3、蓮見家の人々

一、

 明晴あきはる達が出立することとなったのは、それから三日後のことだった。

 久しぶりの日光を浴び、明晴は伸びをした。

「娑婆の空気は美味しいなぁ!」

「どういう台詞だよ、そりゃ。変な語彙力しやがって」

「誰が変な語彙力だよ、紅葉こうよう! そんなこと言う神様はこうしてやる!」

「うひゃひゃひゃひゃ! や、やめっ、擽るなって、あははははは!」

 明晴と紅葉がじゃれ合っていると、足音が近づいてきた。振り返ると、そこにいたのは初音はつねだった。

 初音は市女笠を被り、いつもより派手な小袖を着ている。虫の垂衣から覗く頬には白粉を叩き、唇にはうっすらと紅も塗っていた。

「……今日明日中に、蓮見領に入るから」

 見惚れる明晴に、初音は気まずそうに言う。

「本当は、化粧なんて好きじゃないんだけど……一応……」

「……そうだね」

 初音と身近になり過ぎて、忘れていた。初音は――蓮見四郎はすみしろうの二の姫なのだ。本来なら明晴は、顔も見られなかったに違いない。

 明晴は紅葉を抱きかかえると、初音の前に押しつけた。

「意外と、夕方は冷えるから。紅葉、あったかいよ。肉球も気持ちいいし」

「勝手に人を癒やしにするな。別にいいけど」

「いいんかい。……じゃあ――俺は、あっちの列だから。気をつけて」

 明晴は初音に背を向けた。

 初音が追いすがろうとするのを、紅葉は制止する。

「少し、時間をやってほしい」

「紅葉……でも」

「頼むよ」

 紅葉は懇願するように尻尾を動かした。白と黒の縞模様の尾が初音の手の甲を撫でる。この間、明晴に振り払われた場所を念入りに。

「あいつにも――考えることが色々あるんだ。時間が必要だ」

 明晴も混乱している。自分の気持ちも、これからどうしたいかも、はっきりとしていないに違いない。

 初音は唇を噛み締めながら、紅葉の肢体に顔を埋めた。獣の匂いと、風の匂いが交じり合っていた。

「わたしには……何もできないのね」

「……今は、な」

 いずれ初音の存在が必要になる時が来るはずだ、と紅葉は思う。紅葉にしかできないことがあるように、初音にしかできなこともある。

 初音は口惜しそうに「そうよね」と呟いた。

「わたしは今……明晴の傍にいない方がいいわよね」

 初音は紅葉を地面に下ろした。

「明晴のこと、お願いね。たぶん、領地ではあまりできることないと思うから……」

 離れて行く初音の背に、紅葉は溜息を吐いた。


***


 蓮見領には、夕方過ぎには到着した。

 日暮れ間際にも関わらず、蓮見家は来客の到着を快く出迎えた。


「殿――お帰りなさいませ」


 そう言ったのは、四郎と同じくらいの年頃の女だった。年恰好は、三十路半ばか、もう少し上だろうか。

 蓮見四郎の正室・長瀬ながせかたである。

 長瀬の方は明晴含め、一人一人に温かい言葉をかけてくれた。

「夕餉の支度はできておりますゆえ。まずは足を洗って、ゆっくりとなさってください」

 同じくらいの年代でも、帰蝶のような絶世の佳人――というわけではない。だが、聞く人を癒す声に、明晴のささくれだった気持ちは穏やかになった。

「初音どのも――お帰りなさい」

 長瀬の方は、初音にも声をかけた。初音は市女笠を脱ぎながら、深く頭を下げる。

「奥方さまも――お久しゅうございます。長くご無沙汰してしまい、申し訳ございません」

「そなたの活躍は、鷺山さぎやまかたさまからお教えいただいています。本当に、大きくなられて――」

 長瀬の方は目を潤ませながら、侍女に客人を部屋に案内するように命じた。

「初音どの。そなたの部屋は、同じ場所にあります。覚えておいでですか?」

「え、ええ。でも――」

「そなたは、れっきとした蓮見の娘です。遠慮せずお使いなさい」

 初音は、後ろ髪を引かれたように――明晴を振り返った。

 豪奢な小袖も、濃い化粧も、蓮見の姫の威厳を示すために用意されたものだろう。

(俺と初音は、そもそもの立場が違う……)

 明晴は初音から目を反らし、蓮見家の侍女についてその場を離れた。

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