おんせんめぐり!

黒飛清兎

第1話 盲目少女とルカ




暗い…………とても暗い。


辺りを見渡してみても



「痛っ…………。」



僕は頭を抑えながら蹲った。


いきなり起き上がったからか、頭がぐわんぐわんする。



「ここは…………どこ?」


記憶が無い。


ここはどこなのか、僕は一体誰なのか。


僕の記憶がついさっきから始まったかのような奇妙な感覚に陥る。


起き上がろうとするも、周りが暗すぎてどこが地面なのかすら分からなくて上手く起き上がれず、ただ辺りをジタバタとすることしか出来なかった。


ジタバタとする度にパチャパチャと心地の良い音が鳴っているため、どうやら僕は水に浸かっているようだ。


いや…………この安心感のある温かさから察するにこれはお湯という物かな?


つまり、僕は温泉にでも入っているのだろうか…………。


しかし、僕は温泉に入った記憶も無ければ、そもそもそれ以前の記憶も無いため、どれだけ考えてもただただ不安が募るばかりである。


…………まぁ、とりあえずゆっくりしようかな。


明らかな非常事態なのにこんなに冷静になってのんびりしていられる自分の神経に僕は今絶賛驚き中だ。


いやぁ、何だかこのお湯は非常にリラックス出来る。


例えるなら、胎内に居る赤ちゃんのような気持ちになれると言った感じかな?


とにかく、考えれば考えるほど怖くなってくるし、今は一旦…………くつろごう。



「ふぅ…………。」



小さなため息が漏れる。


なんだか考え過ぎたからか疲れてしまった。


僕はお湯をパチャパチャさせ、心地よい音を鳴らした。


この音も何だかリラックス出来る。


これらは僕の記憶に何か関係があるのだろうか…………。


そんな事を考えていると、このリラックスムードに水を差すような耳障りな音が鳴り出した。


それは私を更に不安にさせるような音階を奏でるけたたましいサイレンの音だ。



「えっ、えっ!? 何この音!?」



僕はパニック状態に陥り、何とか起き上がろうとするもやはり起き上がることは出来ない。


そして、次の瞬間、爆音が鳴り響き、僕を包み込んでいるお湯が激しく震えた。


僕の不安のボルテージは一気に急上昇する。


爆音は1度だけではなく、何度も何度も鳴り響き、僕はその度に抵抗も出来ずに激しく揺さぶられた。


僕の脳裏に浮かぶ文字はネガティブなもの一色に染め上げられていく。


それでも何とかただ1つ浮かび上がってきたという言葉を頼りに再び起き上がろうとする。


しかし、起き上がれない。


恐怖による涙がポタポタと零れ落ちるがその音も爆音に掻き消される。


やがて僕は起き上がろうとする事を…………やめた。


僕は何もかも分からないまま、このまま死ぬんだ。


そう思った瞬間体から力が抜けていく。


まるで自分が居なくなっていくような、そんな、酷く寂しい感覚に襲われる。



「…………ル…………ヵ…………。」



何故そんな言葉が口から零れたのかは分からない。


しかし、その言葉は僕の胸の中でどんどんと大きくなっていき、ネガティブな言葉を掻き消していった。


嫌だ、まだ死にたくない。


まだ


そんな言葉で胸がいっぱいになる。


そして、最後の力を振り絞って僕は叫んだ。



「誰か…………誰か助けてっ!」



その瞬間、体が宙に浮いた。


いや…………浮いたんじゃない、


その証拠に、僕の背中と足辺りに柔らかな感触がある。



「だっ、誰!?」



僕は内心本当に助けてもらえるとは思っていなかったからびっくりしてしまい、ついそんな言葉を放ってしまった。



「えっ!? …………って、今喋ったら駄目だよ!」



明るく、可愛らしい声が小声で話しかけてきた。


僕は咄嗟に口を閉じた。


風を切る音と共に温まっていた僕の体に冷たい風が吹き、容赦無く熱を奪っていく。


その事に気が付いたのか、僕を助けてくれた何かは体を更に密着させてくれた。


そこまで温度自体が変わったような感じはしなかったけど、それでもなんだろう。


…………とても、あたたかい。


爆音が鳴り続き、その度に何かが散る音やサイレンの音がブチッと切れる音が聞こえてくるが、その全てが遠ざかっていく。


そんな中でも僕を助けてくれた何かが走る音がずっと聞こえてくる。


次の瞬間、先程までのサイレンの音とは違う、ウーウーという音やピーポーピーポーという音も鳴り始めた。



「あちゃー、もうたちも来ちゃったか…………。」



しょうぼうしさん?


それが来たら何か悪いかな。


聞き返したかったけど、今は話しちゃダメだ。


僕は口を閉じたままキュッと体を縮こめる。


爆発の音やサイレンの音が少しづつ遠ざかっていき、空気が少しづつ乾燥してくるのを感じた。



「うっ、痛い…………。」



今までは気付かなかったが、起き上がろうとしている際に体をぶつけて居たのだろう。


僕の体の色んな所からズキズキとした痛みが走っている。


そんな僕を心配したのかあの可愛らしい声はまた話しかけて来た。



「大丈夫? どこか痛いの?」


「大丈夫だよ、ちょっとだから…………もう話して大丈夫なの?」



何が起こっていたのかは分からないが、少なくとも危険な事が起こっていたことには間違いがないだろう。


僕は怖くて怖くて仕方がなかった。



「あはは、もう結構離れたから大丈夫だよ! 本当には心配性だよね!」


…………? それが、僕の名前?」



僕は自分の名前すら思い出せないから、その言葉にキョトンとした反応を返すしか無かった。


この声の主は僕の事を知ってるのだろうか?



