第3話 卒業してから顕在化した身分差
「は?」
「だから、私と結婚なんて面倒な手間をかけなくても、どっかのご令嬢との初夜本番の練習がてら、娼館行って童貞捨ててきなよ。そうすれば呪いも解けるって」
「そんな簡単に言うな!見知らぬお姉様に手解きされるなんて繊細な僕には無理だ!それに僕はわりと有名人なんだぞ!?」
「守秘義務あるでしょ」
自意識過剰な青少年を白けた目で見るが、コーリーは真顔で真剣だった。
「無理だ……陰で『公爵家の完璧令息、息子は本物の愚息』とか言われたらと思うと耐えられない」
「……っふ」
きっと切実な悩みなのだろうが、あまりの語呂の良さに思わず吹き出しかけた。なんとか堪えたが、私が笑いを堪えて震えていることを察したコーリーに恨めしげに見つめられる。仕方ないでしょ面白かったのよ。
「完璧令息ねぇ……その二つ名、さっさと返上しなさいよ?学生時代から使われてるじゃない。そろそろ飽きない?」
「無理だ、今更」
喜んでいるわけでもなさそうなコーリーは、疲れた様子で首を振った。
「一度手に入れた名声をつつがなく手放すのは難しいよ。落ちぶれた印象を持たれてしまうからね」
「学生時代にあなたが
コーリーのあらゆるポンコツ言動を、私が綺麗にフォローし尽くしたからこそである。
「その通りだよ、心から感謝してる。あと君が居ないせいでメッキが剥がれそうでマズイから早く戻って来て欲しいです」
「さすがに正直すぎて笑っちゃうわよ」
私の両手を掴んで切々と語りかけてくるコーリーに、私は断った上でケラケラと遠慮なく笑った。本当に正直な奴だなぁと呆れる。
私が笑い終わるのを苦笑しながら眺めていたコーリーは、ため息を一つ吐いて真面目な顔で続けた。
「それは冗談としても、社交界では噂も命取りなんだ。平民の間なら面白おかしい冗談で済んでも、僕にとっては全てを失いかねない大打撃となりうる。下手な相手に知られるわけにはいかないんだ」
そして澄んだ瞳でじっと私を見つめてくる。言いたいことはよく分かったから、私もはぁ、とため息を一つ吐いて、己を指さして首を傾げてみせた。
「えー……だから私?」
「そう、だからカミラ、君だ」
力強く頷いて、コーリーは熱く語った。
「君のことは僕は誰よりも信頼している。そして君になら、どんな姿を見られてもダメージがない」
「なんでよ。使い物にならん愚息を恥入りなさいよ」
「君なら笑わないだろ?」
「笑うわよ、大爆笑するわよ」
そんなの笑うに決まってるじゃないか。
だが、コーリーは困ったように笑って、「それでも良いよ」と頷いた。
「多分、君になら笑われても平気だと思う」
「なんでよ」
「君に馬鹿にされるのは問題ない」
「被虐趣味なの?良いところのお坊ちゃんに多いって言うわよね。女王様探したら?」
「話を逸らさないでくれるかい?わかってるくせに、意地悪だな」
コーリーが不貞腐れたように唇を尖らせて、拗ねたように睨みつけてくる。
「僕は、君のことを誰よりも認めている。自分より優れていると思う相手になら、笑われても気にならないということだよ」
「……あーもー」
恨めしそうに見つめてくるコーリーに、私はため息が止まらない。
「はぁ……まったく。しょーもない人ね、相変わらず」
差し出されたのは、あまりに無防備で純粋な本音だった。高貴な身分のご令息とは思えないあけすけな好意に頭痛がしてくる。
「あーもーーー」
うんざりした顔で、私は自分の眉間をぐりぐりと押した。頭痛を治めるために。そしてついでに、ついついにやけそうになる顔を隠すために。
「私は他人で、あなたのお姉さんでもお母さんでもないんだけど」
「そりゃ姉や母に筆下ろしは頼まないさ」
「ああ言えばこう言う」
まったく、甘えん坊も大概にして欲しい。そう思いながらも、私はわりと絆されていた。
「頼むよカミラ、一生のお願いだ」
「下手すると一生拘束されそうだから嫌よ。あなた、気に入ったおもちゃは手放したくないタイプの甘えん坊なんだもの」
「えー」
「……でもまぁ、筆下ろし
「え?」
情けなくて可愛い友人のために、一肌脱いでやってもいいかなと、思わなくもない。
