第7話 昼のダムのドライブ
車は走る。不安定な道路を、生き続け独自の脈を張り巡らせた自然の中を。ゴールデンウィークに於ける何度目のお出かけだろう。予定も入らない休日など暇でしかなかったが為に目的一つ訊ねることなく車を走らせてしまった。世間から仲間外れにされて生まれた暇をも置いて行く程の速度で車は走っていく。冬子は秋男に訊ねた。
「今日は何故この山に行きたいって言ったのか、もしかして例の」
「霊のだぜ」
冬子は心境を隠す気の欠片も感じさせない盛大なため息と共に一つの決定を吐き出した。
「分かった、次からは選んだワケも訊くからな」
助手席に座っている春斗はペットボトルの緑茶をひとくち飲み、思ったことを容赦なく声に出していた。
「秋男って心霊スポットのことしか考えてないような」
「ようなじゃない、実際そうなんだ」
後部座席から助手席を幾度となく殴りながら秋男は否定してみせる。
「霊のことだけじゃねえよ」
果たして彼にもっと大切なことなどあるものだろうか。二人には想像も付かなかった。秋男は引き続き助手席に拳を入れながら車内を満たす音楽の音さえ消してしまう程の大声を上げる。
「酒と金と女の内の金が霊になっただけだっつーの」
「このダメ人間め、というか席殴るな、私の車だ」
秋男の冗談を水に流し車は地を走る。右手には木々、左手にはガードレールが頼りなく立つ崖が広がる。右から空を隠すように手を伸ばす木の枝たちは光を抑え込み、不安を煽る事に関しては最適な薄暗い道を形作っていた。
冬子の黒い瞳はあまり広いとは言えない道の脇から生えるように立てられた標識を捉える。標識の看板は黄色の身体を持ち黒の文字で模様が描かれている。まさに危険そのものの訴えだ。そのすぐ下にスリップ注意と書かれた長方形が貼り付けられるように固定されていた。
「冬子、ここそんなに凍るっけ」
その問いに対して落ち着いた声で冷やすようにかかる回答はまさに解答。
「山道なめたら酷い目見るぞ」
経験でもしたのか冬子の言葉は完璧な事実だった。さほど標高の高くない山であれども冬は舗装された道路に氷が張られ、朝は暗がりで凍っている様を見通すことが出来ない。そんな景色が運転手たちを大いに悩ませる。
そんな会話の末に冬子はかつてこの路上で車を滑らせたなどという疑惑を張られてしまうところだった。
そんな会話の末に起きた出来事だった。道路の真ん中を年老いた女がゆっくりと横切る。そんな姿をはっきりと見ていたため思い切りブレーキを踏んだ。車は摩擦と慣性に挟まれ擦られ大きな力で三人の身体を振り回しながら横を向いて止まる。
止まった事を確認し、仲間の無事を確認する。そこまで分かることでようやく冬子は気を抜いて袖で汗を拭う。
「危ないな、しかし何のために」
崖と森しかない道路、そのような場所を徒歩で横切る事が不自然でしかない。如何にこの道に慣れた地元民だったとしてもくねり曲がり突然駆け抜けて来る鉄の塊は恐ろしいものだろう。
春斗は辺りを見渡し、青ざめた顔で呟く。
「あの人、いないんだけど」
緊張と恐れに震えて異様な様を描き続ける二人の様子を見て秋男は笑っていた。
「お前ら演技上手すぎだろ。誰も横切ってないぜ」
見えていなかったのだろうか、春斗は喉に言葉を詰まらせながら秋男を見つめる。
「もしかして俺を脅かすためのサービスか。また断末魔のとか言うんだろ」
明るい表情で揶揄い続ける秋男を目の端に捉え、耳で気持ちを受け取った冬子は突如レバーをパーキングに入れ、サイドブレーキを引く。ドアを開けて飛び出し立ち尽くすこと数秒を経て現れた言葉。
「断末魔の残り香、間違いないな、あの婆さん」
死者はいなかった、或いはとうの昔に表れていたということを確認し、車の無事を確かめた上でドライブは続行された。
「さっきの下りなんだよお前らだけ見えてたのかよズリいな」
不満を喚き嘆く秋男の言葉には耳も貸さずに車を走らせ続ける。
やがて見えてきた橋、その途中にある看板を指して春斗は車を停めるよう頼む。
降り立って春斗は看板に書かれた文字を読み、この山のダムの成り立ちについての事を知る。ある集落に立ち退きの要請が出されたのだという事とその集落や墓が取り壊されて埋まっているのだという事。
冬子は秋男を睨むように見つめて訊ねた。
「そういえばお前霊が出るって知ってたよな」
驚くほどに固くて冷たい声や熱を感じさせない青白い顔。目の下のくまが更に熱を奪っているように見える。
「どんな現象なのか、もちろん知ってるよな」
熱を感じさせない冬子の顔に、責め立てるように投げられた質問に震える声で答えた。
「この辺はな、事故が多いらしいんだ。故郷を惜しむ霊たちがよく飛び込んでいるらしい」
冬子は先程の出来事を思い返し、秋男は用済みとでも言った様子で顔を逸らした。
「で、ハンドル操作を誤り真っ逆さまというわけか」
「間違いねえ、ネットの書き込みにもあるぜ」
確認された事実が本当だというのなら三人の命はダムの建設によって沈められた集落と同じ運命を辿ることとなっただろう。
「奇跡的に助かった人によれば助手席に出た事もあったんだとよ」
冬子は再び車に乗り込む直前、次の言葉でその会話を締めた。
「幽霊もきっと、故郷に帰りたいんだろうな」
この出来事は日本の自然の恩恵を受けようとした人類の身勝手が引き起こした一つの悲劇、故郷を失いし者の無念の叫びだったのかも知れない。
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