二、

 今朝の朝餉は、


・大根の葉の漬物

・大根の味噌汁

・麦飯


 である。


 明晴あきはるは味噌汁を一口啜ると、目を輝かせた。

「美味しい!」

 味噌汁の大根には、しっかりと火が通っているし、味噌の塩梅もちょうどいい。

 漬物は塩気がちょうどいいし、麦飯によく合う。

 だが、初音はつねはあまり元気がなさそうだった。

「ごめんなさい。大層なもの、作れなくて……。本当は、魚でも焼けたら良かったのだけど……。まだ、手際が良くならなくて」

 ずっと城で暮らしていた初音は、家事に不慣れだ。特に料理は、最初の頃は壊滅的だった。

 今も夕餉に一汁一菜より多く品が並ぶことはない。

 しかし、明晴にとっては充分過ぎるご馳走だった。

「俺は、嬉しいよ。初音がこうやって家を守ってくれるから、陰陽師として励めるわけだし。……それに」

 今度は明晴が肩を落とした。

「俺の俸禄って言ったって、微々たるものだしさぁ……ごめんね、半人前で……反物もろくに買ってあげられなくて……」

 信長のぶながからは、俸禄とは別に、米を支給されている。他に、明晴と初音は庭に畑も作っているので、食べるには困らない。

 しかし、年頃の娘である初音に、充分なお洒落をさせてやれないのは、心苦しかった。今まで城で綺麗な小袖を着ていた初音だが、明晴と暮らすようになってからは、継ぎ接ぎをしながら着回しをしているらしい。

「それはわたしも同じよ」

 初音は微笑を浮かべた。

「わたしは、明晴がどういうことをしているのか、いまいちよく分からないけれど……でも、明晴が毎日、御屋形さまのところでしている学びやお勤めが、いずれ日本の民にとって大切なことだというのは理解しているつもり。衣なんて、なんだっていいのよ。わたしは、明晴の暮らしを支えるために頑張るわ。夜は、もっと美味しいものを作るから待っていてね」

 はい、と初音は明晴に包みを渡した。

「握り飯だけで悪いけど、よかったら持って行って」

 明晴の胸がどきりと音を鳴らした。

 まるで、妻が夫を見送るようだ――と言いそうになった時だった。


「きっと、母親が息子を見送る時って、こういう気持ちなんでしょうね」


 わざと言っているのか、悪気はないのか。

 いずれにせよ、明晴はその場に突っ伏した。

「明晴、おかわりは?」

「……いる」

 傍から見れば、初音は明晴に「嫁いだ」ようなものらしい。

 しかし、初音の側は明晴を庇護の対象としてしか見ていなかった。



***



「前途多難だなぁ」

 明晴が筆を動かしていると、仙千代せんちよがからかいながら筆を奪い取った。

「そこ、間違ってる。春は『あけぼの』な」

「え、『あけぼの』って書いたんだけど」

「いや、見えないから。書き直し」

「えー!」

 容赦なく斜線を引いて来る仙千代に、明晴は頬を膨らませた。

 明晴の日課は、大体次の通りだ。


・午前四時頃、起床。身支度を整える。

・午前四時半頃、家の見回りと身支度を整え、畑の手入れ。それが終わり次第、朝餉を取る

・午前五時頃、その日会う相手の運勢を占う。

・午前五時半頃、城に出仕。

・午前六時頃、信長に謁見。占いの結果を告げる。


 これ以降は、基本的には自由にしていい、と言われている。

 明晴は信長に仕えているが、万見仙千代まんみせんちよら小姓とは違い、政務には滅多に携わることはない。将来的には神社との取引だったり、寺との交渉などをすることもあるそうだが、まだ明晴は14歳と幼く、そういう段階にない。

 むしろ明晴の場合は、手習いだったり、時事だったり、教養だったりと、基本的なことで学ばなければならないことが多くあった。

 今は、暇を見ては万見仙千代から、「枕草子まくらのそうし」を書き写すように命じられているところである。

「初音、よくこんなの写本しようと思うよなぁ……」

「初音どのが?」

「そう。帰蝶きちょうさまから借りたのを、わざわざ写本しているんだよ。しかも、全部写本しようとしているくらい入れ込んでて……」

「初音どのは才女だからなぁ」

 仙千代は明晴の後ろに回り、筆を一緒に持ってくれた。仙千代が支えていてくれるせいか、心なしか字が綺麗になっている気がする。


 初音は、帰蝶から直々に手習いを授けられており、字の美しさでは定評がある。

 頭もよく、漢文にも秀でている。その甲斐あってか、帰蝶からは「少納言しょうなごん」というあだ名を授けられていたそうだ。


「しょ、少納言……」

 父親の官位ではなく、清少納言から取って「少納言」。

 清少納言せいしょうなごんのことも、そもそも歴史のこともよく把握していない明晴だが、初音が聡明だということだけはよく分かった。

「頑張れ、晴明の子孫」

「うぅ、頑張る……」

 明晴は仙千代の手に従いながら、筆を動かし続けた。


「万見さま」


 戸の向こう側から、他の小姓の声がする。

「如何した」

 仙千代の雰囲気が、ぴりっと鋭いものになった。暇中の仙千代をわざわざ呼びにくるとは、余程の急用なのだろうか。

「御屋形さまがお呼びにございます」

「御屋形さまが? すぐに行く」

 仙千代の手が明晴から離れた。

「明晴、春のところ、百回書いとけよ」

「百……ッ!?」

「冬まで、と言わないだけ優しいだろ」

 仙千代が小姓について行こうとした時だった。

「万見さま。万見さまだけではなく、陰陽師どのもともに、と――」

「俺も?」

 明晴は目をぱちぱちと瞬いた。

 信長には、今朝既に運勢を伝えてある。一体何があったのだろう。一日に何度も占い直すのは縁起が良くないのに。


蓮見四郎はすみしろうどのが、陰陽師どのにお会いしたい、と――」


 その名に明晴は固まった。

 蓮見四郎――初音の実父であった。

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