第三十二話:ベセスホード事案




 勇者シゲルから『全て知っている』と告げられたも同然の言葉を受け、逃げるように隣の神殿に引き揚げて来たイスカル神官長とグリント支配人。レミが知っている事の全てを話していた場合、もう誤魔化しようがない。

 豪奢な奥部屋で頭を抱えながら右往左往している彼等は、如何にしてこの窮状を切り抜けるかを模索する。


「どうすればいい、どうすれば……」

「持てるだけの財産を持って逃げるか」

「どこへ?」


 勇者が言っていた通り、今は魔族との戦争中で、人類の領域はオーヴィスが最後の砦と言われている。逃げ場など何処にもない。


「いや、まだだ……」


 高級なソファーにどっかと身を預けて、顔を俯かせていたイスカル神官長がぽつりと呟く。レミから情報を得たとて、まだ聖都には知られていない筈。

 伝令が出た形跡はないし、伝書鳥を使われたとしても、証拠を全て消してしまえば、誤解による冤罪だと申し開きで押し通せる。真相を明かされて困る者は、聖都にも大勢いる。


「兵を集めろ……」

「……イスカル殿?」


 顔を上げたイスカル神官長は、血走った目をして捲し立てる。


「今ならまだ間に合う! ありったけの兵をぶつければ、護衛の騎士程度ならやれる筈だ!」

「い、いや、しかしそれは……!」


 流石に勇者一行を暗殺するなど、幾らなんでも畏れ多くて考えられないとグリント支配人はしり込みする。


「何を怖じ気づいておる! このまま手をこまねいていれば、儂らは破滅だぞ!」

「で、ですが、勇者殿は単独で魔族軍の斥候を退けるほどの力を持つと聞きます」


 夕方の騒ぎでもその力の一端が垣間見られた。噂によれば、勇者は相対した魔族軍の斥候部隊を剣の一振りで壊滅させたという。

 勇者一行の護衛騎士は確かに少数とはいえ、勇者自身が一騎当千とも言える力を秘めているのだ。辺境の小さな街で掻き集めた傭兵崩れなど、何十人集めようと敵わないのではないか。

 グリント支配人はそう諭してイスカル神官長の凶行を諫めようとするが、自身の破滅が確定してほぼ錯乱状態に陥っている神官長に、彼の訴えは届かなかった。



 街全体が寝静まる深夜。神殿に併設された高級宿にて、慈達は護衛の騎士も含めて一階ロビーの大広間に集まり、これからの事を話し合っていた。

 宿の従業員は皆安全な部屋に避難させてある。イスカル神官長達の息が掛かった者も一纏めにしているので、ある意味隔離処置でもあった。


「彼等は、本当に襲撃などしてくるのでしょうか」

「来ると思うよ? 今頃は手勢でも集めてるんじゃないかな」


 アンリウネ達の問いに気負いなく答えた慈は、自分で用意したお茶など啜りながら、偵察に出しているレミの帰りを待つ。

 レミには『宝珠の外套』を貸し出してあるので、恐らくプロ顔負けの密偵ぶりを発揮してくれるはずだ。そのまま行方を眩ませるという心配はしていなかった。


 慈の勘ではあるが、レミからは勇者に付いて行く事が最も身の安全を図れると理解している心情が読み取れた。なので、彼女が裏切ったり宝具を持ち逃げする可能性は無いと考えていた。

 孤児院の地下では唐突なポンコツぶりを披露したレミだが、慈は彼女がかなり聡明であると感じている。

 隷属の呪印を解呪されてから、即座に慈に仕えた判断の速さも然ることながら、グリント支配人に買われるまでの経歴も、本人から聞いた限りその有能さが覗えた。


 ふと、大広間に血の臭いが漂ったかと思うと、カタンッと床を叩く音を鳴らしてレミが現れる。宝珠の外套の隠密効果を解いたレミは、大柄な男性を連れていた――というか、負傷した男性に肩を貸している状態だった。ざわめく護衛の騎士と、困惑するアンリウネ達六神官。

 しかし慈は、聊かの動揺も見せずレミを迎える。既に付け焼き刃の悟りの境地が発動していた。


「おかえり、その人は――確かパークスさんかな」


 農場の視察現場で開拓作業員のリーダー役をやっていた元傭兵。視線で「どうしたんだ?」と問う慈に、レミは「偵察途中で拾った」と答える。

 血を流しているがそれほど深い傷は負っていないらしく、そこそこの回復魔法が使えるアンリウネとシャロルが治療に当たった。

 リーノが水を汲んで来て彼に渡すと、パークスは一気に呷って人心地ひとごこち付いたようだ。


「ふぅ~、助かったぜ」

「何があったんですか? まあ大体想像はつきますけど」


 慈が訊ねると、パークスは真剣な表情になって告げる。


「ああ、何だか知らねぇが農場の支配人に付いてる護衛の連中が来てよ、勇者一行を襲撃するとかって召集掛けてるみてぇなんだ。ここは危険だぜ」


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