「そっか…………うん、君の名前はだよ!」


「そうなんだ、僕の名前はメグ……………うん、いい名前だね!」



僕は心にという名前を刻みつけた。



「じゃあ君の名前は?」



僕は未だに顔も体も見る事の出来ない目の前にいる人にそう問いかけた。


しかし、何故か少しの間、沈黙が流れた。



「…………?」


「あ、あぁ、ごめんね! ええっと、私の名前はル……カ…………そう、ルカだよ!」


「ルカか~…………うん、凄くいい名前! よろしくね、ルカ!」


「うん、よろしくね!」



ルカは今まで以上に明るい声でそう返した。




ーーーーーーーーーーーーー





「よぉし、ここまで来たらもう大丈夫!」



ルカがそう言うと走る音は止まり、僕の体を襲う冷たい風も止んだ。



「大丈夫? 立てそう?」


「…………ちょっと無理そう……かな?」



まだ辺りは暗いままだし、地面すらまともに認識出来ない様な状態じゃどうやっても上手く立てっこない。


…………というか、ルカはどうやって走っていたんだろう。



「うーん、体の様子も確認したいし、とりあえず降ろしたいんだけど…………。」


「えっと、さっきお湯に入っていた時は普通に座れてたから、多分普通に座れはするんじゃないかな?」


「…………そっかぁ!」



…………ルカって天然さんなのかな?


僕の言葉を聞いてルカはそぉっと僕を何かに座らせた。


背もたれもあったため、倒れたりもせずに無事に座る事が出来た。



「じゃあ、ちょっとだけじっとしててね!」



ルカはそう言うと僕の体をぺたぺたと触り始めた。



「ちょ、ちょっと、くすぐったいよ!」


「あはは、ごめんごめん、もうちょっとで終わるから我慢しててね。」



どこを触られるのか暗くて見えないからか、凄くくすぐったい。


けど、これも僕を想っての事なんだろうし、我慢しなくちゃ!


僕はくすぐったいのに耐えながら、数分間我慢し続けた。



「うん、体に大きな異常は無さそうだね。 ちょっとだけあおたんが出来ちゃってたけど…………この位ならすぐ治るし、大丈夫!」


「ふぇ、もう終わったの?」



数分間のくすぐったさに耐えた僕はもうヘロヘロだった。


僕はこのくすぐり地獄から抜け出せた事に安堵した。



「ルカ…………もうちょっと手加減して欲しかったなぁ…………。」


「あはは、ごめんごめん、それにしてもメグはちょっと驚きすぎじゃない? 私がメグの顔を見ている時ちょっと触っただけで飛び跳ねそうになってたもん。」


「しょうがないよ、だって何も見えてないんだもん、いきなり触られたらびっくりするに決まってるよ!」


「…………え?」



話の途中、いきなりルカは黙り込んでしまった。


そして、次の瞬間、私の頭を掴み目のあたりを触り始めた。



「ちょ、いきなり何!?」


「そんなまさか…………目を瞑っていたから気付かなかった…………。」



ルカは深刻そうな声音でブツブツと何かを呟いている。



「何かあったの?」


「ねぇ…………今私の顔って見える?」


「え? こんなに暗いんだから見えるわけないよ…………。」



ルカはこの暗い中でも走れるみたいだし、相当夜目が利くんだろうけど、僕はそんな凄い力を持っているわけじゃないし、どう頑張ったってルカの顔は見えない。


僕がキョトンとしながらそう返すと、ルカは悲しそうな声で僕に語りかけた。



「えっとね、今は日陰だから気付かないかも知れないけど、一応天気は快晴なんだ…………。」



快晴?


そんなはずは無い。


僕の目の前に広がるのは真っ暗闇だ。


ただ、ルカが言っていることが正しいとしたら僕は…………。



「僕は…………目が見えてない……?」


「…………多分、そうだと思う。」



僕は一気にパニックに陥ってしまった。


それじゃあ、さっきから僕が上手く立てないのも近くに何があるか分からないのも全て周りが暗かったせいじゃなくなってしまう。


そうしたら、僕はもう、一生何も出来ない子になってしまうじゃないか。



「…………悲しくないの?」



ルカは不思議そうに僕に聞いた。


何故そう問われたかと言えば、僕が思ったよりも動揺していないからだろう。


悲しくない訳じゃない。


驚いていない訳じゃない。


ずっとこのまま生きていくなんて考えるだけで不安になってくるし、生き残れるかすら分からない。


ただ、何故か分からないけど、の声を聞いてると大丈夫な気がしてくるんだ。



「うん、そんなに……ね。」


「…………そっか、メグは強いんだね。」



そう言うとルカはただ黙って僕のの横に座り、肩をくっ付けてきた。


何故だかそれだけで僕の心はスっと軽くなっていく。


この時間がなんとも愛おしく、かけがえのないものに感じる。



「ねぇ、ルカはどうしてこんなところにいたの?」


「…………旅をしてたんだ。それがどうしたの?」



旅か…………何だか素敵だ。


僕は記憶も無いし、多分1人なら生きていくことは出来ない。


ならいっそ…………。



「じゃあさ、その度に僕も連れて行ってくれないかな?」



こんな何も出来ない人間、お荷物になってしまうのは分かっている。


それでも、僕はルカに着いていきたい。


そう心から思った。


断られる事も考えていたが、それはいい意味で裏切られる事になった。



「もちろん! こんな状態のメグを置いていくわけないでしょ!」



ルカは先程までと変わらない声音で僕にそう言ってくれた。


僕はその言葉に安堵し、少し涙が零れそうになるが、グッと堪えて満面の笑みを浮かべた。



「ありがとう!」



僕は横にいるルカに抱きついた。

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