第三十一話:交渉決裂



 慈達のところにイスカル神官長とグリント支配人が訊ねて来る少し前――


「どういうことだっ! これは!」

「いえ、私にもさっぱり……」


 神殿の奥に設けられた豪奢な神官長の部屋にて、レミの報告を待っていたイスカル神官長とグリント支配人は、孤児院施設の監視役から届けられた報せに困惑していた。

 レミが孤児院から出て来たところに何故か勇者が現れ、何事か話した後レミを連れて行ってしまったという。

 その後、勇者の宿泊先に潜り込ませてあるこちらの息の掛かった使用人から得た情報によれば、勇者一行はレミをそのまま聖都に連れ帰る気らしい。


「とにかく、一度レミに会って呼び戻さねばなりませんな」

「隷属の呪印がしてあるのだったな。勇者に付いていく事は、主の意に反する事ではないと判定されたのか?」

「まあ、恐らくは」


 勇者一行は神殿関係者としても、その地位はかなり高い立場にある。

 グリント支配人が日頃から懇意にし、上位の者として扱うイスカル神官長よりも身分の高い勇者に付き従う事は、『主の意に反する事ではない』という判定が下されても不思議では無い。


 あまり条件をガチガチに固めると普段から行動が著しく制限されてしまう為、判定基準に結構曖昧な部分もある隷属の呪印ならではの弊害と言える。

 だが直接レミに会い、勇者に従う事を『否』と明示すれば、呪印は正しく効果を発揮するだろう。

 裏の商売の事は下手に口外しないよう、意に反する内容として条件付けをしてあるので、勇者達に余計な事を知られる心配は無いと思われるが、聖都に連れ帰られるのは危険過ぎる。


 そんな訳で、早急に勇者と面会出来るよう宿主に取り次がせたイスカル神官長とグリント支配人は、神殿の隣に併設された高級宿の大広間にて、勇者一行と向かい合う事となった。


 パーティー会場としても使われる大広間には、会議用の長いテーブルが中央に設置されていて、片側にはイスカル神官長とグリント支配人が並んで席についている。彼等の背後には、数人の若い神官と御供の護衛が立っていた。

 グリント支配人の護衛はこの街で雇っている地元の傭兵だが、イスカル神官長の御供である若い神官達も、中身は同じく傭兵崩れなど荒事向けの人材であった。多少の威圧効果も期待しての人選である。


 宿の従業員から「もう間もなく勇者様方がお越しになられます」と告げられ、グリント支配人とイスカル神官長は声を潜めながら打ち合わせをする。


「まずは私から勇者殿に挨拶とレミの引き渡しを要求します」

「うむ。儂は六神官共に睨まれておるからな。付き添いの立場で助言しよう」


 そこへ、六神官と護衛騎士を伴った『勇者シゲル』が入室して来た。が、その出で立ちに、グリント支配人とイスカル神官長も困惑する。

 慈はこの街に初めてやって来た時のような、武具の詰まった大きなカバンを背負い、宝剣を装備した完全武装の姿だった。


 大きな鞄を傍らに降ろし、一人席に付いた慈の後ろに、六神官が並び立つ。さらにその両側を護衛の騎士達が固める。六神官と慈の間にはレミの姿もあった。


「お待たせしました」

「あ、こ、この度はお忙しいところを、お呼び立てして申し訳ありませんでしたな」


 少し面食らっていたグリント支配人だが、レミを見て『連れて来てくれたのなら手間が省ける』と気持ちを切り替え、さっそく回収に乗り出した。


「あー、まずはレミ、こちらに来なさい」


 呼ばれたレミはピクリと顔を上げるが、その言葉には従わず慈に伺いの視線を向ける。それに対して慈は僅かに頷き、『動かずともよい』の意を返した。


「レミ?」


 グリント支配人は自身の呼び掛けに従わないレミに訝しむ表情を向けた。主の命令に反すれば、隷属の呪印によって全身に激痛が走り、立っていられないほどの苦痛を受けるはずなのだが、レミは普段と変わらぬ無表情のまま慈の後ろに控えている。

 ここで、慈が口を開いた。


「レミは俺が勇者の権限で徴用しましたので、呪印も解呪させてもらいました」

「なっ!?」


 予想外の事態に絶句するグリント支配人。彼の隣で成り行きを見守っていたイスカル神官長は、慌てて抗議する。


「ゆ、勇者殿、レミはグリント殿の個人的な財産ですぞ」

「今は魔族軍との戦時下ですから。彼女の徴用は接収扱いにします」

「そのような横暴は、大神官様もお認めになられない筈です!」


 神殿の最高権力者の名を出して牽制するイスカル神官長は、聖都の大神殿で問題にならない内に、レミをグリント支配人に返すよう促す。

 しかし、慈に神殿の『権威や威光』を笠に着た圧力は通用しない。


「人類の救世主たる勇者の意向が何よりも優先されます。貴方方は救世の大義よりも個人の財産を優先するんですか?」

「ぐ……そ、それは……」


 神殿が掲げる救世の大義を挙げ、勇者の『権威と威光』で切り返されて言葉を詰まらせるイスカル神官長。彼は神殿が実際にどこまで勇者に権限を与えているのか、正確な情報を持っていない。故に、自分達が利用しようとした神殿の『権威と威光』を畏れて強く出られないのだ。


 しかしながら、このままレミを連れ帰られる事態だけは何としても避けたいイスカル神官長とグリント支配人は、なおも食い下がろうとする。


「ですが……やはり横暴です」

「そうですか。とりあえず、彼女の事は聖都に帰ってから協議するとしましょう」


 まったく取り付く島もない慈の返答に、グリント支配人は聖都から武具制作を請け負っている製造工場の責任者という立場から訴え掛ける。


「それは困ります! レミには――重要な仕事を任せてあったので、今抜けられると工場が止まってしまいます」


 オーヴィス国の軍需産業の一角を担うベセスホードの製造工場。今後の魔族軍との戦いにおいて、軍事物資の供給が安定しなくなれば、戦況にも影響を及ぼし兼ねないと説くグリント支配人。

 それでレミの重要な仕事とは何かと問われれば、企業秘密で通すつもりであった。


(この訴えなら、無下には出来ない筈だ……)


 そう考えるグリント支配人。隣のイスカル神官長も、今のは良い訴えだと内心でほくそ笑む。しかし、慈の返答は彼等の期待と目論見をあっさり打ち砕く。


「俺、レミの呪印は解呪したって言いましたよね?」


 含む様な問い掛けに、グリント支配人が訝し気な表情を浮かべたのはほんの一瞬で、その意味に気付いた彼はみるみる青褪める。

 全て知っている。そう告げられたも同然の言葉に、イスカル神官長共々顔を強張らせた。そんな彼等の気持ちに応えるように、慈は言った。


「いずれ聖都から沙汰が下されると思うけど、それまでは通常通り工場を稼働し続けてください。資材は粗悪品じゃなく正規の物でよろしく。そのうち横流し先にも調査を入れますので」


 それは、決定的な一言であった。


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