第17話「再訪の癒し」

 初冬の寒風が街路樹の枯れ葉を舞い上げる夕刻、美月は小料理屋「なごみ」への道を静かに歩んでいた。古民家再生プロジェクトの完成から数週間が経ち、心身ともに疲れを感じていた美月は、ふと「なごみ」での静かな時間を過ごしたいという衝動に駆られたのだった。


 この日の美月の装いは、初冬の寒さと「なごみ」の落ち着いた雰囲気に調和するよう、細心の注意を払って選ばれていた。上質なカシミアのタートルネックセーターは、柔らかな淡いグレーで、その色合いは冬の曇り空を思わせる。その上に羽織った深緑のウールのコートは、枯れ木の中にひっそりと佇む常緑樹のような存在感を放っている。スカートは、ヴィンテージショップで見つけた手織りのツイード素材で、その温かみのある質感が美月の優しい雰囲気と見事に調和していた。


 足元は、職人の手仕事による柔らかな革のショートブーツ。そのアンティークブラウンの色合いは、落ち葉を踏みしめる音と共に、秋から冬への移ろいを静かに物語っていた。


 髪は、いつもよりも少し手の込んだスタイルに。ナチュラルなウェーブを生かしつつ、後ろで緩やかに束ね、首筋に柔らかな陰影を作り出している。耳元には、祖母から譲り受けた小さな真珠のイヤリングが、控えめに輝いていた。


 化粧は、肌の透明感を生かしたナチュラルメイク。ほんのりとしたピンク色のチークが、寒さで上気した頬を自然に演出している。唇は、保湿効果の高い薄いベージュのリップクリームで潤いを与えるにとどめた。全体的に淡い色使いで統一されたメイクは、美月の知的で落ち着いた雰囲気をさらに引き立てていた。


 路地裏に佇む「なごみ」の木戸をくぐると、懐かしい香りが美月を包み込んだ。和紙を通して柔らかく漏れる灯りが、美月の心を静かに解きほぐしていく。


「いらっしゃいませ、美月さん。お久しぶりです」


 女将の温かな声に迎えられ、美月は心地よい安堵感に包まれた。


「はい、お久しぶりです。今日は、ゆっくりと過ごさせていただきたいと思います」


 美月の声には、疲れと期待が入り混じっていた。


 カウンター席に座った美月は、まず季節の冷酒を注文した。女将が選んでくれた酒器は、美月が以前から気に入っていた備前焼の片口。その独特の風合いと、手に馴染む質感に、美月は小さな喜びを感じた。


 酒を一口含むと、繊細な米の香りと、かすかな果実の風味が広がる。美月は目を閉じ、その味わいに浸った。


「美月さん、今日はお任せコースでよろしいでしょうか?」


 女将の声に、美月は静かに頷いた。


「はい、お願いいたします。今日は、心も体も癒していただきたいです」


 女将は、美月の言葉の意味を深く理解したかのように、優しく微笑んだ。


「承知いたしました。では、今宵の癒しの旅をお楽しみください」


 そう言って、女将は厨房へと向かった。美月は、これから始まる食事への期待に、心がわくわくするのを感じた。


 最初に運ばれてきたのは、「初雪の舞」と名付けられた先付け。白い陶器の小鉢に、薄く削られた蕪が雪のように盛られ、その上に透き通った出汁ジュレが静かに輝いている。一口すくうと、蕪の甘みと出汁の旨みが口の中で溶け合い、まるで舌の上で雪が溶けていくような感覚だった。


 二品目は「木枯らしの囁き」。焼き茄子のすり流しに、香ばしく炒めた松の実と、柚子の香りが添えられている。口に含むと、茄子の滑らかさと松の実の食感が絶妙なハーモニーを奏で、柚子の香りが木枯らしのように心地よく香る。


 三品目、「晩秋の収穫」は、地元の有機農家から仕入れた根菜のグリル。蓮根、人参、牛蒡、里芋が、それぞれの個性を生かしつつ、優しく調和している。添えられた木の実のソースが、秋の実りの豊かさを物語っていた。


