第7話 お見合いと、契約成立。
待ち合わせの場所へ向かう馬車の中で、付け焼刃ではあるがお茶の席でのマナーをレーラさんから指導された私は、そのまま、足を踏み入れたこともないような素敵なレストランの一室に連れて行かれた。
(あの絵姿、本当だったのね。)
そこにはすでに絵姿にあった男性の姿があって、その麗しさにに私は言葉を失ってしまった。
「ご足労頂きありがとうございます、ポッシェ・テールズ女伯爵様。こちらがウォード商会会長ジョシュア氏でございます」
カミジョウさんがそう言って紹介してくださった、綺麗な黒檀の髪に露草のような青い瞳。すっきりしたお顔に私よりも頭1つ半は大きな男性は、こちらを見て微笑むと、静かに膝を折って頭を下げた。
(あら? どうなさったのかしら?)
「テールズ女伯爵様、お声を」
(そうだったわ! 身分の上の者から話しかけるんだった!)
目の前でしゃがみ込まれてしまい動揺する私に、後ろに控えていたレーラさんに囁かれ、慌てた私は足腰を震わせながら、ばあやの前でしかしたことのないカーテシーをとった。
「はじめてお目にかかります。テールズ伯爵家当主ポッシェです。ジョシュア様、お顔をお上げになってください」
カーテシーから体勢を戻しそう告げると、跪いたままジョシュア様は頭を上げた。
「初めてお目にかかります。ウォード商会長をしておりますジョシュアと申します。テールズ女伯爵様とお会いできたこと、身に余る光栄でございます」
そう言いながらふわっと浮かべられた微笑みに、私は顔に熱が集まるのを感じる。
(綺麗なお顔、それにとても丁寧な方だわ……)
「さぁ、ここで立ち話も何ですから、席にご案内いたします」
何もかも初めて続きの上、想像よりも素敵な方だったことに呆然としてしまった私に気が付いたのか、カミジョウさんがそう声をかけてくれたため、私達は用意されていた席についた。
◆
穏やかに微笑みを浮かべたままのジョシュア様と、カチコチの私の前に運ばれてきたのは、市場へ向かう道すがら、高級パティスリーやサロンで並ぶ人の横を通り過ぎるときに聞超える噂話で想像するしかなかったお菓子の数々だった。
(ふあぁぁあ~)
鼻をくすぐる、甘くて爽やかな香りよいお茶も、目の前の一口サイズの様々な色にお花に果物の飾られた色とりどりのお菓子も、すべてが初めて見て感じる物ばかり。
(なんて綺麗なのかしら……これが、お菓子なの?)
我が家のお菓子と言えば小麦粉を水で溶いて庭のハーブを刻んで入れた記事を薄焼きにしたものや、珠にパン屋でもらうパンの耳ばかりで。
ただただその美しさに目を奪われ、見ているしかない私の耳にくすくすと面白がるような、けれど馬鹿にしたものではないと解る笑い声と共に優しい声が聞こえた。
「ポッシェ嬢、どうぞ、召し上がってください」
顔をあげれば声の主はジョシュア様で、私を見て穏やかに微笑んでいる。
「お行儀が悪くて申し訳ありません!」
そんな風に声をかけなければならないほど物欲しそうな顔をしてたのかもしれないとおもい慌てて謝ると、いいえ、と言って彼は微笑んでくれた。
「貴女に食べていただくために用意した物ですので、かまいませんよ。お好きな物をお取りしましょう」
「え? いいんですか!? あ、すみません……」
「謝らなくてもいいんですよ。どうぞ、お食べください。君、取り分けて差し上げて」
「畏まりました」
食い意地が張っている字顔が真っ赤になるをの感じながら、それでもその誘惑に抗えずジョシュア様の言葉に頷くと、彼はお店の給仕の女性に目配せした。
すると、濃紺の私の来ていた者よりずっと美しいお仕着せを着た女性が、丁寧にお菓子を小皿に取り、私の目の前に置いてくれた。
「さぁ、どうぞ」
「……いただきます」
わざわざとってくださったものを遠慮するのは逆に失礼だと思い、私は意を決して目の前のお皿を見た。
(ふあ……素敵)
自然に頬が緩むのがわかる。
家では見たこともない、染みもくすみも欠けない真っ白なお皿の上には、お母様のアタシよりも大切な宝石箱の中のように、光を受けてキラキラと綺麗なお菓子が並んでいて、私はすっかり夢見心地になった。
(お皿の横にフォークとスプーンがあると言うことは、手づかみはダメって事ね)
うん、とちいさく頷いてから。
小さな小さなケーキにそっとシルバーのフォークを差すと、ナイフを使い半分に切って、そっと口に運ぶ。
パリッとした苦くて甘い外側の皮が融ける。それとは別に、中に包まれていたふわふわの部分からじゅわぁ~と溢れ出る、口の中が熱くなるような、それでいて蕩けるほどに甘い蜜の味が口の中一杯に広がる。
歯を当てなくても、崩れていく。
そのまま蕩けて、解けるように崩れて、口の中から消えてしまう。
それが名残惜しくて、幸せで。
「ふあ……あ。 美味しいのが消えちゃう……。」
きゅっと目を閉じ、消えてしまう余韻を逃がさないようにしてみると、一瞬だけ、甘さが帰ってきた気がした。
(ふわって。甘って。なんて美味しいの……あぁ、じいやとばあやにも食べさせてあげたいわ……)
世の中にはこんなにおいしいものがあったのね!? と思いながら、消えていく口の中の余韻を最後までしっかりと味わっていると、取り分けてくれたメイドさんが笑顔を深めながら教えてくれた。
「お気に召していただけたようで光栄です。こちらは、きめ細かく作り上げたスポンジケーキに、最高級の糖蜜とアルコールを飛ばしたラム酒を当店秘伝の配合で合わせた物に浸けこみ、トラリア産の最高級チョコレートでコーティングしたプチフールでございます」
(……ちょっと何言ってるかわらない……? 呪文? 何かの呪文なの?)
メイドさんの説明に戸惑いながら、私は取り繕うように笑顔で頷いた。
「そうなのですね。とても美味しくて、びっくりしました」
「では、もうひとついかがですか? 今度は切らずにそのままお召し上がりくださいませ」
「いいのですか?」
「はい」
にこやかにメイドさんは笑いながら、おなじ菓子を取ってくれたため、勧めらるまま口の中に入れてみた。
そうすると、今度は固いコーティングが融け消えたタイミングで糖蜜が溢れ、先程とは違った味わいに私は両手で頬をおっ冴えてしまった。
(美味しい、とっても美味しいわ! 頬が落ちそうというのはこんな感じなのね! あぁでも、こんな贅沢なお菓子を私が食べていいの? 罰が当たってしまうのではないかしら? ……あ!)
その後も、メイドさんが切ないしながら取り分けてくれるお菓子のあまりの美味しさに、対勧められるまま何個も食べてしまったが、ふと突然、今、自分がお見合いの席でにいることを思い出した。
恐る恐る正面を見ると、此方を観察するような目でこちらを見ているジョシュア様に気が付き、慌てて手を頬から離し、頭を下げた。
(あぁ! 知らない間にこんなにも食べてしまっていたわ。きっと、行儀の悪い浪費家だと思われてしまったに違いないわ!)
「も……申し訳ございません、はしゃいでしまいまして」
シルバーを置き、慌てて頭を下げた私に、彼はふっと柔らかに笑うと、隣に立つメイドさんを見た。
「いえ。そのように美味しそうに食べてもらえるとパティシエも喜びます。君、もう少し、そうだな、ぷちふーるだけでなく、他の菓子も持ってきてほしい。彼女が大変に気に入ったようだからね」
「かしこまりました」
こんなに食べてみっともない!と言われるかと身を縮こまらせてしまった私は、もっと持ってくるように指示を出したジョシュア様を見た。
「あ、あの……よろしいのですか?」
「えぇ。これくらいかまいませんよ。それより、お見合いの場ですので少しお話をしましょう。……ポッシェ嬢とお呼びしても?」
「えぇ、はい。私も、ジョシュア様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
ウォードさん、と呼ぶのは違う気がしてそう問うと、彼は首を横に振った。
「私は庶民ですので、ジョシュアと」
「だ、駄目です!」
それには、私は勢いよく首を振って拒否した。
「私より年上の方を呼び捨てだなんてできません。ぜひジョシュア様と呼ばせてくださいませ」
にこっと笑ってそういうと、彼はきょとん、とした顔をし、それからふわっと笑って頷いた。
「わかりました。ではそのように。……ところでポッシェ嬢は、当主になられたばかりだとか」
「はい。お聞きになられているとは思いますが、我が家の諸事情から、先日女当主になりました」
それには、彼は頷いた。
「えぇ、カミジョウから伺いました。それから、ご気分を害されるかもしれませんが、念のために調査書以外の事も少々調べさせていただきました。その上で。私は仕事上の都合で爵位が欲しい。貴女は家のためにお金が欲しい。そういう事でよろしいですか?」
(……単刀直入だわ。でも、ごまかされるよりはいいし、私も包み隠さず正直に話せるわ)
率直な物言いに、私は少し背筋を伸ばし、返答する。
「その通りです。ですが私、実は爵位に興味も執着もないのです。お見合いのお話を頂くまでは、自己破産し、爵位と領地を国へ返上をするつもりでしたので。……お見合いをお受けしたのは、長年勤めてくれたじいや……いえ、家令と侍女長に、不払いだったお給金と退職金、それから慰労金を渡して、長年の忠義に報いたいためなのです」
正直にお話しすると、彼は頷いた。
「えぇ、その話も伺いました。しかし、上位貴族の令嬢としてお育ちの貴女が平民として暮らすのは難しいでしょう。こうして拝見し、貴方なら私の結婚の条件に当てはまると判断しました。どうでしょう、私の妻になっていただけませんか?」
その言葉に、私はほっとしたのと同時に、申し訳ない気持ちになった。
「それは、はい。しかしジョシュア様は私なんかでよろしいのですか?」
「私は、貴女がいいと思いました」
真摯に答えてくれるジョシュア様に、私は頭を下げた。
「ありがとうございます。謹んで、お受けいたします」
(……よかった……これで、じいやとばあやに報いる事が出来るわ)
ほっとして胸をなでおろすと、ジョシュア様はカミジョウさんに目配せをした。
すると、カミジョウさんが何やら書類をもって私の方へ足を進めた。
「では、契約を結びましょう。ポッシェ嬢、その書類をご覧ください。」
「はい」
見せられたのは、先日聞かされた結婚相手位求める条件の内容が詳細に書かれた契約書と、貴族院へ提出するために特別に誂えられた、中央に国の紋章が透かしで入った婚約誓約書だった。
「ポッシェ・テールズ女伯爵様とジョシュア・ウォード様は、本日をもって婚約が成立し、3か月後に正式に御結婚という形になります。よろしいでしょうか?」
「はい」
カミジョウさんの説明に、私も、ジョシュア様も頷いた。
「ポッシェ嬢からのご希望はありますか?」
にこっと微笑んでそう言われたジョシュア様に、私は少しだけ考えて答えた。
「私は、借金がなくなり、家令と侍女長にお給金と退職金が払って上げられればそれで……。あ、そうですわ。テールズ伯爵家には南西に領地があるのです。元は潤沢な資源を持つ土地でしたが、ここ十年余りは赤字をかろうじて出さない程度なのです……私と家令の力だけではそれ以上の収益を出す事が出来ませんでした。その領地経営について、ジョシュア様に相談に乗っていただけると助かります」
「それは夫婦になるのですからもちろんです。他にありますか?」
「そう、ですね……もし父と母がこの結婚を知って戻ってくるようなことがあれば、その時はご迷惑をおかけするかもしれません……」
「大丈夫ですよ」
それに答えてくれたのは、カミジョウさんだった。
「それに関しては、しっかりご本人たちが除籍手続きをしているので大丈夫でしょうが、ウォード商会の担当弁護士として、手をまわしておきましょう。それでは、これで契約締結、という事でよろしいですかな?」
「はい、ありがとうございます」
「では、ポッシェ嬢、これからよろしくお願いいたします。そうだ、近いうちに、貴方の親代わりでもある使用人の方へのご挨拶とお給料の支払いに、お屋敷に伺いますね」
「はい、よろしくおねがいいたします。お待ちしておりますわ」
こうして、私はジョシュア様との婚約宣誓書にサインしたのだった。
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