短編集
しがなめ
忘れられない夢
今日も悪い夢を見た。
「はぁっ……」
頭が痛い。自然と眉間に皺がよる。
嫌な夢の種類はまちまちだ。
自分が死んだり、追いかけられたり、落ちたり、轢かれたり……。
その度に犯人の顔が見える。見えるけれど、起きる時には覚えていない。
人が死ぬ夢は吉夢だということも聞いたことがあるが、そうだとしても寝覚めが悪い。
こんなことだから昔のことを忘れられない。本来忘れるものであるはずの夢を、幾つか覚えたままでいる。
本来嫌なことは"夢"と言う形で処理し、忘れる仕組みになっているのに、忘れていないからだ。
忘れていないのではなく、忘れられないのかもしれないし、自分が意図的に忘れないようにしているのか分からないが。
「おはよう……」
大学でわたしが話しかけても、誰も答えてくれない。
周りの声が大きすぎるという可能性はあるが、にしたってシカトはないだろう。
わたしが来たことに気づいてくれてもいいのに。
そんなわたしに気づかず、教授は通り過ぎて前に立つ。
当たり前だ。わたしは昔からこうだから。
「えーと……今日は悪い知らせがあるのだけど」
わたしはすぐに興味をなくして、窓から外を見る。
「——さんが亡くなった」
どうやら誰かが死んだらしい。これもわたしの嫌な記憶として、果たして処理されるのか、否か。
わたしの友人は息を呑んで、ぼろぼろと涙を流し始める。
言っちゃ悪いが、大袈裟じゃないか。
わたしは友人の肩を支えに行った。励ます、というか、慰める、と言うべきか。
しかしわたしの手が彼女に触れることはなかった。
「な……何でいるの」
青ざめた顔で、彼女は言う。小声だった。
「何でって、"僕"は——」
そうだ——思い出した。
「そうか……そうだったな」
わたしは彼女に殺されたんだ。
"忘れられない悪い夢"で見た犯人は僕が死の淵で見た彼女の姿だった。
まさに教授が言った名前はわたしのものだったのだろう。
「そうだ——貴方はわたしを殺したんだ。刺して。落として、轢いて——」
わたしの声は届かない。もう死んだからだ。
彼女は奇異な目で見られている。当たり前だ。何もいないところに目を向けて青ざめているのだから。
何もいないと言っても僕がいるが。
僕たちが話している間にも、教授の話が続いていた。
「無惨にも遺体は残らなかったそうだ——犯人はまだ見つかっていないらしい」
その犯人がこの講義室にいるとは皮肉なものだ。
彼女と話すために僕は後で人目のつかないところで話そうと持ちかけた。
意外にも彼女は応じた。
「何で僕を殺した!? 僕を殺す理由なんて、僕たちの間には——」
「あるよ!!」
彼女は強い口調で問い詰める僕の言葉を遮った。
「だって……だって……貴方はいつも幸せそうだったじゃない! 羨ましかった! 見ていられなかった……」
路地裏に響き渡る涙ぐんだ声。まるで、僕が悪いみたいだ。
「そんなのただの逆恨みだよ。言い訳にならない」
もう君は犯罪者になったんだよ、と僕は追い討ちをかけるように言った。
「うるさいっ……私はあんたの彼氏を奪うためならなんでもする……!」
そんなに人の幸せが妬ましいか。
「何であんたは好いてもらえる? 何でそんな変なのに……喋り方だって……なんだって……!」
もはや叫びとかした彼女の声はわたしに響かない。
「変わらなくていいって言われたから。——ありのままでいいって言ってくれたから」
あんたのせいで記憶はあやふやだが、と言いかけて止める。今の彼女は何をするか分からない。
「——好きにしなさい。もうあんたは死んだんだから。何もできないんだから」
吐き捨てるように言って、彼女は去ろうとする。
わたしは念じる。彼女がこれから不幸になりますように、と。
僕は念じる。彼女がこれから不幸になれますように、と。
わたしの中には、僕とわたし、ふたつ。
最初から彼氏なんていないのに、哀れな人だ、と僕は思う。
「……簡単に死ねると思うなよ」
その言葉を吐いたのは、わたしなのか、僕なのか。
一番彼女を殺したかったのはわたしだったから。妬ましかった。
いつも教室の中心にいるあなたが。
堂々と中心にいるあなたが、単純にわたしに唾を吐きかけたことを忘れられないでいるから。
夢にも見た、貴方を殺す夢。
だから"僕"は生まれたと言える。
存在しない"彼"、すなわち"僕"を"わたし"が作った。
嫉妬しやすい彼女に殺されるための計画は立てやすかった。
詳らかに"彼"との関係を彼女に打ち明け、純粋な"わたし"を演じた。
道連れだ。
数秒後に悲鳴が聞こえた。
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