7話 隠し事とスライム少年(4/6)

そんなわけで、俺達は弁当を持って庭に出ていた。

庭と言っても、あのリリアさんが作った庭だ。ちょっとやそっとの広さじゃない。

……なんというか……見渡す限りの荒野だな……。

保育室前に並ぶアスレチック遊具と砂場が、かろうじて庭らしさを残してくれているが、それ以外の方向はひたすらに平らな地面が続いてる。

せめて木やら草やらが残っててくれれば、もうちょいピクニック気分にもなったんだけどな。

「ピクニックにしては、少し景色が寂しいようだね」

ザルイルも俺と同じく思ったのか、俺の隣で呟く声が聞こえた。

ライゴとシェルカは、昨日できたばかりのアスレチックで早速遊び始めている。

まあ、二人にとっては十分楽しめるのかも知れないな。

そう思った俺に、ザルイルが左側の目を揃えて閉じて、柔らかく微笑んだ。

「たまには少し遠出してみようか」

……なんだ? 今のはウインクなのか? それだけ目が並んでるとちょっと迫力があるな。

俺に貸している要素を回収すると言うので頷けば、ザルイルはライゴ達に声をかけた。

「二人とも、私の背に乗りなさい」

「え、どうしたの?」

「お父さん、お出かけ?」

とてて、と二人がふわふわの耳を揺らしながら駆けてくる。

期待に満ちてキラキラの瞳に、ザルイルは大きく頷いて答えた。

「ああ、皆で滝を見に行こう」


***


遥か上空から、ドドドドドと爆音を立てて止めどなく降り注ぐ大量の水。

もうもうと水煙を上げて辺り一帯に広がる小さな小さな水の粒子。

滝壺の周囲には青々と緑が茂って、清々しい空気が満ちている。


はぁー……。こっちの滝はスケールが違うな。

俺が実際に見たことのある滝なんて修学旅行で見たひょろっとした細い滝くらいだが、今までテレビで見てきた豪華な滝の数々と比べても、これはかなり大きい方だと思う。


「滝は見るだけだよ、流れが早いからね。近くで見たい時は、必ず私と一緒に行く事。いいね?」

俺達を草地に下ろすと、ザルイルが子ども達の目を一人ずつ覗き込みながら言い含める。

「うんっ」「はーい」

二人の良い返事を聞きながら、俺は見えない大きな手で敷布を広げた。

「ヨウヘイ、その姿では不便だろう? 私の要素を使ってくれ」

声をかけられて、俺は丁重に断る。

外では不意に何かに襲われることもあるらしい。

今まさに、ザルイルが簡易的な結界を敷布の周りに張っているが、いざという時にザルイルが普段より小さくてはそれこそ不便だろう。

「そうか、そうだな。……ありがとう。いつも子ども達の事を考えてくれて」

うーん……? ザルイルは最近ちょっと、俺を過大評価気味じゃないか?

そりゃ子ども達も危険な目には遭わせたくないが、それ以前に俺自身が危ない目に遭いたくないだけなんだけどな。

それにやっぱり、食事は小さい姿で食べる方がお得な気がするんだよな。

まあ、せっかくの好意の手前、口にする気はないが。

ザルイルが運んだバスケットの中身を並べ始めると、ザルイルがふふっと小さく笑った。

……なんかおかしな事があったか?

俺は、顔を上げて子ども達を確認する。二人は並んで滝を見上げているようだったが、特におかしいところはなさそうだ。

俺が小さく首を傾げると、ザルイルはこんな僅かな仕草も見えるのか、口を開いた。

「いや、幸せだと思っただけだよ」

言って、ザルイルがはにかむような仕草を見せる。

別に、幸せを感じてくれる分にはいいんじゃないか? 俺に恥じるような事もないだろ。

「……いつか、こんな家庭が築きたいと、ずっと思っていたんだ」

『こんな』って……まさか、そこに俺は入ってないよな?

ライゴもシェルカも『お母さん』とは呼ばないでくれてるが……。

なんとも言えないまま愛想笑いを返す俺を、シェルカが呼ぶ。

「ヨーへー……」

「ん? どうした?」

もふもふ姿のシェルカは、爪の生えた手を丸めるようにして額の辺りを擦っていた。

見えない手で耳の辺りを撫でてやれば、シェルカは嬉しそうに目を細める。

ひとまず、具合の悪そうな感じではないな。

「痒いの……ここ、えと……わわわわってするの……」

何やらもこもこしたジェスチャーを額の上でして見せるシェルカ。

言うなれば『ムズムズする』って感じか?