 四品目は「霜降る夜」と名付けられた刺身の盛り合わせ。寒ブリ、平目、鯛が、まるで霜柱のように立てられた大根おろしを背にして並んでいる。新鮮な魚の味わいに、美月は思わず目を細めた。


 五品目、「冬の温もり」は、じっくりと煮込まれた牛肉の角煮。とろけるような柔らかさの肉が、口の中で優しく広がる。添えられた蓮根と蒟蒻が、肉の濃厚さを巧みに引き立てていた。


 六品目は「夜霧の訪れ」と称された椀物だった。澄んだ出汁に、ふわりと浮かぶ蓬麩が夜霧のように神秘的な雰囲気を醸し出している。椀の底には、季節の松茸が隠されており、その香りが立ち上るたびに、美月は秋の深い森を散策しているような錯覚に陥った。


 七品目、「月光の粧い」は、銀鱈の西京焼き。雪のように白い身が、月明かりに照らされたかのように輝いている。口に運ぶと、西京味噌の上品な甘みと、鱈の繊細な旨みが絶妙なバランスで広がった。添えられた山葵菜の苦みが、全体の味わいを引き締めている。


 八品目は「風花の舞」と名付けられた蕎麦。細く繊細な蕎麦は、まるで風に舞う雪のよう。つゆに浸して口に運ぶと、蕎麦の香りと喉越しの良さに、美月は思わず目を閉じた。添えられた葱の香りが、冬の清々しさを感じさせる。


 九品目、「冬の余韻」は、柚子釜で蒸し上げられた茶碗蒸し。蓋を開けた瞬間、柚子の香りが立ち上り、美月の心を和ませた。なめらかな茶碗蒸しの中には、銀杏や椎茸、海老が隠されており、それぞれの食感と味わいが、冬の豊かさを表現していた。


 最後の十品目は「初霜の輝き」。白玉粉で作られた小さな餅が、砂糖菓子のように繊細な霜を纏っている。一口頬張ると、もちもちとした食感と共に、中から溢れ出る温かな黒蜜の甘さが口いっぱいに広がった。添えられた柚子シャーベットが、全体の味わいを爽やかに締めくくっている。


 美月は、一品一品に込められた季節の移ろいと、料理人の心遣いに深い感動を覚えた。それぞれの料理が、単なる食事以上の体験を美月にもたらしていた。


 食事を終えた美月は、ゆっくりと最後の冷酒を味わいながら、今宵の体験を心に刻んでいった。女将が近づいてきて、静かに尋ねた。


「いかがでしたか、美月さん?」


 美月は、心からの満足感を込めて答えた。


「本当に素晴らしかったです。まるで、四季の移ろいを一夜で体験したような……。心も体も、深く癒されました」


 女将は、美月の言葉に優しく微笑んだ。


「それはよかったです。実は、今回の料理は、美月さんの古民家再生プロジェクトの噂を聴いて、それにインスピレーションを得て考案したんですよ。古いものと新しいもの、伝統と革新の融合を、料理で表現してみたかったんです」


 美月は、その言葉に驚きと感動を覚えた。自分の経験が、こんな形で料理に反映されるとは思ってもみなかった。


「そうだったんですね……。私の体験が、こんな素晴らしい形で表現されるなんて、本当に光栄です」


 美月の目に、感謝の涙が浮かんだ。


 帰り際、美月は「なごみ」の木戸を出る前に、もう一度振り返った。そこには、温かな灯りと、心地よい余韻が待っていた。美月は心の中で誓った。これからも、日々の生活の中に、このような小さな贅沢と深い癒しを見出していこうと。


 冬の夜空に、小さな雪が舞い始めていた。美月は深呼吸をし、その冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。心身ともに癒された美月の足取りは、来た時よりも軽やかだった。「なごみ」での時間は、美月に新たな活力と、生きることの喜びを与えてくれたのだった。

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