16・聖杯の鮮血
俺は自分で自分の手首を噛み切って出血させた。全裸の俺の手首から流れ出た大量の鮮血がドクドクとカップに溜まる。
やがて陶器のワインカップが俺の生き血でいっぱいになるころには出血が止まり手首の傷が塞がった。
「これでよし」
陶器のワイングラスには、並々と俺の鮮血が注がれていた。瑞々しいトマトジュースのような真っ赤な鮮血が古びたカップの中で水面を波紋で揺らしている。
それを持って俺はキングの前まで歩み寄る。
「な、なんだワン……」
「ほれ──」
俺は鮮血が注がれたワインカップをキングの顔の前に差し出した。
キングは目を丸くさせながら鮮血のカップを凝視している。その瞳の瞳孔が震えていた。
「キング、これを一口飲め」
「魔王様の血を飲めとワン……?」
「舐めるだけでも構わんぞ。ただし、俺に永遠の忠誠を誓わなければ途端に石化してしまうぞ」
「石化とワン……?」
石化と言う言葉にキングは怯えて震えを止める。それはまるで石化されたかのように硬直していた。
「感覚を残したまま石化して、永遠に動けないまま石体が朽ちるのを待つだけになる。それが呪いの石化だ」
キングが率直に疑問を吐き捨てた。
「なんで石化するのに、自分が鮮血を口にしないとならないのだワン!?」
当然の意見である。当然だが、今は飲んでもらわなければ話が進まない。だから俺は強引な口調で言ってやった。
「俺に永遠の忠誠を誓え、魔王に心から忠義を誓うのだ。キング、それで石化はしない!!」
「えぇぇ……、でも、だワン……」
俺は更に押しきるように言ってやった。
「俺に永遠の忠誠を誓い続けている限り、貴様のステータスを底上げしてやるぞ。 強く、賢く変化させてやる!!」
俺の言葉に偽りはない。ただ、それをキングが信用するかは別の話だった。
そして、キングが質問を繰り返した。
「この血を嘗めれば、ステータスの底上げ……、するのかワン?。強く、賢く、なれるのかワン!?」
「その通りだ!」
全裸の俺は更に誘惑した。
「力が上がり、知能が上がる。それは魔物の進化だ。文明レベルも向上してモラルも授かるだろう。魔物の強さが向上しながらも思考が人に近付く。それは魔物から魔人に進化するに等しい」
「ま、魔物の進化が進むのかワン……。しかも、魔人に進化するのかワン……」
「もう洞窟で暮らすこともなくなる。自分で綺麗な家を建て、絶品の料理を作って家族と食卓を囲める。魔物以上の暮らしを手に入れられるのだ。この俺の鮮血を体内に取り込めばな!」
そう、遺伝子から変わるのだ。俺の鮮血を口にしたのならば、魔物を越えた魔物に進化できるのだ。まさにそれが魔人覚醒である。
俺が鮮血が入ったワインカップをキングの眼前に再び差し出すと、キングは震えながら下を伸ばしてワインカップに顔を近付けた。
そして、緊張しながらもペロリと一度だけ鮮血を舐める。
一つ舐めで十分だ。これでキングが俺に忠義を誓ったことになる。
すると──。
「うお、うおおお!!!」
キングは自分の両肩を抱き抱えながら身を丸めた。震えだした自分の体の異常に耐えている。
やがて震えが収まったキングは跪くと胸を広げて天を向いた。
「ワォォオオオオオ!!!」
キングが青空に向かって元気良く遠吠えを奏でる。その咆哮には生き生きとした力が漲っていた。野生の迫力も増していた。
するとキングの体が膨らんだ。いや、筋肉だけが膨らんだ。細マッチョだった体が太く凛々しく変化した。
細マッチョだった筋肉がボディービルダーのようなパンパンの筋肉に膨らんだのだ。
それは筋肉改造に成功したアスリートのようだった。見た目からして露骨に戦闘力がアップしているのが理解できる。
まるでシベリアン・ハスキーからアラスカン・マラミュートに変貌したかのようだった。
「こ、これは、どういうことだ!!」
ボディービルディングのマッチョポーズを取りながらキングは自分の変わった体格を見回しては感激していた。上半身はムキムキの逆三角形である。
