見えず知らぬ光
山本アヒコ
見えず知らぬ光
「あったよ、スルバ」
「キノコだね、トー」
小柄な二人は、顔をくっつけて地面にはえたキノコを見つめる。
「小さいな」
一本だけあるキノコの傘は、小さなトーの手のひら半分ほどしかなかった。目を細めるが、スルバは嬉しそうに笑っている。
「でも食べ物だよ!」
「……たしかに、やっと見つけたからな」
二人はすでに半日以上歩いていて、この小さなキノコが本日初めて手に入れた食料だった。手持ちの食料はまだ残っているが、保存できるものは貴重なのでなるべく消費したくはなかった。
トーは小さなキノコをナイフでさらに半分にする。
「ほら」
「ありがとう」
二人はキノコを噛みながら歩く。疲れてはいるが、まだ休憩する時間ではない。この旅はなるべく距離をかせぐべきである。
「次はもっと大きいキノコだといいね」
「そうだなあ」
焚き火のそばでトーとスルバの二人は、一枚の毛皮に包まれて地面へ寝転んでいた。結局あのあと食料を見つけることはできず、手持ちの保存食をほんの少しだけ食べた。
「星、前の場所より多いね」
「そうかな?」
トーはスルバの言葉に首をかしげる。
「うん、多いよ。星って何色なのかな」
「マネ婆は白色だって言ってたぞ」
二人は色を言葉にしているが、その色を知らない。その両目は何も見ることはできないからだ。
そもそも目は見える必要がない。この世界は常に暗闇に閉ざされているからだ。
種族の最長老であるマネ婆は言う。
「かつて我らは地上にいた。しかし今は地下深く、光が一切届かないこの場所に閉じこめられてしまった」
マネ婆の周囲には幼い子供たちが何人もいた。その中に幼いトーとスルバの姿もあった。今日はマネ婆の話を聞く日だった。
「どうして閉じこめられたの?」
誰かがそう言うと、マネ婆は小さくうなずき話す。
「罪を犯した罰なのか、恐ろしい天災や敵から逃げるためだったのか、それはもうはるか昔のことで誰もわからないのさ」
「地上には何があるの?」
「こことは比べものにならない数の動物と植物。人が何百人並んだよりも広い川。そして空と星」
「空?」
「ああ。地上には、頭の上に何も無いのさ。どこまでも遠く高く、遮るものは何もね」
ここは建物の中ではなく、村の広場だった。子供たちはみんな上を向く。しかしあるのは、頭上を全て覆う岩と土だけだ。
「でも星はあるよ」
「あれは本物の星じゃあない。結晶が光っているだけなのさ」
子供たちは額にある第三の目で、高い場所にある星と呼んでいる結晶を感じ取る。
「今おまえさんたちが使っている額の目は、ワシのひい祖母さんのひい祖母さんには無かった。光の無いこの場所に閉じこめられ、光を見るための二つの目は見えなくなり、新しく熱を感じ取るため三つめの目ができたのさ」
マネ婆も上を向いてつぶやく。
「だから、地上へ戻っても本物の星を見ることはできないのさ……」
「光って何色なんだろう?」
「色なんて知らないだろ」
「そうだけど」
トーとスルバは寝る前にこうしてとりとめのない会話をするのが常だった。そのうちに睡魔がやってきて二人は眠る。
翌日も二人はもくもくと歩き続ける。
周囲はただ岩と土でできた洞窟が続いているだけで退屈だが、それが日常である二人は気にすることはない。
松明を持っていないのに危なげなく歩く。地上にいる人間ならば、一切の光がない真の暗闇では身動きすることもできないだろう。しかし二人にとってはこれが当たり前の世界だった。
「あっ、何かいた!」
額の目で熱を感じたスルバが立ち止まる。トーも足を止めると周囲を探す。
「そこっ」
スルバはジャンプして頭から地面へ飛び込んだ。
「捕まえたー!」
岩の隙間へ逃げようとした生き物を掴んだ両手を頭上に掲げ、大きな声で叫んだ。
「声がでかすぎ。うるさい」
「ゴメンゴメン」
「何を捕まえたんだ。おっ、六つ足イモリ。やったな」
「へへ」
六つ足イモリは美味として有名だが、素早いのでなかなか捕まえることができない。二人も数回しか食べたことがなかった。味を思い出して、二人の口の中に唾液が出てくる。
「おい、落とさないようにしろよ」
「そ、そうだね」
スルバはイモリの首を折ると、腰に結んだ小袋に大事そうにしまった。
しばらく進んでいると、今度はトーが何かを見つけた。
「よし、ツルがあった。しかも量が多いぞ。当たりだ」
駆け寄って掴んだのは岸壁に貼り付くように伸びている、細い植物だった。一本一本は小指より細い程度だが、生物の姿が少ないこの地下世界では貴重な存在だった。
「集めるぞスルバ」
「うん」
せっせとツタを手で掴んで引っ張ると、簡単に千切れる。それを地面へ置いたバッグへ入れる。そうしていると、急にスルバが悲鳴をあげた。
「うわあっ!」
「スルバっ!」
全部集めても二人が背負うバッグの底を埋める程度の量だったが、貴重な焚き火の燃料だ。残りわずかだったのでここで補給できたのは幸運なことだった。
