第21話:「自然との対話」

 デジタルデトックスの旅6日目、美月は夜明け前に目覚めた。今日は宿のご主人に勧められた、近くの山頂での日の出観察に挑戦することにしていた。


 薄暗い中、美月は丁寧に身支度を整えた。今日の装いは、機能性と美しさを兼ね備えたものを選んだ。上質な綿のシャツに、丈夫なリネンのパンツ。そして、祖母から受け継いだ古い羽織を肩に掛けた。髪は、風に乱れないようにしっかりとまとめ上げた。


 宿を出発する前、美月は自家製のハーブティーを一杯飲んだ。その香りが、美月の感覚を優しく目覚めさせる。小さなリュックに水筒と軽食を詰め、美月は静かに宿を後にした。


 山道を登り始めると、まだ暗い森の中に様々な生き物の気配を感じた。フクロウの鳴き声、小動物の足音、そして木々のざわめき。美月は、これらの音に耳を傾けながら、慎重に歩を進めた。


 山頂に到着したのは、空がわずかに明るみ始めた頃だった。美月は深呼吸をし、東の空に目を向けた。徐々に空が明るくなっていく様子は、まるで世界の始まりを見ているかのようだった。


 やがて、太陽が地平線から顔を覗かせた。その瞬間、美月は思わず息を呑んだ。眼下に広がる雲海、朝日に照らされて輝く山々、そして徐々に色を取り戻していく森。その光景は、言葉では表現できないほどの美しさだった。


 美月は、持参したスケッチブックを取り出し、この瞬間を描き留めることにした。筆を走らせながら、美月は自然の壮大さと、その中で生きる自分の小ささを感じていた。


 下山途中、美月は小さな清流に出会った。冷たい水に手を浸し、その清らかさに心を洗われるような気がした。美月は、この水の一滴一滴にも生命が宿っていることを強く実感した。


 宿に戻った後、美月は今日の体験を元に、一枚の俳句を詠んだ。


「旭光(あさひ)に 目覚む万象(ばんしょう) 我もまた」


 この短い言葉の中に、今日の体験のエッセンスが凝縮されているように感じた。


 夜、美月は星空の下で瞑想をすることにした。満天の星を見上げながら、美月は宇宙の広大さと、同時に自分もその一部であることを感じた。


 ノートに向かった美月は、こう記した。


「自然と向き合うことで、自分自身との対話が深まっていく。この感覚を、日常に戻っても忘れないでいたい」


 美月は、明日で最後となるこの旅への感謝の気持ちを胸に、静かに目を閉じた。



 デジタルデトックスの旅、最終日を迎えた美月は、これまでとは少し違う感覚で目覚めた。朝日が障子を通して柔らかく差し込む中、美月はゆっくりと目を開けた。


 今日の装いは、この一週間の体験を体現するかのような、シンプルでありながら深みのあるものを選んだ。手織りの生成りのワンピースに、藍染めのカーディガンを羽織る。髪は、自然な風合いを生かしたゆるいお団子に結い上げた。化粧は、自家製のローズウォーターで肌を整えた後、唇に淡いピンク色の口紅をほんのり乗せるだけにとどめた。


 朝食は、宿の中庭で取ることにした。朝露に濡れた草花の香り、鳥のさえずり、そして目の前に広がる山々の雄大な景色。美月は、これらの感覚を一つ一つ丁寧に味わった。地元の季節の野菜と米で作られた朝粥を口に運びながら、美月は食材一つ一つに込められた生産者の思いを感じ取っていた。


 食事を終えた後、美月は宿の周りを最後の散策に出かけた。一週間前に歩いた同じ道が、今は全く違って見える。木々の葉の揺れ方、小川のせせらぎ、足元の小石の一つ一つまで、全てが新鮮に感じられた。


 小さな丘の上で、美月は深呼吸をした。澄んだ空気が肺いっぱいに広がる。目を閉じ、風の音に耳を傾ける。そこには、都会では決して聞こえなかった自然の声があった。


 宿に戻った美月は、荷物をまとめ始めた。一つ一つの持ち物に、この一週間の思い出が詰まっているようだった。特に、毎日書き綴ってきたノートは、美月にとってかけがえのない宝物となっていた。


 チェックアウトの時間、美月は宿の主人夫婦に深々と頭を下げた。


「本当にありがとうございました。この一週間は、私の人生を変える大切な時間になりました」


 主人夫婦は温かく微笑み、美月にハーブティーの詰め合わせを手渡した。


「これからの人生に、この体験を生かしてくださいね」


 宿を後にする時、美月は最後にもう一度振り返った。そこには、一週間前とは違う自分自身が立っているように感じられた。


 帰りの列車の中、美月は窓の外の景色を眺めながら、この一週間を振り返った。デジタル機器から離れることで、逆に世界とのつながりを強く感じられるようになったこと。自然の中で過ごすことで、自分自身の内なる声をはっきりと聴けるようになったこと。そして何より、本当の豊かさとは何かを、身をもって体験できたこと。


 美月は、ノートを取り出し、最後のページを開いた。そこには、この旅の締めくくりとして、こう記されていた。


「デジタルデトックスは終わるが、本当の旅はここから始まる。日常の中に、この一週間で得た気づきをどう活かしていくか。それが、これからの私の課題であり、楽しみでもある」


 列車が都会に近づくにつれ、美月は決意を新たにしていた。デジタル社会の中で生きながらも、自然とのつながりを忘れず、自分自身の内なる声に耳を傾け続けること。そして、本当の意味での豊かさを追求し続けること。


 美月の顔に、穏やかな微笑みが浮かんだ。新しい人生の幕開けを感じながら、美月は静かに目を閉じた。都会の喧騒が近づいてくる中、美月の心には深い静けさが宿っていた。

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