三人称とか一人称とか
あっという間に9月に突入していた。
朝大音量で鳴いてた蝉の声はもう聞こえなくなり、夜に鈴虫の声が聞こえてくるようになった。
最近、私を悩ましているのは「地の文視点問題」だ。
みなさんは地の文を書く時の視点はどのようにして書いているだろうか。
三人称か一人称かという話なのだが、ここが最近こんがらがっているポイントである。
私は一人称視点で書くのに慣れているのだが、現在、三人称で新しく小説を書いている。
一人称は「私は今日から男として生きていくことを決めた」のように「私は」で進めていく。
三人称は「麗は今日から男として生きていくのだと固く心に誓った」のように「(名前)は」で進めていく。
ここまではいいのだ。それはなんとなく分かる。
だが、三人称単一視点と三人称多視点がものすごくごちゃごちゃしてくるのだ。
これが分かる人はぜひ私に解説をお願いしたい。
三浦しをんさんの「マナーはいらない」を読んで理解したのは、三人称多視点は、「主人公だけの心情や主人公から見た光景を描く」三人称単一視点に対して、「主人公だけでなく別のキャラクターの心情やそのキャラクターが見る光景も描く」ということだ。
ただ、三人称多視点で書くと、読者に視点がぶれていると思われてしまったり、文章に対しての洗練さはなくなるという。
じゃあ、やはり三人称多視点で書くのはやめた方がいいのだろうか。
そう思い、さらに他の本を読んでみることにした。
大沢在昌先生の「売れる作家の全技術」によると「神視点では日本の小説では受け入れられていない。三人称多視点でも実際には神視点ではない。視点人物がいる限り、その人物に知りようのない情報を書いては駄目だということは、一視点の場合とまったく同じ」ということらしい。
なるほど。
ということは、三人称多視点でもその人物に焦点を充てて、神視点にならないよう、視点を切り替えればうまく書くことはできるのか。
そして、私は三人称多視点だと複雑な世界観を書きやすいとどこかで聞いたこともあり、三人称多視点で書き進めてみることにした。
だが、しかし、私の苦悩はまだ続いた。
「地の文での心情描写をするとおかしくなってしまう」ということだった。
つまり「自分の文章は三人称多視点で書いているのに、一人称視点になりがちである」ということだ。
キャラクターに入り込めば入り込むほど、一人称視点になってしまっていたのだ。
キャラクターが自分に乗り移って書いている状態になると、地の文がそのままキャラクターが話しているような文章になってしまう。
【なにを考えているか全く分からないけれど、悪い人ではないような気がする】
これは現在書いている小説の一文なのだが、地の文が一人称でなければ、おかしい文章であることに気付いた。
【雪人が何を考えているのかは分からなかったが、麗には彼が悪い人ではないように思えた】
こちらが三人称単一視点に合った文章になるのだと思う。
キャラクターに入り込めば入り込むほど一人称視点になる罠。
そして三人称多視点の一番の難しさは、今までこのキャラクター視点の三人称で書いていたのに、急に別のキャラクターの視点になると違和感が生じる、ということだ。
ここで違和感を生じさせないようにするためには「一度主人公の行動を描写してから視点を充てたい人物の心情を描く」といいらしいのだが、これが難しい!!
自分で読み返して違和感がある。
これをサラッとやるためには、よほどの筆力が必要になってくる。
そこで、私は三人称単一視点に切り替えて、ストーリーごとに視点人物を切り替えながら書くことにした。
地の文が一人称視点にならないように気をつけたい。
視点問題だが、考えすぎるとこんがらがるので注意が必要だ。
みなさんの視点問題のクリア方法を教えてくださると嬉しい。
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