第二十六話:神殿前の騒動



 神殿の隣に併設された高級宿に呼葉達を乗せた馬車が帰って来ると、大勢の人垣が出来ていた。ベセスホードへの慰問巡行は結構急に決まった事もあり、あらかじめ街に広報しておくなどの処置はとられていなかった。

 その為か、今朝までは神殿前の様子もいつもと変わらず、人通りも少ない静かな雰囲気だったのだが、工場視察と農場視察、その間の孤児院訪問が『聖女様の慰問巡行』の噂を拡散させた。

 聖女様御一行が慰問に来ている事が知れ渡った結果、一目その姿を拝見しようと、街中から人々が詰めかけたのだ。


「これは……」

「ま、街の人があんなに沢山っ」

「危惧はしていましたが、やはりこうなりましたか」


 呼葉が同乗している二台目の馬車の中で、騒ぎの様子に驚いているネスとクラインに、ザナムも少し深刻そうな表情を浮かべて言った。


 そもそもが呼葉に休養を取らせる事を目的にしていた為、あまり宣伝するつもりは無かったのだが、情報が公になればこうなるであろう事は予測していた。

 馬車を停める宿の正面まで道を開けようと、神殿警備隊や街の衛兵達が頑張っている。そのうち、群衆の外側にいる人々が呼葉達に気付いて騒ぎ始めた。


「神殿の馬車だ! 聖女様がお戻りになられたぞ!」

「聖女様ー!」


 途端にワラワラと集まって来る人々で、たちまち馬車の周りが埋め尽くされた。御者や衛兵達は馬が驚いて危ないので離れるように促しているが、もはや双方が身動き取れない状態だ。


「うわー、これは凄い」

「こ、困りましたね……」


 呼葉の呟きに、ネスが緊張した面持ちで相槌を打つ。最年少のネスは呼葉より身長が低いので、背後からネスの両肩に手を掛けた呼葉は、彼の頭越しに窓の外を覗き込んでいた。

 閉じられたカーテンの隙間から見える景色は、人の頭の海原と化している。


「どうにか神殿の敷地内まで移動してから降りるのが良いでしょう」


 街の住民も含めて安全面を考慮したザナムの言葉に、呼葉も同意する。しかし、人の波に立ち往生して一向に前へ進めない状態が続いていた。

 怪我人が出ない内に何か対策を打つべきかと呼葉が考えていると、群衆の聖女様コールに交じって子供と女性の悲鳴が響いた。


「なんだなんだ」

「子供が血を流してるぞ!」

「早く医者にっ」

「おい押すなって! 危ないっ」

「うわあああ」


 どうやら群衆に押されてバランスを崩した女性が、抱いていた子供を落としてしまったらしい。女性は我が子を踏まれまいと庇ってその場に蹲り、それに気付かず足を引っ掛けた人が転倒。

 結果、周囲の人々を巻き込んでの将棋倒しが発生した。騒然とする神殿前。大参事である。


「あーあー、言わんこっちゃない。ネス君、ちょっとこっちに」

「え、コノハ様?」


 クルリと姿勢を入れ替えてネスを席の真ん中に移した呼葉は、馬車の扉に手を掛けた。呼葉の動きを察したザナムが慌てて制止する。


「コノハ嬢! 危険ですっ」

「大丈夫、鎧着てるから」


 呼葉はそう言って、胸元に装着した緋色の宝珠の埋まったプレートを指し示す。元々は全身鎧フルプレートだった『宝珠の甲冑』の一部。

 宝珠の埋まった胸部しか見つからなかったが、『宝珠の外套』と同じく結界技術が使われていて、全身を覆うように魔法の鎧の効果が及ぶので、見た目とは裏腹に護りは堅い。実はパルマムに突入する時も服の中に装着していた。


 呼葉が群衆の中に降り立つと、馬車の前後に就いていた護衛の騎士達がすぐさま警護に駆け付けようとした。が、すし詰め状態の人混みの中では身動きが取れないようだった。

 騎士達は護衛対象に近付けない状況に焦っているが、呼葉は『大丈夫だから』と手をかざすゼスチャーをして、無理に人を押し退けて来ないよう促すと、将棋倒しが発生している場所に向かう。


「はい後ろ通りまーす、どいてどいて~」


 ぎゅむぎゅむと、人の波を掻き分けて進む呼葉。群衆は聖女呼葉が降りて来た事に気付いていない。というより、ここに集まっている人々の中に、呼葉が聖女本人であると知る者はほとんどいない。

 なので、馬車を降りて来た呼葉に対する人々の反応は「聖女様の御付きの神殿関係者かな?」というものだった。


(ああ~、なんか人混みに揉まれるのって懐かしい……満員電車を思い出すわ)


 そんな人々を押し分け、ようやくアレクトール達が乗っている先頭の馬車の近くまでやって来た呼葉。直ぐ傍で人々が折り重なっている。

 その時、群衆の中を移動して来る呼葉に気付いたアレクトールが、目を瞠って声を上げた。


「なっ、コノハ殿!」

「げっ! 何やってんだアイツはっ」

「おおぅ、民の大河を泳ぐコノハはまさに聖女! 素晴らしき覚悟!」


 ソルブライトも驚いた表情を浮かべつつ、呆れたように呟く。ルーベリットは、相変わらずよく分からない言葉を並べて感動していたが。


 馬車の窓から驚いた顔を見せているアレクトール達に軽く手を振った呼葉は、とりあえず折り重なっている人達に祝福を与えて応急処置。次いで、宝杖を翳しながら頭上に光の玉を浮かべた。 

