第4話 川

 桜が咲き誇っていた時がつい昨日のように感じられてしまう。気が付けば桜など完全に散って、涼しさが暖かさへと変わり果てる。

 季節の移り変わりの早さに春斗は目を回していた。

 車はある山を走っている。冬子の運転はいつの頃に手慣れたものなのか、身体全体を微かに揺らす動きは乗っていて心地よさをもたらす。男性アイドルグループの甘い歌声が流れる車内で冬子の運転に気持ちよく揺られながら春斗は思う。

――冬子さんやっぱり女の子だ、秋男のやつ何が女っぽくないから話しやすいだか

 冬子の好み、日頃のぶっきらぼうな態度の影の向こうで見え隠れする仕草。どちらも共に春斗からは遠いもののように感じられた。

――普通に女の子してらっしゃる

 女性にかける言葉すら選ばない秋男は今も気にすることなど無いまま後部座席で眠っている。女性と話すことが極端に苦手な春斗では冬子に向けて会話を持ちかける事など出来るはずもなかった。

――ちょい気まずいなぁ

「固いな」

「何が」

 突然ぽつりと言葉を零す冬子に対して春斗は上手く出て来ない言葉の中からどうにか短い言葉を引き抜いていた。

「あまり緊張されて顔引き攣らせられても悲しいんだ」

 冬子の言う事はもっともだった。女性だからと言って緊張を抱き続けて話さない、まるで関係から断絶する壁を張っている。そんな態度では受け入れてもらえない者の心地を味わってしまうものだろう。一言で表すのならば仲間外れ。その感情は肩身の狭さを主張しているそう。

 秋男が眠りの世界に籠って置き物と化しているために訪れた一時的な二人きり、その気まずさは友人の友人であるためのものであろうか。冬子はそう考えていたものの、事実はもっと単純なものでしかなかった。

 男性であればとうに打ち解けて二人きりでも会話を繋いでいたであろう。以前よりは緊張が収まっている春斗ではあるものの、話したい事を上手く声に出すことができない事にもどかしさを感じていた。胸にかかる霧に息を詰まらせてひたすら正面を見つめ続ける春斗に対して冬子はひと声かける。

「春斗、今から揺れる」

「えっ」

 如何なる見方をしてみても、どの感覚を用いても目前に広がるものは普通の道路の緩やかな下り道。揺れる理由を見いだすことなど出来なかった。

――まさか、また幽霊か

 突然冬子の運転が荒くなり、車は視界を激しく揺らす。春斗の思考など置き去りにしていた。

「んん……なんだよ」

 目を擦りながら訊ねる秋男に冬子は固い声で言葉を投げる。

「起きろ、まだ行きだ」

「帰り寝てる姿見る方が地獄だろ」

 冬子はただただ呆れていた。

「よくもまあ寝起きでそんな事言えたものだな」

 それから三分と経たずに秋男は再び夢の世界へと意識を落とす。余程眠たいのだろうか、きっと誰の手が加えられても秋男の欲を抑えることは出来ないだろう。

 秋男の様子の切り抜きをバックミラーから見つめてため息を吐く冬子の姿がそこにあった。



  ☆



 太陽の光と熱気は目の前を流れる川を輝かせていた。キラキラと瞬く照り付けは山から生まれたガラスの床のよう。木々の湿った匂いは鼻を突くものの美しさに彩られていて、生を感じさせる。