しかし小さな不幸がスルバを襲った。
「うう……」
「そのぐらいでメソメソするな。うっとうしい」
「だって……」
スルバは布を巻かれた手を、もう片方の手で押さえていた。
ツタを千切っているときに、ヒルに噛みつかれたのだった。
「ツタを集めるときはヒルに注意しろって言われてただろ」
「そうだけどさあ」
「おまえ、子供のころもヒルに噛みつかれてたよな。しかも顔を、三匹も」
「思い出させないでよ! あの時ずっと笑ってるだけでぜんぜん取ってくれなかったトーのこと、今でも恨んでるからねっ!」
「ハハッ」
トーは楽しそうに笑い、スルバは睨む。
「よし焼けたぞ」
「うわあー、おいしそうー」
焚き火で焼けた六つ足イモリの匂いを嗅いだスルバは、つばを飲み込む。
「スルバはこっちな」
トーがナイフで二つに切ったイモリを渡すと、スルバは驚いた顔になる。
「えっ? こっちは頭のほうだよ。頭が一番おいしいのに、いいの?」
「ああ。でも次に捕まえた時は頭をもらうからな」
「うん!」
笑顔でイモリの頭をかじるスルバを見て、トーも笑う。
「…………」
消えかけの焚き火をトーはただ感じていた。
「すー……、すー……」
同じ毛皮にくるまっているスルバはすでに寝ていた。
二つの目は光を見れず色も知らない。マネ婆の話によると、火は光を放ち赤という色なのだという。
額の目は隣で寝るスルバの姿を感じている。触れている体の熱を、自分の肌がそれ以上に感じていた。
火は光り熱く、暖かい。光という概念を知らないトーにとって、光とは【熱】だった。
トーは手でスルバの頬を触る。温かい。そこには熱があった。それこそが光だった。
「…………」
トーはスルバの体を抱きしめ、その熱を感じながら眠った。
「止まれ」
いつになく強い口調でトーは言った。スルバの顔に緊張が走る。
「シー」
トーが開いた口から、二又の舌が出てきた。
この舌は種族の特徴で、舌が空気中の微細な物質や振動を感じ取ることができる。これを出すという時は、最大限の警戒をしている証拠だった。ただならぬ様子に、スルバも二又の舌を出す。
「来る!」
舌先がこちらへ急接近してくる存在を感じ取り、地面を蹴る足音も聞こえてきた。
「ガウッ」
姿を現したのは四足歩行の獣だった。
「口長だ!」
全身を毛に覆われて長い尻尾を持ち、その名前の通り口が前に長く伸びていて、大きな口に並ぶ牙で噛みついてくる危険な獣だ。
トーは右手にナイフを持ち、左手に盾のように背負っていたバッグを構える。口長には槍など遠くから攻撃できる武器を使うべきなのだが、そんな物は持っていない。ナイフが唯一の武器だった。
「うっ」
獣に飛びかかられたトーは、背中から地面へ倒れてしまった。バッグを盾にしたおかげで体を噛まれることはなかったが、獣はバッグに噛みついたまま頭を振り回し暴れる。
「っくそ!」
バッグを奪い取られてしまえば身を守る盾が無くなってしまう。必死で抵抗するが相手の力が強すぎる。
「うわあぁー!」
「ギャンッ」
声をあげて突進したスルバが獣に体当たりをした。その手にはナイフが握られていて、獣の腹に深く突き刺さっている。
「このっ!」
この隙にトーも獣の首へナイフを刺し、手首を何度も回して傷をえぐる。しばらくすると獣の動きが止まった。
「死んだ、か……」
獣の血で体が染まってしまったトーが、獣の体の下から這い出る。
「ケガはない、トー?」
「うん。この口長、野良ならいいんだけど……」
舌先がこちらへ近づく新たな気配を感じ取る。さらに人の話し声も。
「くそ! やっぱりこの口長、鼻輪のやつらだった!」
鼻輪というのはトー達とは別の種族のことで、鼻で臭いを感じ取る能力が非常に優れていて、鼻に輪のアクセサリーをしているのが特徴だった。
口長も鼻が非常に良い獣で、鼻輪の種族が飼い慣らして狩りの相棒としている。
「逃げるぞスルバ!」
「う、うんっ」
地面にへたりこんでいたスルバの腕を掴んで立ち上がらせると、二人は走り出す。
鼻輪というのは本来の種族名ではなく、トー達が呼んでいる蔑称だった。彼らの種族とは昔から争いが絶えなかった。
「ハッ、ハッ」
必死で走るが、まだ鼻輪の大人たちの声が聞こえる。
ひと月ほど前、トー達の村が鼻輪によって襲撃された。トーとスルバは何とか逃げ出して、これまで生き延びていた。
スルバの腕を強く掴む。温かい。これはまだここにある。姿は見えず、色を知らないが、何度も何度も熱を感じたことがある存在。
「……なんとか逃げれたね」
「疲れたなあ」
「うん。ねえ、このまま地上まで行けるかもしれないね」
「結構下り坂を進んだから、遠いんじゃないか」
「ええ? 坂を何度も上がったよ? きっと地上に近くなったって」
二人は抱き合い、とりとめのない会話をして、いつの間にか寝ていた。
見えず知らぬ光 山本アヒコ @lostoman916
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