第4話 赤貧女伯爵、お見合いを提案される

「テールズ女伯爵様。借金返済のために結婚するつもりはありませんか?」

「……へ?」

 その言葉に、一瞬、私の時間が止まった。

 ◆


 爵位を返上し、平民として弁護士事務所で奨学金を頂きながら生きていくと決めた瞬間に提案された言葉に、わたしは戸惑うしかなかった。

「あ、あの。」

「ポッシェ嬢、大丈夫ですよ、気にしないでください」

 そんな戸惑う私に優しく声をかけてから、担当してくれた弁護士さんが立ち上がると、声をかけてきた男性の前に立った。

「先輩、いきなり何ですか。そもそも、担当でもない案件の依頼人に、なんて提案しているんです? オーナーに言いつけますよ。早くご自分の依頼人のところに行ってください! あ! 駄目ですって!」

「まぁまぁ。少し失礼します」

(……先輩?)

 どうやら、その人は、やや神経質そうな顔の、私の相談に乗ってくれた弁護士さんの先輩にあたる方らしい。

 強い言葉で私達がいるブースから出ていくように言われているが、するりとそれを交わすと、先ほどまで担当の弁護士さんが座っていたソファに座り、内ポケットから出した取り出した名刺入れからそれを取り出すと、すっと私に差し出した。

「改めまして、貴女の担当のシモジョウの先輩で、この事務所の主任をしております。カミジョウと申します。」

「は、はぁ……。」

 つい受け取ってしまった名刺には、『レント カミジョウ』というお名前と『主任』と肩書が確かに書かれていた。

「その……先ほどのお話しですが……」

 戸惑いながら問いかけると、彼はにっこりと笑って私が書こうとしていた契約書や奨学金制度のパンフレットをささっと片付けてしまった。

「おーい、誰か新しいお茶と昨日いただいたお菓子を出してくれる?」

「はぁい」

 空間を遮るパーテーションの向こうにいる人にカミジョウさんがそう言うと、すぐに男の人の返事が聞こえた。

 それに頷いたカミジョウさんは、私に向き直ると再びにっこりと笑った。

「さて。テールズ女伯爵様」

「その呼び方は……爵位を返上して平民になる身ですから、ポッシェと呼んでいただければ」

「なるほど。では、ポッシェ嬢とお呼びいたします。突然割り込んでしまい申し訳ありません。貴女のみに起きたことはすべて聞かせていただきました。とんでもないご両親のせいで、随分とご苦労なさっているようですね」

「ちょっと、先輩っ! ポッシェ嬢、申し訳ありません!」

「……あ、いえ、本当の事なのでかまいません……。あ、ありがとうございます」

 カミジョウさんを諫めながら私に頭を下げて来る担当弁護士のシモジョウさんに、私は首を振って大丈夫だと伝え、私と同じ年位の男の人が出してくれたお茶と小さな焼き菓子にお礼を言ってから、カミジョウさんを見た。

「あの、それで、先程のお話ですがお断……」

「単刀直入にお話します」

『お断りします』と言おうとした私の言葉を遮ったカミジョウさんが続ける。

「実は、私が担当するとある庶民出の商会長が爵位を欲しがっているのです。そこで、貴女が抱えるすべての借財をその方が清算に変わりに、女伯爵の貴女はその方を婿として迎える、というのはいかがでしょうか?」

「……え?」

 その言葉に、私は面食らった。

「それは……」

「ちょっと! 先輩! ポッシェ嬢に失礼ですよ! ポッシェ嬢、聞かなくて大丈夫です! 先輩、あっちに行ってください!」

 急なことで意味が理解できなかった私は、目の前で、シモジョウさんがカミジョウさんを立ち上がらせ、ブースから追い出そうする様子をぼんやりと眺めながら、彼の言葉を反芻した。

(……爵位が欲しい平民の商会長が、当家の借金を返す代わりに婿養子……つまり、政略結婚ってことよね?)

「あの」

「はい?」

 ワンテンポ遅れて理解した私は、シモジョウさんに腕を引かれているカミジョウさんを見た。

「せっかくのお申し出ではありますが、私は平民として何のしがらみもなく暮らしたいのでお断りします。それに、勝手に話を進められていますけどお相手の方はよろしいのですか? 見ず知らずの人間と結婚して借金を肩代わりとか……この金額ですよ?」

 カミジョウさんとシモジョウさんのやり取りから、是が非でも話を進めたそうなカミジョウさんに諦めてもらうため、末の一桁まで父と母の見栄の為だけに作られた、何度見ても目玉が飛び出してしまいそうな額の借金の額を見せた。

「ご覧の通り、見ず知らずの方に肩代わりしていただくような額ではありません。私が爵位を返還すれば、領主が変わるので領民には迷惑をかけてしまいますが、領主決定までは国から代官が派遣されるそうですので、それも一時の事。私の事情に他人を巻き込むことはできません。ですのでお断りしま……。」