そういや昨日もその辺を痒がってたよな。

「見てみようか」

「うん……」

小さな体でふさふさのシェルカの頭に降りれば、くすぐったかったのかシェルカが笑った。

「ちょーっとじっとしててくれよー?」

「はーい」

ふわふわしたパステルピンクの毛をかき分けてよく見てみれば、シェルカの痒がっている場所は地肌に線を描くような形に赤く盛り上がっていた。

ふっと影に包まれて見上げれば、上から覗き込んだザルイルと目が合った。

もふもふ姿のザルイルは、人の姿よりもっと表情が分かりにくい。それでも、そっと口の前で指を一本立てて見せたザルイルの顔は、どこか苦しそうに見えた。

黙ってろって事か? そのジェスチャーはこの世界でも通じるんだな。

「んー、大丈夫だな」

俺が努めていつも通りの声で言えば、シェルカは「そっかぁ」と安心した様子で微笑んだ。

「おーい、ライゴー、あんまり遠くに行くなよー!」

視界の端でうろちょろしているライゴに声をかけるも、この姿では届かないな。

それに気付いて、シェルカがライゴの方へ駆けて行く。

「おにーちゃーんっ、あんまり遠くに行ったら、ダメなんだよぉーー?」

シェルカの声に気付いたライゴが振り返って、手を振る。

耳と尻尾を嬉しそうにパタパタさせて、シェルカが来るのを待っていたライゴは、両手一杯に拾い集めたものを自慢げに見せた。

シェルカはそれを興味津々に覗き込んで、二人は顔を見合わせて笑い合う。


「……嘘をつかせてしまって、すまない」

ザルイルが小さく囁くように謝った。

「いえ、あれは何ですか?」

人で言うなら眉毛ほどの位置に、左右それぞれ一本ずつ浮かんだミミズ腫れ。

「あれは……。もうすぐ開く、シェルカの目だよ」

やっぱりそうなのか。まあ、それっぽい場所だったもんな……。

ザルイルは、仲の良い兄妹の様子を見つめたまま話す。

「完全に開くまでもうしばらくかかる。今はまだ……二人には黙っていてくれないか」

「……それは、構いませんけど……」

どの道知ってしまう事実なら、それを黙っている事に意味はあるんだろうか。

むしろ、心の準備をするための時間が必要じゃないのか?

シェルカと、…………ライゴに。

俺は、顔を寄せ合う兄妹から視線を外すと、ザルイルを見上げた。

「知らせる前に、もう少しだけ、ライゴに自信をつけてやりたい」

ザルイルはやはり、どこか苦しそうな横顔をしていた。

「自信、ですか……」

ライゴは前向きだし、挑戦心もあるし、毎日小さな成功体験だって積ませてる。

ライゴなら受け止められると、思いはするんだが……。

確かにあいつは、ああ見えて二つ目にコンプレックスがあるからなあ。

自分の妹が、自分より先に四つ目になったら……辛いだろうな……。


「さあ、お昼にしようか。私はもうお腹がぺこぺこになってしまったよ」

ザルイルが二人へ近付いて声をかければ、二人は手を繋いで駆け戻ってくる。

巣からここまでそれなりの距離を三人と荷物を抱えて飛んで来れば、そりゃ腹も減るよな。

「僕もー、お腹すいたー」

「シェルカねっ、ぎゅってしたの、ハン、ぎゅってした!」

俺は出しかけていた料理を、見えない手で手早く広げる。

いつものモコモコしたハンに、野菜や肉を挟んだサンドイッチというよりもハンバーガーに近い物と、ポテトサラダっぽいものと、卵……いやたまこ焼き、それに果物を一口大に切ったもの。どれも簡単な物だが、子ども達と作ればそれなりに時間はかかった。

ライゴの待ち長い時間を潰す程度には。

「僕もお手伝いがんばったよ!」

「そうか、それは楽しみだな」

ザルイルが大きな手でライゴの頭を撫でると、シェルカが水筒へ手を伸ばした。

「シェルカ、喉乾いちゃった」

四人分のお茶が入ったガラス瓶は、ゴムパッキンを金具で押さえてある。

シェルカが一人で開けるのはちょっと難しいだろう。

「開けようか?」

俺の声にシェルカはちょっとだけ迷ってから答えた。

「んー……、シェルカが自分で開けてみるっ」

「そっか、チャレンジだな」

「うんっ」

うっかり全員分のお茶をひっくり返されないように、見えない手でボトルの下を支えつつ、料理を広げながらシェルカの様子を見る。

「うーーーーんんん……っ、あ、開かない……」

四回目のチャレンジで、シェルカは諦めたのか手を引っ込めた。

「僕がやってあげようか?」

ライゴにもちょっとこれは難しいだろうが、どうしたもんか……。

見えない手でちょっとだけ、こっそり手伝って、開けさせてやるか……?

俺が悩むうちに、ライゴは金具に手をかけた。

「んむぅぅぅぅぅんっっっ」

ライゴが耳と尻尾をぶわりと膨らませて力む姿に、思わずこっちまで力が入る。

「っ!」

パキンッと勢い良く上がった金具が瓶に跳ね返る音がして、二人は歓声をあげた。

「お兄ちゃんすごい!」

「開いてよかったぁ」

ライゴも嬉しそうだ。俺が手伝うまでもなかったな。

「ありがとう、お兄ちゃんっ」

ニコニコのシェルカにボトルのお茶を注いで渡す。

ライゴはごくごくお茶を飲むシェルカを満足そうに見て、胸を張って言った。

「シェルカは僕の妹だもん。お兄ちゃんの僕が助けてあげるんだ」

「えへへ、お兄ちゃん大好きっ」

ぎゅっとライゴに抱き付いたシェルカの頭を、ライゴが撫でる。

ブルーグレーとパステルピンクの毛が混じり合いふわふわと揺れる、その様を、俺はどうしようもない気持ちで見ていた。

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