第22話 商店街にて
淡い日差しが射し込む都会の駅。夏の厳しさなどとうの昔の事に思えてしまう。いつも通り二人の到着を待つ春斗。秋の空気は澄んでいて、すっきりとした日差しが心にまで染み入って清々しい気分を起こしてくれる。ポケットの中で震える携帯電話を取り出し開いた。表示は一件のメールの着信を報せていた。
秋男のやつがまだ寝ていて時間がかかりそうだから好きなように時間潰して
冬子から送られて来たメールには文言の飾りも無ければ記号が連ねられることもない。ただ真っ直ぐ伝えたい事が送られてくるだけだった。秋男が心霊以外の迷惑にまで手を染めていることを確認した春斗は大きなため息をつきながら駅の近くの商店街へと足を運び堪能する事にした。
通りの途中、商店の並びから抜けられる道と隣にはまた異なる商店の縦並びを見てすぐさま目を逸らす。以前花瓶を買い、酷い目に合った事を思い出し、その店がある列から距離を取りながら通り過ぎていく。傍から見れば妙に端の方を歩く不審な人物に映っていたことだろう。やがてパンの優しい香りが漂って来て空腹感を得てしまった。財布を確認してパンの並ぶ店と睨めっこすること一分程度を経て通り過ぎていく。
楽しみは二人と一緒に味わいたかった。
それから左目の端に映る光景、春斗はそれに対して大いに驚いてしまった。
その先からはこれまでと異なる雰囲気が香って来るのだ。初めて嗅いだものであるにもかかわらず懐かしい香り。飛び交う威勢のいい声や溢れ出る激しい活気が染みついた光景はテレビでしか見たことの無いもの。店員たちは通り過ぎて行こうとする人々に大きな声を飛ばして呼び込み各々の自慢の品を売っていた。
テーブルに置かれた揚げパン、ある人が抱える小さなコンテナに収められたものは瓶の牛乳やコーラ、キッチンペーパーを敷いた上に置かれているものは串に刺されたクジラカツだろうか。飲食物以外にも売られているものは数多く。けん玉や独楽に鞠、上等な生地の和服など。
昭和の香りだ。
春斗はその光景に魅入ってしまいだらしなく開かれた口が塞がらない。色褪せた映像の世界が今ここに鮮明な色を付けて設置されていたのだから。
異様な光景でありながらも好奇心に満ち溢れて舞い上がる想いと共に軽い足取りで跳ねるように歩きながら財布の中身など最早知らないと呟いてクジラカツを買って食べながら歩いていく春斗。慣れない場所でありながらもこのような通りは無かったと記憶が告げていた。恐らく幾つかの企業が手を取り合って開催した企画なのだろう。
納得してしまったためだろうか。この雰囲気に混ざって微かに漂う不穏な気配など最早彼の心には入ってなど来なかった。
歩き続けている春斗に向けて小太りの中年男性が近付いて来た。大きな手に包むように持っている壺を見せ付けて誘いの言葉を持ち込む。
「若いの、この壺買って行かないかい。幸せになれるよ」
春斗は古典的な商売を行なう男を見つめる。上から下まではっきりと映り、ようやく気が付いた。その男は足元が透けて見えないのだ。この場にも霊が存在するという事と共に姿も古典的だと思い知らされた。
かつて塾だった廃墟に忍び込んだ時に体験した事、時代における流行りや個人の思い込みや未練の形が霊としての在り方を決めるという事。思い返しながら春斗は男に対して強めの声で答えた。
「結構です。幸せならもう持ってるので」
秋男と冬子、二人との関わりがかけがえのないもの。既に充分なものを持っていた。
「ほんとうにいいのかい、もっと幸せになれるよ」
「要りません」
それだけ答えても尚男は引き下がらずに同じような問いかけを続ける。
「ほんとうに、ほんとうに、もっと考えた方がいいよ」
何度も繰り返すことで不安を掻きたてようと画策する男を相手に春斗は一瞬だけ腕時計に目を向けて男の方へと再び目を合わせる。
「時間が時間なのでもう行きますね」
「そうかい、じゃあまた今度」
男は悔いに充ちたような表情をして春斗を見送っていた。
☆
春斗は戻って来た。駅には豪快な人だかりが出来ていて日差しも朝と比べて心なしか強くなっているように思えた。
ほんの少しだけ待っているとあくびをしながらゆったりと歩く秋男と日差しにあてられて忌々しそうな顔をしている不健康そうな顔をした冬子が遅れてたどり着く。春斗は先程の体験を話した。
「そんな催し聞いてないな」
呆れた顔をする冬子と表情を輝かせる秋男、そんな二人を連れて再び商店街を歩き始める。
非常に強い誘惑をしかけてくるパン屋を無視し、先程のように花瓶を打っていた店に怯えることなく堂々と、左を見ながら歩いていく。
「確かこうやって歩いたらその辺に」
そう言って足を進めた春斗が次に目にしたのは女性用の服屋。そんなはずはない、春斗はあの体験を思い出して言い聞かせる。
「春斗も寝ぼけてたってわけだろ」
仲間意識を春斗に送り込もうとする秋男の言葉には耳も貸さないで冬子は春斗に訊ねる。
「つまり服屋さんより近いがパン屋よりは遠いとこ。そこの壁らへんだな」
頷く春斗に微笑みを振りかけて冬子は壁際を歩く。目を閉じて歩く。闇に地面の踏み心地に身を任せ、途中で立ち止まった。
「断末魔の残り香。確か春斗はクジラカツを食べたと言ってたな」
春斗は肯定の返事を声にする。冬子は続けるように意見を奏で始める。
「クジラなんて昔はよく食べられてたらしいが」
春斗は生唾を飲む。秋男は目を輝かせる。緊張と楽しみは交差し、それぞれの色が言葉を詰まらせるものの、咳払いで一拍置いて続ける。
「今はこの地域の商店街の小さな店で調理して売れる程にお手軽に仕入れられる程捕ってるわけじゃない」
蒼白の肌に影を纏わせながら冬子は己の立てた結論を静かに告げた。
「商店街のそのコーナー自体が霊道みたいなものかもな」
春斗はあの通りを思い出す。生きていた時代とはかけ離れているにもかかわらずどこか懐かしい光景、活気のある人々、今という時間から切り離された香りを感じさせる空気感。冬子の言う通りあの場所は霊道なのだろうか。もしも長い時間をそこで過ごしてしまったら、時の流れの違いに流されあの時代に置き去りにされてしまったら。
もしかすると今でもあの道に繋がる場所がどこかにあって毎日のように何かを売っているのかも知れない。誤ってもう一度訪れた時どのような心境で見つめればいいのだろう。この世界の中では枯れ果てた光景はきっと百年後も変わらないことだろう。
時間の流れに置き去りにされた孤島のような哀愁漂うあの空間の中で彼らは愉快に生き続けている。既に死しているという事実を知らないまま。
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