第6話 ぜひご一緒に

 ある日の営業中、「はなやぎ」の固定電話が鳴った。


「はい、日本酒バー「はなやぎ」です」


 出たのは世都せとだ。受話器の向こうから「もしもし」と聞こえたのは、男性の声。


勝川かつかわです。いつもお世話になってます」


「あら、勝川さん。こちらこそいつもありがとうございます」


 電話なんて珍しい。勝川さんのお勤め先は大阪メトロ御堂筋みどうすじ線と京阪けいはん本線が通る淀屋橋よどやばしで、お住まいが岡町おかまちなため、帰宅のときにはほぼ必ずこの商店街を通る。直接来るほうが早いぐらいなのだ。


 ただ、今日はいつも勝川さんが来る曜日では無い。顔を出して話だけで何も頼まず帰るということが、勝川さんにはしづらいのかも知れない。


「いえいえ。あの、ちょっとお伺いしたくて。「はなやぎ」さん、子ども連れでも大丈夫ですか?」


 世都はきょとんと目を丸くする。


「ええ。ソフトドリンクもありますし、もちろん大歓迎ですよ。あ、でもお食事がお子さま向けや無いかも。和食が多いですし。もしかして娘さんですか?」


「はい。私、単身赴任を決めたんですけど、行く前に家族でお邪魔したいなぁて思って。私がおらん間、奥さんも来てみたいそうなんです。奥さんのお母さんに娘を預かってもらえる日を作る言うて。私がおらん分助けてくれるて言うてくれはって。子育て中はほんまに気分転換が要りますから」


「そうですね」


 まだ幼稚園児なら、手も掛かることだろう。2年間は勝川さんと助け合えなくなるのだから、お母さまに頼ることができたら、きっと奥さまも心強い。


「なので、まずは家族でお邪魔したいなぁて思って。ほな、今度連れて行きますね」


「でしたら、日とだいたいのお時間で大丈夫ですんで、ソファ席予約しておきましょか? 3人さまでしたらカウンタ席よりソファの方がええでしょうし、お子さまも落ち着けるでしょうし」


「ああ、それは助かります!」


 受話器の向こうの勝川さんの声が弾んだ。


「そうですね。確かに娘はソファの方が良さそうです。ありがとうございます。おとなしい子ではあるんですけど、できるだけ静かにする様にしますから」


「お気になさらんでください。それよりもお酒のお店に、娘さんお連れして大丈夫ですか?」


 夜のお店に小さな子を連れて行くかどうかの是非は、結局は保護者の価値観だと思っている。世都はあまり遅くならないのなら良いのでは、と思っているが、小さな子に酔いどれの大人を見せるのはあまり良く無いのでは、とも思う。要は程度次第だ。


「初めてなんですけど、「はなやぎ」さんやったら大丈夫やと思って」


 確かに「はなやぎ」では早い時間帯なら、そこまで深酔いするお客さまはあまりいないので、世都も問題無いかなと思う。


「それは嬉しいですわぁ。ほな、お待ちしてますね」


 そうして日時を決めて、世都は受話器を降ろした。


龍平りゅうへいくん、今週末金曜日、18時からソファ席ご予約。勝川さん」


「了解です」


 龍平くんはタブレットを持ち上げた。予約や経理などは、すべてそのタブレットで管理している。実は世都はパソコンなどの機械ものに弱く、龍平くんに全面的に任せていた。


 おかげで学生時代はなかなか苦労した。つぶしが効くからと経済学部を選んだことを後悔した。世都の時代でも提出物などはデータだったのだ。PDF変換なんやそれ、で友人にかなり助けてもらった。


 世都はスマートフォンも通話と単純なアプリしか使えないのだった。なので就職してからパソコンなどをあまり使わなくて済む、セントラルキッチンの実務への配属を希望したのだ。幸いお祖母ちゃんのお手伝いでお料理は即戦力だったからである。


 それが今に活きているのだから、人生無駄なものは無いなぁなんて思ったりもする。


女将おかみさん、高野豆腐の卵とじくださーい」


「はい、お待ちくださいね」


 高野豆腐の卵とじは、今日のお惣菜のひとつである。季節を問わずいただける高野豆腐だが、風味豊かなお出汁が隅々すみずみまでしっとりと沁み、甘いふわふわの卵が絡んだこの一品は、出せばいつでも人気なのだ。


 世都は高野豆腐を小鉢に盛り付けながら、勝川さん家族が来るときには、日替わりで娘さん用に洋食っぽいお食事と、スイーツでも用意しようかな、なんて考えていた。

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