「どれどれ、失礼しますね。……ふむふむ、なるほど。」

 私の手から書類を受け取ったカミジョウさんは、その額を見て少しばかり考えた後、うん、と一つ頷いた。

「あぁ、このくらいなら大丈夫です」

「え!?」

 申し出を撤回されるどころか、平然と大丈夫だと言われたことにびっくりして声を上げると、カミジョウさんは私の前にその紙を置きながら話を続けた。

「でもそうですね。お互い人間ですから相性というものがあります。ポッシェ嬢はその点を心配なさっているのでしょうから、貴女の絵姿と経歴、それから借金などの個人情報を相手の方にお知らせしてもよろしいですか? お見合い、という事であなたにも相手の方の絵姿と経歴を用意します」

 書類に書かれたとんでもない額面を見れば諦めてもらえるかと思ったのに、逆にさらに笑顔になって新たな提案をして提示されたため、私はものすごく慌ててしまった。

「私は貴族である事に執着もありませんし、父と母にお金を貸してくださった方には自己破産という形をとるので申し訳ないとは思いますが、じいやとばあやのためにも、もう全てまっさらにしてしまいたいのです。ですから……」

 そういって、お断りしようとすると、彼はにこっと笑って私に言った。

「私の提案に乗ってくだされば、貴女が大切にしていらっしゃるじいやさんとばあやさんに、今まで未払いだった分のお給料と退職金、さらには慰労金まできちんとお渡しできますよ」

「……え?」

 顔を上げると、彼と目が合った。

「いかがですか?」

 にこりと会心の笑みを浮かべるカミジョウさんの向こうに、いつも優しく私を見守ってくれたじいやとばあやの笑顔が見えた。

 正直、結婚云々には思う事もあるけれど、爵位返上の慰労金として考えられる金額は、本来受け取るはずだったじいやとばあやの未払いのお給金に満たない額だ。だが、彼の提案を飲めばじいやとばあやに、ちゃんと報いてあげることが出来る。

(相手は商人という事だから、領地経営もお得意かしら? 借金もなくなって、お金も払ってあげられて、領地経営も黒字になれば皆幸せよね? 貴族たるもの家のためになら政略結婚は当たり前だと、ひいひいお爺様の図書館にあった『貴族の心得百八箇条』に書いてあったし、ひいひいお爺様も、ひいお爺様も、お爺様も政略結婚だったとじいやは言っていたわ。ならば私も、じいやとばあや、ここまで文句を言いながらも領地にとどまってくれた領民のために、政略結婚を受け入れよう)

 そう思った私は、背筋を伸ばし、それからゆっくりと頭を下げた。

「お見合い、お受けいたします」

「ポッシェ嬢! いいんですか!?」

「えぇ、じいややばあや、それに領民のためになるのなら……」

「もちろん、お任せください」

 シモジョウさんへ向かって告げら私の返答に、カミジョウさんは笑みを深めた。

「ご了承いただけて助かりました。では申し訳ありませんが、明日もう一度こちらへ来ていただけますか? 相手の方の釣り書きを用意しておきます。貴女の釣り書きは私が用意をしてお渡ししておきましょう」

 満面の笑みでそういったカミジョウさんに、私は頷いた。

「わかりました。よろしくお願いします。」

「ポッシェ嬢! 本当にいいのですか? 顔も名前も知らない相手ですよ? 爵位狙いの!」

 退席させるために引っ張っていたカミジョウさんの腕から手を離し、本当に心配げ表情で私にそう言ってくれたシモジョウさんに、私は頷いた。

「一瞬戸惑いましたが、貴族であれば政略結婚は当たり前だと本にありましたし、じいやとばあやに未払いのお給料と退職金、それに慰労金まで払ってあげられるなら大丈夫ですわ。それより、爵位返上後の事も含め、いろいろと考えてくださったのに、無駄にしてしまい申し訳ありません」

 親身になっていろいろ考えてくれたシモジョウさんに丁寧に頭を下げて謝ると、彼は慌てたように首を振った。

「頭をあげてください! そんなことは大丈夫ですから! それよりも、今は政略結婚なんて半分もありません! ですから考え直しましょう。お金のために結婚なんてよくありません、身売りです! 先輩も! そんな話を持ってこないでください!」

「半分はあるのですね。では、大丈夫ですわ。貴族の嗜みだと考えるようにします」

「そうそう。今のご時世とは言え、いえ、今のご時世だからこそ。表立っては恋愛結婚だと言っても、やはり裏では利害関係での結婚が大半ですよ」

「あぁもう! 先輩は黙っていてください! ポッシェ嬢、考え直してもいいんですよ!」

「……いえ、確かにこの額の借金はよほどの事です。私、お受けしますわ」

「あああぁぁぁぁ!」

「了解しました、明日、ご用意させていただきますね。」

「はい、よろしくお願いいたします。」

 こうして、私は見ず知らずのお金持ちと、お見合いすることになったのだ。

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