うちの坊ちゃんはちょっとおかしい(2)庭師
「ねぇトム、この蝶々どう思う?」
「へ?蝶々だなぁと思いますが」
庭師の俺にも気さくに声をかけてくださるのは、公爵家のコーリー坊ちゃんだ。身分に分け隔てなく接して下さるお優しい方で、見た目もまるで天使のような美しさだ。だが、中身はだいぶ狂っている。
「そうか!トムがそう思うならきっと大丈夫だな!」
「は?」
坊ちゃんの滅多にないほどの輝く笑顔。先ほどまるで天使のようだと思った芸術品のようなお顔が、禍々しい笑みを浮かべる悪魔に見えた。
「えっと、坊ちゃん……?」
なんとも言えない不安を覚えた俺はつい尋ねてしまった。
「その……ひらひら飛んでる綺麗な四枚の羽がついてる物体、もしや蝶々じゃないんですかね?」
「鋭いね!これは蝶々型用心棒だよ!」
「ようじんぼう……用心棒?」
なぜそんなものを……と言いかけて、ふと思い当たる可能性に俺は口をつぐんだ。一人のご令嬢の姿が脳裏に浮かび、たらり、と嫌な汗が背中を伝う。
「この蝶々はね、僕の分身なんだ!ひらひらと漂うただの美しい蝶々に見えるけど、この子が見たもの聞いたことは全て僕に伝わるんだよ!」
「それは……大層……」
大層ヤベェものをお作りになられたようで。
思わず口にでかけた台詞を必死に飲み込む。
そして俺は怖いもの見たさで、つい用途を聞いてしまった。
「そりゃもちろん、カミラの護衛さ!」
「……さようでございますか」
だろうなーと思いながらも、俺は内心で頭を抱えた。
妙齢のご令嬢にそんなものをつけちゃいけないよ。それは犯罪者のやることだよ、坊ちゃん。
「最近カミラにストーカーがいるようなんだ。色んなものがなくなるし、しょっちゅう視線を感じるらしくて。カミラを守るために僕が徹夜で作り上げたのがこの蝶々さ!」
「な、なるほど……」
すでに坊ちゃんという、凄くやばいストーカーがいるのに、カミラ様はお可哀想なお方だ。貴族のお嬢さんに対して失礼かもしれないが、俺は心の底から気の毒になった。そして親御さんの心境を思うと居た堪れない。自分の娘がこんな綺麗な顔して権力も能力も十二分に備えた、えげつない変態に目をつけられているなんて、わりと悲劇だ。
「その蝶々は……ちゃんと時と場を選んで、目隠ししたり音を止めたりは、できるんですかね?」
まさか寝室や風呂場や便所にはついていかねぇだろうな?と思って恐々と尋ねれば、眉を顰めた坊ちゃんは不愉快そうに口を尖らせた。
「馬鹿を言うな」
「そ!そうですよね!」
さすがにそんな真似はしないよな、と安心した俺が甘かった。
「それじゃあカミラを守りきれないじゃないか!一瞬の油断が命取りになるかもしれないんだぞ!?」
「…………そ、そうですね…………」
分かっていないなと言わんばかりに俺を見てくるが、どう考えても坊ちゃんの方がおかしい。
「カミラに危機が及んだと判断したら、この愛らしく儚げな蝶々が、カミラを除く半径三メートル以内の森羅万象を焼き尽くすんだよ!可愛い顔して最強!まるで僕そのもののような、素晴らしい護衛だろう?」
「ちなみに……その『危機』の判断は、どなたが?」
「無論僕さ」
「な、るほど……」
これはだめだ。俺が何か話しても聞いてもらえるとは思えない。どうしよう。坊ちゃんは便所の中までついて行く気満々だ。
「さて、さっそくカミラのところに飛ばしてみるよ!トム、邪魔してすまなかったね、ありがとう!」
颯爽と立ち去る坊ちゃんを俺は座り込んだまま呆然と見送った。
「とりあえず、アイラ様に報告しとくか……」
俺は悄然としながら立ち上がって、侍女頭の元に向かう。アイラ様にどうにかできるとも思えないが、俺は覗きやストーカー行為の片棒を担ぎたくはないのだ。
「はぁ……カミラ様、なんもできねぇ俺をお許しください……自力で逃げてください……」
坊ちゃんは使用人にとっては大変いい主人だが、執着される側になったらとんでもなく厄介なおひとだ。あの最恐の変態に目をつけられたのが運の尽きとも言える。
翌日まで、どうなることやらと俺は戦々恐々としながら過ごしたのだが、どうやらカミラ様は速攻で対処されたようだ。
「坊ちゃんは昨日から部屋に引き篭ってます」
「頬っぺたに真っ赤な手跡をつけていました」
「かなり強力な平手打ちをされた痕だと思う」
「また何かやらかしたんだろうねぇ」
複数の使用人の話を聞いて俺は心の底から安堵した。
流石カミラ様だ。坊ちゃんを掌の上で転がすだけある。只者ではない。……便所と風呂場に侵入される前に気がついているといいな……。
「坊ちゃん、今後は変態行為は控えてくださると良いんだがな……」
まぁ無理だろうな。坊ちゃんは己の行動が変態そのものだと気がついていないから。
「はぁ……カミラ様、俺はぁあなた様のお幸せを心から祈っておりますよ……」
坊ちゃんからは逃げられないと思うから、そのうちこの家にカミラ様もお住まいになるのだろう。もしいらっしゃったら、好きなお花をお聞きして、たくさん植えて差し上げよう。少しでもお心を慰められるように。
「俺たち使用人の身の安全のためにも、ぜひ早めに嫁いできて頂きたいもんだ……」
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