、ハユ。」
世話係を付けないミガシの所へ高位の者が現れたときのクセが抜けていないようだ。
「ふふ、一足先に寄らせてもらっただけです。明日にでもモク老はここへやってきますのでね。もう一人予定していた老翁は・・・事情があって来られなくなりました。その変更もあって訪ねてきたのですよ。
さて・・・ハユくんでしたね。勇ましい恰好ですね。ヌイの誇り高い男子らしい良い目を、あなたは持っています。」
返答を待つのではなく頷くことだけに終始させた話術だった。共感を誘う典型的な手法だ。
「ここへ連れてくる者はあなたにとってきっと敵に見えることでしょう。あなたの憎むべき組織と同じ人種の者なのですから。
しかしハユくん、敵を知らなければこちらが有効な手立てを用意できないということはわかりますね。」
念を押すようなその確認にも、ハユはきちんと頷いた。紙鳥では足らなかった話を持ってきたのであろうウルア執官史はそのままミガシを差し置いて続ける。
「あなたに力を貸してもらいたいのです。憎しみを一度その心の奥にとどめ、彼の説得に手を貸してもらいたいのですよ。」
まだ正式な団員にもなっていない自分になぜ、とミガシを仰ぎ見るも、その大きな顔にはどちらとも取れない表情しかなかった。
「あ、あの。わたしには、その・・・」
断る理由はなかったが受ける資格もないように思えて混乱してしまう。
年端もいかない少年に、ミガシよりも高位にある者から直接なにかを頼まれるということ自体が非日常的な展開だった。
「あなたにはそれができるのですよ。黒ヌイのハユ。[打鉄]の継承者。」
ふふ、と笑むウルアのその不気味な薄目に視線が重なる。
こんこん。
「失礼します。・・・あ、失礼しました。」
入ってみたら応接中とわかり出て行こうとする団員。
風読みとキペに会い、団員名簿を確認した例の男だった。
「いや、入れ。ウルア殿にも聞いてもらった方が教皇への話も早かろう。」
ミガシが教皇と何か繋がりがあるのは知っていたハユも、目の前のミクミズ族の老人まで関係があるとまでは思わなかった。ミガシの高圧的な態度が緩むのも頷ける。
「は、はい。」
ハユは別として、二人も位のある者がいるため男の顔は半ば引き攣っていた。
「当時の説明を。」
眉根を寄せるミガシをよそにハユはきらめきにも似た眼差しでその団員の言葉を待つ。
「はい。五日ほど前になります。陽の上ぼりきる頃、風読み様とホニウの青年が当兵団基地正門にて団員帳簿の開示を求めて参りました。
無論お断りはしたのですが、ヒト探しであるため、また、風読み様とその従者であるため悪用はされないと判断し、わたくしが名簿から当該団員を検索しました。
しかし見当らなかったためお帰り願ったのですが、風読み様から上官への面会を強く要請されましたゆえ、その旨伝えておきますと約束し情報部隊より第二連隊上役へ申請と報告をいたしました。」
んん、とウルアはひとつ唸りミガシを見遣る。
そんなものよりも大事なことが聞けなかったハユは息を飲んで、手を挙げる。
「は、はい。横から口を挟んですみま、申し訳ありません。あの、えっと、その青年は、その、青年は、あの・・・あの、・・・」
声が詰まってしまって、うまく話せない。
あの残虐な村の影を見てからずっと見えなくなっていた可能性が、希望が、いま目の前にあると思うと胸が熱くなって声にならなかった。
「ふふ。いい、俺が継ぐ。お前、その青年は「ハユ」という子を探していなかったか?
そしてその姿はここにいるハユに似てはいなかったか? ヌイの、真面目でやさしそうな男ならそれはこの者の兄なのだ。」
ほどけるように笑むミガシがあまりにも不気味だったのだろう、団員はいっそう緊張を高めてまっ白になりそうな頭の中からその顔かたちを引っ張り出す。
「は、はい。求められた名前はその通りでした。ただその、ヌイ族の者だったかは断定できませんが、そこにおられる方のような黒耳と黒髪でした。確か恰好は、上っ張りとさらしを――――」
「ひ、額にも当て布を、おなかに革の腹当てをしていませんでしたかっ?」
息を整えるのももどかしいほどに前のめりになり、飛び出してしまう声を抑えようともしない。
「ええ。左肩の辺りにも包帯があったような――――」
「に、に、兄ちゃんだあっ! はぁ、はああ、にい、・・・兄、です。
あ、あの、そのヒトはその後どこへ?」
何かが理解できたらしいウルアは落ち着きを取り戻し、その感動のやりとりを見守ることにする。
「後日いらっしゃるとは言っておられましたが、まだ・・・。聖都にいらっしゃるのではないかと。」
飛び上がりたい気持ちをなんとかしてなだめ、ハユは立ち上がって大きくその団員に礼をする。
「わかった。下がれ。あ、いや、聖都近郊で風読み及びその青年、確かキペだったな。その者の目撃情報等を集めるよう情報部隊に伝えておけ。」
はい、とこちらも深く礼を返し団員は出て行った。
「ハユ、はやる気持ちはあるだろうが兄の方は任せておけ。そしてお前にはどうやらやらなければならないことがあるようなのだ。できるな?」
きりりと顔を作り、ハユは応える。
「はいっ!」
兄・キペについては遊団が探してくれるのだ、すぐにでも安否も行方もわかるだろう。
だが今、自分には何やらよくわからない使命が言い渡されたのだからこなさなければならない、そう理解し自分に誓った。
「よろしい。ふふ。それでは段取りを説明しますが、その前に。
ハユくん、あなたには自覚していただかなければならないことがあります。こころして聞き届けてください。」
そして紙鳥でも伝えきれないような、長い長い話は続いていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます