第9話 婚約者、赤貧伯爵家を訪れる

「いらっしゃいませ、ジョシュア様。」

 じいや、ばあやと共に急いでエントランスに向かって滅多に使うことの無い正面玄関を開けると、さび付いた門の方から水の枯れた噴水のあるアーチを走って来た馬車が目の前で止まった。

(なんて綺麗な馬車)

 ぱっとみるかぎり滑らかな飴色の木目調で華美なものではないけれど、繊細な飾りが打ち付けられた馬車の美しさに、幌のついた辻馬車にしか乗ったことの無い私は、馬車から降りたち、呆然と屋敷を見上げたジョシュア様に挨拶をした。

「あ、あぁ。先日ぶりだね、ポッシェ嬢。今日は急にやってきて申し訳ない。しかし……」

 すると、私に気が付いたジョシュア様は、私に挨拶をした後ぼそっと呟いた。

「まさか、あの噂のお化け屋敷がテールズ伯爵邸だったとは……」

「あの、ジョシュア様。噂、とはいったい?」

 その呟きに首をかしげると、彼は『いや、すまない』と謝ってから教えてくれた。

 曰く。

「貴族街にある大きなお化け屋敷……ですか。」

「あぁ。かなり有名な噂なのだが……知らなかったのか?」

「いえ、あの、聞いたことは……しかしそれが我が家の事とは思わず……」

「そ、うか?」

 庶民外にはしょっちゅう行っていたし、市場でもよく色々な話を聞いていた。お化け屋敷の話もきいたことがあるが、まさかそれが、自分が住んでいる家だ! とわかる人は少ないだろう。

 反応に困っているジョシュア様に、私はにこっと笑った。

「確かに周りのお屋敷に比べれば、手入れも行き届きませんので高い木が多く、庭も花が少ないので見劣りするかもしれません……ですが、私が住んできたお屋敷でしたのでそれが我が家だと思わなかったのですわ」


「あ、あぁ。そうだな。このようなことを行ってしまい、申し訳ない」

 それには、ジョシュア様は少しだけ目を見開いた後、少し眉を下げると静かに頭を下げられた。

「いいえ! お気になさらないでくださいませ。少々吃驚しただけで、ジョシュア様が謝られることではありませんわ」

「しかし、思い出を傷つけることになってしまった。申し訳ない」

 再び頭を下げられたジョシュア様に、私は慌てて首を振り、気にしないように声をかけ、そうやってこの場の空気を変えようかと思っている時だった。

「お嬢様、エントランスでお話しなさるのもよろしいですが、そろそろ中へお入りくださいませ。婚約者様もどうぞ」

 じいやの声に、私はぽん、と一つ手を合わせた。

「あぁ、そうね。ジョシュア様、それから従者の方もどうぞお入りください」

「あぁ、紹介がまだだったな。 彼らはこの屋敷の補修を受け持ってくれる者達だ」

 私の言葉に、ジョシュア様が思い出したように振り返り、馬車から何やら工具など降ろしていた男性に合図をする。すると彼らは手を止め、こちらを向いて頭を下げた。

「お屋敷の修繕工事を請け負います、ウォード商会建設部門の責任者スミスと申します」

「スミス様。どうぞよろしくお願いいたしますね」

「私共は庶民ですので、敬称は不要です。よろしくお願いいたします」

「わかりました。ではまず、此方にどうぞ」

 挨拶を終え、私は皆様をサロンへと案内した。

 エトランスからメイン廊下を通ってお屋敷の中腹にあるサロンに向かって歩きながらも、驚いた様子を見せながら、きょろきょろと内装を見るジョシュア様と関係者の皆様。

 耳を澄まして内容を聞けば、あれは、これは、と、屋敷の建築様式と内装についてお話をされているのが聞こえた。

 よくわからない専門用語に首を傾げながら、じいやが扉を開けてくれるのを待って、サロンへとお客様を招き入れた。

「どうぞ、ジョシュア様はこちらへ。 皆様もどうぞ、お座りください」

 私が指し示したソファにジョシュア様が近づくと、後ろに付き従っていた侍従の方が、胸元から一枚のスカーフをソファに広げられ、ジョシュア様はその上に座られた。

 そして、キョロ、キョロッと室内を見回し、正面に座った私を見る。

「ソファや家具も随分と古い。数も少ないが、厳選しているかな?」

 不思議そうに尋ねられたが、むろんそんな事はないため。私は首を振った。

「いいえ。昔はそれなりに調度品もあったのですが、めぼしいものは両親が売り払ってしまいました。ここにあるものは大きく重く、また古すぎて売れなかった物、値のつかなかった物ばかりだと思います」

 答えれば、目頭をぎゅっと押さえたジョシュア様は、パット手を離し、私を見た。

「そう、か。それではポッシェ嬢、この家の中の家具はすべて入れ替えても良いだろうか? 何か大切な思い入れがある、という事や物はあるだろうか?」

 その問いに、私はびっくりした。

「思い入れなどはありませんが、すべて入れ替え、ですか? それは……」

 家具をすべて入れ替えとなれば、それなりにお金が必要になるだろう。そんなお金は我が家にはないのは御存じのはずだが、どう答えたらいいだろうかと悩んでいると、彼は私の胸の内がわかったのだろう、穏やかな笑顔を浮かべた。

「商売柄、結婚後はこの屋敷にも来客が増える。アンティークも良いが、やはり商売の相手となるとそれなりに見栄えも必要となるんだ。だから、差し障りなければ内装も家具も変えさせてほしい。それらの費用はこちらが経費として持つから安心してほしい」

 そう説明され、なるほどと私は頷いた。

「お商売をなさっていると、ご自宅にお招きすると言うこともあるのですね。幼いころからあるものですので思い入れはありますが、お仕事に必要な事でしたらお好きにしてくださってかまいません。ただ、それですとかなりのお金がかかってしまうのではありませんか……?」

 私の言葉に、ジョシュア様はにこやかに微笑まれた。

「契約の中の浪費の事を気にしているのならば問題はありません。これは事業を行う上での必要経費ですから」

「そうですか、解りました」

 ジョシュア様の言葉にほっとして頷いたころに、ばあやが軋んだ音のする車輪のついたカートで、お茶とお菓子を持ってきてくれた。

 濃い琥珀色のお茶を、唯一来客用の中で残っていた簡素な白いティーカップに注ぎ、クッキーを添えたうえで、私とジョシュア様の前においてくれる。

「どうぞ、ジョシュア様。当家はこのような有様ですので、先日頂いたようなもののように見栄えはしませんが」

「いや、頂こう。……うん? 少し変わった香りのお茶だな。」

「我が家でいつも飲んでいるものです。お口に合うといいのですが」

「なるほど、では頂くとします」

 ティーカップを手に、香りをかいだジョシュア様は、そう言ってカップに口を付ける。

 それに合わせ、私もお茶を一口含んだ。

(いつもの味だわ。体にいいのよね)

 苦みのある、爽やかな味に口元が綻ぶ中、添えられたクッキーに手を伸ばす。

 さくっとした焼き加減は、流石はばあやと言ったところだろう。

 上等な白いお砂糖は少しお高いので控えめにし、バターは高くて買えないのでお肉屋さんからもらったスエットに変えている。しかし、ローズマリーを刻んで入れたあるため風味も良い。

(クッキーも上出来ね。)

 いつもの穂ッとする味を堪能しながら顔を上げると、やや難しいお顔をなさっているジョシュア様と目が合った。

「どうかなさいましたか?」

「いや……珍しい味と香りだと……ポッシェ嬢、これはどこのお茶か聞いても良いかな?」

「はい」

 私は頷き、説明をする。

「こちらは庭でとれた『ドクダミ』という薬草を乾燥させて作ったドクダミ茶です。お菓子も私の手作りです」

「手作り?」

「はい。購入することはできませんでしたから、いつもこうして手作りしているのです」

「そう、か」

 お菓子を手に取られて食べていらっしゃるが、なんだかちょっと微妙なお顔をなさっているのが見えた。

「どうかなさいましたか?」

「いや……君は日々、どのような暮らしをしているのか、とても気になった……。」

「日々、ですか? 一般的な伯爵令嬢と変わらないと思います」

(だって、前菜もスープもメインディッシュもちゃんと作っているし……)

