四、
といっても、華美な調度品を置いていたり、むせ返るような香を焚いていたりするわけではない。無駄を一切省いた部屋で、むしろ神聖ささえあるほどだった。
長瀬の方は菫姫とともに現れた
「そなたは、岐阜の陰陽師……?」
「母上、
菫姫は居住まいを正すと、母をまっすぐに見つめた。澄んだ空のような瞳同士がぶつかり合う。
明晴はやや居心地の悪さを感じながら目を背けようとしたが、背けた方角には、菫姫の乳兄弟である
「へえ……なんか懐かしい気があると思ったら、随分な血筋じゃないか」
明晴の袖の影から出てきたのは、
(随分な血筋? 何のことだ?)
明晴は内心首を傾げながらも、話題に集中した。
「母上に――こちらの怪文書を見ていただきたく、本日は参上仕りました」
菫姫は、部屋から持ってきた文箱を前に出した。侍女の手を経由して、長瀬の方の前に置かれる。
箱の中には、血のように赤い文字で、「女神を攫いに行く」という予告が何枚も入っている。
「……海道、姫の警護はどうなっておる」
「申し訳ございませぬ」
海道は悔しげに唇を噛んだ。長瀬の方は眉を顰める。
「謝れとは言うておらぬ。――が、そなたらが傍についていながら、今だ犯人の尻尾を掴めぬとは如何なことか」
「母上。海道達を責めないでくださいませ」
菫姫は海道を下がらせた。
「私の部屋の前には、幾人も警護の者や侍女達が添うてくれております。誰にも気づかれずに文机に文を置いて去るなど不可能だと、母上もご存じでしょう」
「だから、殿に命じて陰陽師を呼び寄せたと申すか」
「この者は、初音を救うてくれたことがあるのです。私はこの者を信じております」
菫姫と長瀬の方は、視線を逸らすことなく対峙している。
しばしにらみ合いが続いた後、先に根を上げたのは長瀬の方であった。
「そなたと喧嘩をする気はない。――陰陽師よ」
「は、はい」
急に呼ばれた明晴は、やや声を裏返しながら背筋を伸ばす。
「そなたは――私に何が聞きたい?」
「……えっと……」
明晴は口ごもりながら、紅葉をちらと見た。
紅葉は昔を懐かしむように目を細めながら、菫姫と長瀬の方を交互に見ている。
明晴はゆっくりと口を開いた。
「長瀬の方さまのお身内に――神職に関わる者はおりませんか?」
たとえば
彼女が神霊や妖に狙われるのは、実母が
強い霊力を持つ人間は、本人の力量や望みに関わらず、悪しき者に狙われることが多い。
特に女系というのは、精神的な繋がりを持っているとも言われる。
菫姫もまた、母方の家系にそのような者がいたと考えるのが自然であった。
案の定、長瀬の方はそれを認めた。
「私の生家――長瀬家は、もともとは神職であった」
「……であった?」
「遡れば、という話じゃ。それこそ、家系図を何代も何代も遡って、というほどのな。今ではしがない、田舎の小さな土豪の娘に過ぎぬ」
「なぜ、神職でなくなってしまったのですか?」
「単純な話じゃ。没落してしまっただけよ」
神社というのは、山などの土地を所有していることが多い。当然、争いは耐えない。
それこそ信長が本願寺と争っているのも、広大な土地に数多の信者といった、脅威になりえるからだ。
長瀬の方の先祖もそうしたなかで、土地を追われたか、あるいは奪われたのだろうか。
「だが――私の先祖が残した日記に、不可思議な記述があった」
「不可思議な記述?」
「私の先祖は、幾度か神職としての長瀬家を再興しようとしたらしい。しかし、神職としての長瀬家を再興しようとしたところ、たちまち天災に巻き込まれるなどして、邪魔立てされる。まるで、目に見えぬ力が一族を滅ぼそうとしているかのようである、と書かれていた」
そうしていくうちに、一族の滅亡を恐れた先祖は、神職であることを手放した。
そして、流れ着いた土地に暮らすようになり、蓮見家の臣下に下ったのだという。長瀬の方が当主の正室になったのも、長瀬家が蓮見家の重臣であったことが影響しているらしい。
「ということは――菫姫は何らかの先祖返りの力を有しているのかもしれません」
「先祖返りの力?」
菫姫が瞬きを繰り返した。
菫姫は、紅葉の姿が見える。恐らく妖などを見る才能があるのだろう。しかし、長瀬の方にはそうした力はないようだ。母親から引き継いだ力――というよりは、先祖が持っていた霊力が世代を超えて、菫姫に受け継がれたのかもしれない。
「待って、明晴。でも私は、見えるだけよ」
「見える、というのは結構脅威なんだよ」
紅葉は菫姫の前に立った。
「特に低級な妖なんかは、見える者に執着する。妖も霊も神も、人の感心がなくなったら消えていく危うい存在なんだ。――そして見える者の血肉は、妖に力を与える」
「では……この文の送り主は、私を……」
菫姫はごくり、と唾を飲んだ。
海道は、菫姫の傍らに膝を突いた。
「それがしが、必ず姫をお守り致します。――必ずや」
「海道……ありがとう」
菫姫は、ほっと肩の力を抜いた。海道の手を取り、頬に当てる。
「そなたがいてくれるから、私は安心できる。どうか、傍にいておくれ」
紅葉は口笛を鳴らしながら、「若いねぇ」とにやにやしている。明晴はきょとんとしながら、菫姫と海道のやり取りを見守った。
ひとまず、菫姫の警護の手配などは、海道がやってくれるらしい。そこは明晴が関われる範囲ではないので、素直に頼むことにした。
(問題は――菫姫を狙っている理由が予想通りなら、初音も危ないということだ)
明晴は一足先に長瀬の方の部屋を辞した。
足を向けたのは、初音の部屋である。初音に会うのは、あの騒動以降だった。
たった数日のことだというのに、何年も会っていないような気分になるのが不思議だった。
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