 ――直径二十メートルはありそうな超巨大な光の玉を。


「な、なんだ!」

「光が……!」

「た、太陽が落ちて来た?!」


 突然発生した謎の現象に混乱する人々は、右往左往を始める前に一瞬動きが止まった。呼葉は光の玉を折り重なっている人達の上に下ろしていく。

 ただの光の玉なので特に何の効果も無いが、将棋倒しの発生付近から人を遠ざける事が出来た。十分な空間が確保出来たところで光の玉を消す。


「はい、じゃあ救出活動お願いしまーす」


 倒れている人々は祝福効果でそれ以上身体を痛める事もなく、さらに高まった生命力で徐々に怪我の回復もしている。

 しかし、複数人が折り重なっていて皆自力では立てない状態な為、外側から順番に救出させる。ようやく呼葉の下に辿り着けた護衛の騎士と、神殿警備隊、それに街の衛兵達が救出に取り掛かったので、彼等にも祝福を与えた。


「おお、力が湧いて来るっ」

「す、凄い。これが聖女様の奇跡か!」


 身体中に力が漲り、大柄な成人男性の身体でも子供の如く軽々と持ち上げられる。重なっている人々を上から順に救出すると、次は下敷きになっていた人達だ。

 祝福効果で命に別状は無いとはいえ、最初に落とした子供を庇ってしゃがみ込んだ女性や、転倒した男性などは、全身打撲を始め骨折するなどの重症を負っていた。


「あー、これは回復魔法とか必要かもね」


 そこへ、ベセスホード神殿の神官長イスカルが、神官達を引き連れて現れた。


「聖女殿ー! 不肖ながらこのイスカル、聖女殿の御手伝いに参りましたぞ!」


 まんまるとした身体を揺らしながら、ポテポテ駆けて来る姿は少しユーモラスで、見る者に和む印象を与えるが――


(残念ながら、あの脂肪は不正と欺瞞で出来てるのよねー)


 すっと手を翳した呼葉は、彼等に祝福を与える。祝福効果で能力が数倍に上がったイスカルと神官達は、自分の身に起きた変化に驚く。


「おおう、こ、これは」

「回復魔法の威力も上がってるはずだから、早く怪我人治しちゃって」


 神官長イスカルの登場と、彼が呼葉を『聖女殿』と崇めた事で、周囲の人々は先程から救出の指揮をとっていた宮殿関係者らしき黒髪の少女が『聖女様』本人である事に気付いた。

 神官達による怪我人の治癒が行われている神殿前で、その様子をぐるりと囲んで見守る群衆達は、皆が一斉にかしずくと、聖女を称える祈りを奉げる。

 まるで救世主伝説の英雄譚に見る、物語の一幕を思わせる光景。これにはアレクトール達六神官も、思わず傅きたくなる衝動にかられた。


 そんな彼等に、呼葉はちょいちょいと手招きして今のうちに馬車を神殿の敷地内へと移動させるよう合図した。

 ゆっくり動き出した馬車が無事に神殿の敷地内に入るのを見計らい、呼葉はそそくさとこの場を後にする。何人か気付いた街の人が聖女様呼葉の動きを目で追うが、特に声をあげる事は無い。

 そうして馬車を降りたアレクトール達と合流した呼葉は、彼等にそっと耳打ちした。

 一瞬『え?』という表情を浮かべたアレクトールにウインクで目配せした呼葉は、怪我人の治療が一段落ついたのを確認すると、イスカルに一声掛けて宿に引き揚げる。


「ではイスカルさん、後はお任せします」

「せ、聖女殿! しばしお待ちをっ、どうか治療に尽力した神官達に一言お言葉を――」


 聖女から直接慰労の言葉を頂いて箔を付けようと目論んでいるイスカルが、慌てて追い縋ろうとするも、六神官達が壁になって視線を遮る。そして厳しい態度で言い放った。


「聖女様は農場の開拓に奇跡の力を御使いになった帰り故、疲れておいでです」

「此度の騒動、貴殿等の落ち度として報告させて頂く」


 アレクトールとザナムの言葉に、先程まで媚びた微笑を張り付かせていたイスカルが青褪める。実はこれは、呼葉が今さっき耳打ちした内容だ。

 ベセスホードの神殿と聖女の関係が、あまり良好ではないと周囲に印象付ける狙いがある。


(ひとまずこれで、穏健派の魔族とかその関係者が少しはこっちに接触し易くなるかな)


 後は折りを見て『魔族と人間に友好的』という二つの条件を付けた祝福を人混みに向けて無差別に放ち、反応する者がいないか見定める。


(条件がちょっと曖昧だから、見極めるのは難しいかもしれないけど、まあ何とかなるでしょ)


 この条件で祝福が掛かりそうな相手は、穏健派の魔族本人か、その関係者。すなわち、サラ達親子の味方を探し出せる――かもしれない。


「とりあえず、今日はまだやる事があるわね」


 高級宿の豪華な扉をアレクトール達と潜りながら、呼葉はぽつりと呟いた。


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