八話 羞恥

「く、くおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

「何を一人悶絶しているんですか、あなたは」


 九凪が去った後の公園で、ベンチの前に一人突っ伏して慟哭どうこくする月夜の背中へと真昼は冷淡な視線を向ける。単純に傍目からその光景を見るだけならば子供がなにか拗ねているだけのようにも見えなくはないのだが、腹の奥から絞り出したようなその慟哭は子供の発するものではない。


「一応人払いはしてありますけれど、そう妙な叫び声をされると変な噂が立ちかねないのですが」


 月夜が九凪に会うにあたってそういう手配を真昼は行っている。しかしそれは物理的な遮断ではなく人の無意識に働きかけて公園に立ち寄る気を失くさせるというものだ。中からの音はそのまま聞こえるし、それが興味を惹かれるものであれば無意識への干渉を破って立ち入ってくる可能性はゼロではない。


「あの子と楽しい時間を過ごしたのでしょう? 何をそんなに思い悩む必要があるのですか」

「楽しい? 確かに楽しくて幸せな時間じゃった! じゃったが!」


 肯定しつつも、月夜は地面を拳で叩く。


「そう振舞っておる時は九凪の反応の嬉しさもあって気にならなかったのじゃが、これからもあんな童女のように振舞わねばならぬのかと冷静になって考えたらこう…………胸に抑えきれないものが溢れそうになったのじゃ!」

「あなたも納得しての演技…………というか私が提案する前からあんな感じで振舞ってたじゃないすか、あなた」


 月夜と九凪の出会いに関して真昼は何も関わっていない。彼女が二人の様子を確認した時にはそう今と変わらない態度で接していたと真昼は認識している。


「何を言う、九凪と最初に会った時は神らしくもっと貫禄のある感じじゃったろうが」

「…………」


 今と大して変わっていませんし彼もそう思っていますよと真昼は思ったが、彼女は空気を読んで何も言わなかった。


「まあ、あなたの気持ちもわからないではないです」


 少し間をおいて真昼はそう言う。仮に彼女が同じ立場であれば恥ずかしさで悶絶していただろう…………無論、真昼が童女のごとき振る舞いをすることなどありえないが。


「しかし効果はあったでしょう? 実際に警戒されるようなこともなくあの子の懐に入り込めたではありませんか」


 変わってはいるが子供は子供。そう認識されたからこそいきなり膝に乗っても拒否されなかったしわがままも受け入れてくれたのだ。


「それは認める…………認めるのじゃが」


 否定はできないが許容もできないというように月夜は言い淀む…………何事でも上手く事が運ぶというのはそのことに対して心に余裕ができるということでもある。そうしてできた余裕で自分を客観視した結果、冷静に見て子供の演技をする自分に対して葛藤が生まれてしまったというところだろうと真昼は判断する。


「つまり童女の演技をやめたいというのですか?」

「…………ぶっちゃけ九凪ならば本当のところを話しても拒絶されぬと思うのじゃが」

「まあ、いきなり拒絶はされないでしょう」


 あっさりと真昼は月夜の言い分を認める。


「あの子の本質から考えれば表面的には変わらず接しようとするでしょうね」

「ならば!」

「表面的、と言いましたよ」


 飛びつく月夜に真昼は冷水を浴びせるように断じる。


「恐れや不安というのは本能的なものですからね、どれだけ納得したつもりでも何かの拍子に感じてしまうものです…………もちろんあの子はそれをあなたには隠そうとするでしょう。しかし巫覡である彼の感情は神である我々には隠そうとしても伝わってしまいます」

「…………」

「隠そうとしても伝わってしまう自分に対する恐れ…………そんなものを知りたいですか?」

「嫌に決まっておろう!」

「では我慢してください。童女ではないのだと言い張るのならね」

「くううううううううう」


 子供ではないのなら我慢できるだろうと告げる真昼に月夜はうめく…………そうして我慢した結果が子供として振舞うことなのだから皮肉でしかない。


「まあ、せいぜい五、六年の我慢ですから」


 そんな月夜に仕方ないと言うように真昼が付け加える。


「ぬ、それはどういうことじゃ?」

「人間とは成長するものだからですよ」


 今の月夜は十歳くらいの外見だからその通りに振舞うしかないが、五年経てば十五歳として振舞ってよいことになる。もちろんその間に九凪も成長するから見た目上の年齢差は埋まることはないが、十五歳ともなればある程度大人ぶった振る舞いをしても問題はないだろう。


「あなたが封印されていた期間を考えればたかだが五年程度問題ないでしょう?」


 もとより神々は不滅の存在であり時間感覚は人に比べて冗長だ。時間が有限ではないからこそ経過する時間に対しての思い入れが低い。


「うむ、そうじゃな!」


 ゆえにあっさりと月夜は納得してしまう…………その間に経過する相手の時間に関しては意識しないがゆえに。


「…………もっともそれは五年の間にあなたの姿が相応に変化すればの話ですけどね」

「ん、何か言ったか?」

「いいえ、なにも」


 小さく呟いた彼女の言葉に反応した月夜に真昼は首を振って誤魔化す。


「それより今日はあなたに頼み…………というか仕事の話をしたいのですが」

「仕事じゃと?」

「ええ、仕事です。あなたも私に一方的に借りを作ったままというのは嫌でしょう?」

「…………まあ、それに不安はあるのう」


 現状で月夜は真昼に生活の場を用意してもらい、九凪との関係にも協力してもらっている。過去の記憶も何もかも擦り切れた状態で解放された月夜にはほかに選択肢もないのでそのまま享受していたが、冷静に考えると真昼に頼り切っている状態だ。

擦り切れても残る自分の神としての矜持きょうじがそれを良しとは思わせないし、何よりも目の前の女に借りを残しておくのは危険だと本能が訴えているように思えた。


「で、わしに何をせよと?」

「話が早くて助かります」


 真昼はにこりと微笑む。


「前にも説明したと思いますが、この世界から神々は去ったもののその影響によって生まれた神秘は残滓ざんしとして今も残っています」

「お前はその対処のために残ったと言っておったな」

「そうです。そして今は残された神秘に対応する人間組織の長を務めています…………この場の人払いを行っているのもその人員ですね」

「確かにそのようなことを言っておったが…………うむ?」


 真昼の言葉に月夜は首を傾げる。


「そういえばなぜ人など使うのじゃ?」

「一つは今の私が大した力を使えない状態だからですよ」


 真昼は肩を竦める。


「神の残した影響を消し去るのに私が影響を与え続けていては本末転倒ですからね。人に近しい存在にまで私はその神格を封じています…………そうですね、ちょうど零落れいらくしたあなたと同程度の神通力しか今の私には残っていません」

「そうじゃったのか」


 同じ神であるという共感はあったので月夜は真昼が同族であることを特に疑いもせずその力量などまるで気にしていなかった…………言われて推しはかってみれば確かに自分と同程度という感覚はある。


「相変わらず、あなたは私には興味がないのですね」

「うむ?」

「いいえ、なんでもないですよ」


 再び小さく呟かれた真昼の言葉は、やはり月夜には届かなかった――――。

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