「す、凄いぞ。体の全身にパワーが漲る!!」
感激に打ち震えるキングを見ていたコボルトの一匹が気が付いた。
「キ、キング様の語尾のワンが消えているワン!!」
言われたキングも自分の口調を思い出しながら驚いていた。
「ほ、本当だ。コボルト特有の語尾が消えているぞ。奇跡だ!!」
確かにキングはもうワンワンと言ってない。知能も向上した証拠だろう。
俺は感激のあまりに跳ね回るキングに言ってやった。
「俺の鮮血のパワーが理解できただろう。今のお前なら、それが重々分かるだろうさ、知力的にもよ!」
すると俺の前で両膝を着きながら相貌を輝かせるキングが祈るように両手を組ながら感激を口に出す。
「はい、分かりますぞ。自分が魔物として進化したことが、ありありと分かりますぞ。 肉体レベルだけでなく、知能レベルまで向上したのが悟れますぞ!!」
するとキルルが早口で問題を出す。
『6×7は!?』
キングが即答する。
「40です!!」
俺は親指を立てながら微笑んだ。
「正解だぜ、キング!!」
キルルが小声で否定した。
「42ですよ……」
とにかくだ……。
「ならば、ほれ」
俺は再び鮮血が注がれたワインカップをキングに差し出した。
「これを皆に回してやれ、仲間のコボルトたちにも飲ませるんだよ。それと、女子供にもな」
「はい、魔王様!!」
「そして、コボルト全員を魔王軍に引き込むのだ」
「はい、我が主、魔王様!!」
「それにだ、俺は魔王エリクだ。エリクと呼べ!!」
「はい、魔王エリク様!!」
キングは俺から鮮血に満たされているワインカップを受けとると仲間のコボルトたちに駆け寄った。すると次々とコボルトたちが俺の鮮血を舐めて進化していく。
太く体を進化させたコボルトから順々に天に向かって遠吠えを奏でていた。ちょっと小五月蝿い。
「キングよ、老若男女すべてのコボルトたちにも俺の鮮血を分けてやれ。それと俺は何度も出血してられないから、その血だけで皆を進化させてくれや。効率良くな」
「了解しました、エリク様!!」
俺は振り返るとキルルにウィンクを飛ばした。
「見たか、キルル。これが魔王の支配能力だ!」
『す、凄いですね……』
「そうだろう、そうだろう!」
確かに凄いスキルである。
ただ、自力で王国を作らなければならないのが面倒臭いはなしではあるのだが……。
まあ、それはしょうがないよね。その辺は楽しみながら努力に励むしかないだろうさ。これもすべては破滅の勇者を倒して世界を崩壊から救うためである。
なんにしろだ──。
これが女神が言っていた本能で分かるだろう魔王の能力のすべてだ。無勝無敗の能力と、魔王の支配能力である。
「どうだい、キルル。俺の魔王軍編成計画は上手くいくと思うか?」
キルルは微笑みながら答えた。
『上手くいくといいですね、うふん』
お世辞でも嬉しい。
キルルの笑顔は幼くも優しかった。幽霊なのに無垢に輝いていやがる。可愛い。
「相談役として期待しているからな、キルル」
キルルは更に明るく微笑みながら元気良く答えた。
『はい!!』
それからキルルは可愛らしく人差し指を立てながらアドバイスをくれた。
『魔王様、それでは最初のアドバイスです!』
「なんだ、キルル?」
『キングさんに生き血を仲間のコボルトさんたちに配る際には魔王様への忠誠心を誓わせることを忘れないようにとお伝えください。じゃあないと、話を知らない洞窟内のコボルトさんたちが事情を知らないまま鮮血を舐めて石化しちゃいますよ』
「あっ、そうだな!」
俺が振り返るとワインカップを持ったキングがスキップで洞窟の中に駆け込んで行くところだった。そのキングを俺は追った。貴重な王国の民たちを、石化で失うわけにはいかないからな!
『それと〜。そろそろ服を貰ってくださいな〜』
「はぁ〜〜〜い!」
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