3、蓮見家の人々
一、
久しぶりの日光を浴び、明晴は伸びをした。
「娑婆の空気は美味しいなぁ!」
「どういう台詞だよ、そりゃ。変な語彙力しやがって」
「誰が変な語彙力だよ、
「うひゃひゃひゃひゃ! や、やめっ、擽るなって、あははははは!」
明晴と紅葉がじゃれ合っていると、足音が近づいてきた。振り返ると、そこにいたのは
初音は市女笠を被り、いつもより派手な小袖を着ている。虫の垂衣から覗く頬には白粉を叩き、唇にはうっすらと紅も塗っていた。
「……今日明日中に、蓮見領に入るから」
見惚れる明晴に、初音は気まずそうに言う。
「本当は、化粧なんて好きじゃないんだけど……一応……」
「……そうだね」
初音と身近になり過ぎて、忘れていた。初音は――
明晴は紅葉を抱きかかえると、初音の前に押しつけた。
「意外と、夕方は冷えるから。紅葉、あったかいよ。肉球も気持ちいいし」
「勝手に人を癒やしにするな。別にいいけど」
「いいんかい。……じゃあ――俺は、あっちの列だから。気をつけて」
明晴は初音に背を向けた。
初音が追いすがろうとするのを、紅葉は制止する。
「少し、時間をやってほしい」
「紅葉……でも」
「頼むよ」
紅葉は懇願するように尻尾を動かした。白と黒の縞模様の尾が初音の手の甲を撫でる。この間、明晴に振り払われた場所を念入りに。
「あいつにも――考えることが色々あるんだ。時間が必要だ」
明晴も混乱している。自分の気持ちも、これからどうしたいかも、はっきりとしていないに違いない。
初音は唇を噛み締めながら、紅葉の肢体に顔を埋めた。獣の匂いと、風の匂いが交じり合っていた。
「わたしには……何もできないのね」
「……今は、な」
いずれ初音の存在が必要になる時が来るはずだ、と紅葉は思う。紅葉にしかできないことがあるように、初音にしかできなこともある。
初音は口惜しそうに「そうよね」と呟いた。
「わたしは今……明晴の傍にいない方がいいわよね」
初音は紅葉を地面に下ろした。
「明晴のこと、お願いね。たぶん、領地ではあまりできることないと思うから……」
離れて行く初音の背に、紅葉は溜息を吐いた。
***
蓮見領には、夕方過ぎには到着した。
日暮れ間際にも関わらず、蓮見家は来客の到着を快く出迎えた。
「殿――お帰りなさいませ」
そう言ったのは、四郎と同じくらいの年頃の女だった。年恰好は、三十路半ばか、もう少し上だろうか。
蓮見四郎の正室・
長瀬の方は明晴含め、一人一人に温かい言葉をかけてくれた。
「夕餉の支度はできておりますゆえ。まずは足を洗って、ゆっくりとなさってください」
同じくらいの年代でも、帰蝶のような絶世の佳人――というわけではない。だが、聞く人を癒す声に、明晴のささくれだった気持ちは穏やかになった。
「初音どのも――お帰りなさい」
長瀬の方は、初音にも声をかけた。初音は市女笠を脱ぎながら、深く頭を下げる。
「奥方さまも――お久しゅうございます。長くご無沙汰してしまい、申し訳ございません」
「そなたの活躍は、
長瀬の方は目を潤ませながら、侍女に客人を部屋に案内するように命じた。
「初音どの。そなたの部屋は、同じ場所にあります。覚えておいでですか?」
「え、ええ。でも――」
「そなたは、れっきとした蓮見の娘です。遠慮せずお使いなさい」
初音は、後ろ髪を引かれたように――明晴を振り返った。
豪奢な小袖も、濃い化粧も、蓮見の姫の威厳を示すために用意されたものだろう。
(俺と初音は、そもそもの立場が違う……)
明晴は初音から目を反らし、蓮見家の侍女についてその場を離れた。
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