「私の開通式を童貞の下手糞に乱暴に貫かれるのは気に食わないから、座学だけはしっかり
「なっ、や、あの、え!?」
「あと報酬は弾んでよ?結婚しなくても一生生きていけるくらいにはね」
破瓜を捧げるというのは、嫁ぎ先を失うこととほぼ同義なのだから、それくらいはお願いしなくては。
「え?え?ええ!?」
「何?不満なの?」
ジロリと睨め付けると、コーリーは動揺丸出しに縋りついてきた。
「やっ、あの、いや、えっと、け、結婚はしてくれないの?」
「しないわよ面倒くさい」
しどろもどろの問いかけを、私はバッサリ切って捨てる。
「なんで!?年寄り好色爺より僕の方がマシでしょ!?」
「マシとか情けない語彙使ってんじゃないわよ、未来の公爵閣下が」
雲の上の存在になるはずのコーリーなのに、いつもあまりにも距離感が近すぎる。こちらも色々誤解してしまいそうになるからやめて欲しい。
「はぁー、てかアナタだって、男爵家の五女と婚姻歴ありとか、無駄な経歴汚しでしょうが」
「で、でも婚前交渉なんて、そんなのふしだらで破廉恥だよ!」
「ふしだらも破廉恥もなにもないでしょ、自分が頼んできてる内容を振り返りなさい」
「ぐっ」
自分の頼み事を思い返して反論の言葉をなくしているコーリーに、私はこれで話は終わりだとばかりに立ち上がった。
「じゃ、そういうことで。筆下ろしのみの契約書に作り直してからまた呼んで」
「嫌だよそんな……えっと、風情がない!」
「風情ぃいい?」
胡乱な目で見ている私を、真っ赤な顔をしたコーリーが必死の形相で引き止める。
「せ、せめて恋人、契約恋人でどうだろうか!?」
「恋人ねえ」
また新しい面倒な手間をかけようとするのか。高貴なお方の日常というのは須く手間がかかるものと聞くが、もう少し即物的で効率的になった方が良いと思う。
「恋人って何するの?」
「そ、そりゃデートしたりとか」
「却下」
「なんで!」
「噂になるでしょ、人に見られるのは嫌よ」
「なんでさ!?前はよく出歩いてたじゃないか」
「学生時代はね。生徒会長と会計というお仕事もあったし、私も最優秀生徒とか貰っててそれなりに立場も対等と言えたから。でも」
薄く笑って、私はコーリーをしっかりと見据えて口を開いた。
「
「カミラ……」
言葉をなくすコーリーに、私は肩をすくめて苦笑する。
「今の私たちは、高等研究機関で研鑽を積む優秀な公爵家の嫡男と、単なる義務教育課程の学園を卒業しただけの男爵令嬢よ。釣り合いが取れないって言ってんの」
これは卑下することもない、ただの事実だ。
「……研究者として、君の方が優秀だと、僕は知っている」
「でも私には、お金がないもの」
苦しげに絞り出されたコーリーの言葉に被せるように、私はあっさりと言い切った。
「分かってるでしょう?研究にはお金がいるの。生まれ持った能力も、生まれた家の力も、才能のうちよ」
「家の力、なんて」
「ははっ、甘っちょろいこと言わないで?」
否定しようとしたコーリーの言葉を叩き潰すように、私は嘲笑った。
「生まれ持って、私は優秀だったわ。努力してこの能力を得たわけじゃないの。能力があったから努力できただけの話」
聞きようによっては傲慢な、けれどこれは、事実に裏付けられた台詞だ。私は私の能力に揺るぎない自信を持っている。私は学園で、誰よりも優秀だった。この目の前にいる、銀の匙を咥えて生まれてきた、とてつもなく優れた男よりも。
「でも、個人の持つ能力も、その人の家の力も同じようなものよ。私たちは無から
「それは……そうだけれど」
どう反論して良いか分からないのだろう。恵まれて生きてきたコーリーが、私のような叩き上げの皮肉屋と口喧嘩して勝てるわけがないのだ。
「どうでもいいから、さっさと契約書作り直しなさいな」
書き物机から取り上げた厚みのある契約書を、バサリとコーリーの目の前に叩きつける。
「
そしてどこかのご令嬢と結婚して、幸せに暮らせば良いのよ。
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