「まぁ、そうだな。 令嬢でもお菓子作りはすると聞いたことがある……」

 納得したような出来ないような、ものすごく微妙な顔をなさったジョシュア様は、お茶を半分ほど飲んだところで、気を取り直して、とじいやとばあやの事、私の事を聞かれた。

 調べたのではなかったのかと思ったが、問われるがままにお話しした。

 そこで、この屋敷にじいやとばあやしか使用人がいないこと(正面の門の開閉がとても大変だったそうだが、なるほど納得した、と仰った)、そして改めて二人の年齢を聞いてとても驚かれ、元々カミジョウさんが計算してくれていた金額以上の、それこそ二人の腰が抜けてしまったほどの未払いのお給料と退職金、そして慰労金を支払うと約束してくださったのだ。

「大変ありがたいのですが……宜しいのですか?」

「かまわない。君を育ててくれた親のような方々なのだろう? これでも安いくらいだ」

 そう言ってくださったジョシュア様の気持ちに涙があるれ、感謝を伝え頭を下げると、彼は口元を押さえそっぽを向いてしまわれた。

 その後、お茶を終え、サロンを出ると私の案内で、地下にある厨房や使用人たちの食堂に作業室、家令の執務室、主に社交用の1階の、プライベートエリアとなる2階、屋根裏の使用人部屋と、屋敷の全ての部屋を見られ、それから庭と、朽ちた温室を見た。

 皆さんその場ではあまりお話しなさらなかったが、サロンに戻ると、様々な意見を出された。

 結局、お屋敷は全て。壁や床、天井に至るまですべて内装を修繕し、新たに伯爵家に相応しい家具調度を搬入、外観も補修工事をし、庭も温室も手入れをしたのち、花の入れ替える事となった。

 しかも、これらの大規模な工事を結婚式の終わる3か月後には完璧に終わらせるように、と命じられていた。

 また、使用人は現在ジョシュア様のお屋敷にいる方がそのままいらっしゃるようではあるが、それだけでは足りないだろうと新たに何名家雇い入れる事が決まったようだった。

「ポッシェ嬢、ここまでで何かあなたから要望はあるだろうか?」

 最終確認として私の意見を聞いてくださったジョシュア様だが、ここまでの話し合いで、かなり大掛かりな工事で費用もかかると耳にした私は、申し訳ありませんと頭を下げるしかなかった。

「いいえ。それよりジョシュア様。私はこのお屋敷で今まで十分住んで来れました……このように大掛かりなことは……「ポッシェ嬢、これは私の仕事に必要なのだ、君は気にしなくていい」

「……ですが」

「大丈夫だ。それより君は今までどんな暮らしをしてきたのだ」

 食い気味に私に聞いてこられたジョシュア様。

「どんなときかれましても……ごく普通の生活、でしょうか?」

 言葉を選びながらそう答えれば、ジョシュア様が黙り込んでしまった。

「あの、ジョシュア様……?」

「お嬢様。お昼に差し掛かる時間でございますし、ご昼食休憩を挟まれるのはいかがでしょうか?」

 考えこんでしまったジョシュア様に困っていた私は、じいやの声掛けに助かった、と思い頷いた。

「もうそんな時間なのね。ジョシュア様、昼食をご用意させていただきましたので、ここで一度、休憩を取るのはいかがですか?」

 そんな私の提案に、ジョシュア様が頷かれた。

「……そうだな。そうさせていただこう」

「では、食堂にご案内いたしますわね」

 そして、物語は最初に戻るわけである。

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