「たまには三人で心霊スポット以外のドライブも良いと思わないか」

 冬子の言葉に春斗は黙って頷く。冬子は珍しく優しい目を向けていた。それは目のくまや普段の態度との差が相まってとても弱々しく見える。

「春斗もそろそろ慣れてくれと言いたいが、ムリかな」

 いつもの態度との違いに春斗はますます照れていた。これまで女の子との関わりが極端に少なかった事が恐ろしい程の災いとなっていた。

――冬子ってそんな顔もするんだな

 春斗の口は一切言葉を出せずにいた。そんな二人を他所に、秋男は一人で先に川へと足を踏み入れる。遊んでいる彼の態度は今ここにいる何者よりも強く輝いていた。

「元気なやつ。さっきまで寝てたくせに」

 冬子が苔むした岩に腰掛ける。春斗が目を向けると共に冬子の細い腕は隣の空いた所を叩く。強い感情を込めた誘いだったにも拘らず秋男の方へと走って行ってしまった。

「春斗ようやく来たな、バトルしようぜ」

 春斗は靴と靴下を脱ぎ、裸足で川へと入って行く。清き山の澄んだ水は春斗のふくらはぎの半分を沈める程度で大した深さを持っているわけでもない。そんな川をゆったりと歩く春斗に向けて秋男は水を手で掬って思い切りかける。

「冷たっ」

 気温は暖かい程度、夏と呼ぶには早過ぎるこの季節の山を流れる水は冷たくて。足を運ぶには早かったのだと思い知らされた。

「言っとくけどあんまり濡れてたら置いて帰るからな」

 冬子の不満に充ちた叫び声を聞いて春斗は震え上がる。車を濡らしたくない本人からすれば当然の反応。一方で秋男は余裕の笑みを見せつけていた。

「大丈夫だ。どんなにびしょびしょでも絶対に乗ってやるから」

「強行突破かよ」

 ツッコミを入れる春斗は秋男の背後、川の底で怪しい影が蹲っているような流れに揺れているような、そんな曖昧な様でそこに居座っている姿を目にした。

――もしかして、出たのか

 影は川底を這って秋男の方へと近付いて行く。

「秋男」

 春斗は必死に影を指すものの、秋男は一切気にも留めない。やがて秋男の元へとたどり着いた影は秋男の足首をつかみ引っ張り始める。

 一瞬よろめいた秋男はしかし、笑うだけ。

「この川そんなに深くないのに引っ張られるな。もしかして勢い強いのか?」

「ふくらはぎ半分浸かってるから、充分深いから。ほら行こう秋男」

 秋男の手を引いて川から上がる春斗。冬子は苔むした岩から降りて仁王立ちして待ち構えていた。

「持って帰りかけたな、幽霊」

 秋男は自身の頭に手を当てて怪しい笑みを堂々と浮かべてみせる。

「今どき幽霊もテイクアウトできる時代なんだ」

「バカ、ふざけてないでどうにかしないと」

「にしても運が悪かったな。よく水場に霊が集まりやすいとはいうがまさかテキトーに行った川でエンカウントだなんて」

 

「もしかして俺幽霊と婚活する天才か」

「いつまでもふざけてたら早死にするぞ」

 そんな厳しい言葉たちも恐らくは友の事を思ってのものであろう。本当の優しさというものに触れた感動を抱きながら冬子の示す方へと進む。冬子は早々に二人を乗せて車を走らせた。



  ☆



 車は山道を走って行く。うねうねとした道にうなされでもしているのだろうか、冬子の顔には緊張が張り付いていた。

「まさかあんなところにいるなんて。断末魔の残り香は消えたな」

 春斗の感覚では幽霊の気配の一つも感じる事は出来なかった。恐らく平和は訪れたのだろう。

「大丈夫、私も幽霊の気配は感じてない」

 二人で無事を確かめ合う中、秋男は反省でもしているのか特に何も話す事もない。その静かさは妙なものにしか思えなかった。前の席に座る二人からすればとても不自然に思えてくる。反省する必要性も感じられない今回の件で黙っている姿は違和感の塊でしかなかった。

 やがて車は山を抜け出す。その頃には辺りは夕日に包まれていた。人通りの多い道路を走り続けて車はあるファミレスを選んで停まり、三人はそこで晩ごはんを食べることに決めてドアを開ける。

 それから春斗は秋男が妙に静かである事に対する違和感を冬子にも訊ねて確認を取り始める。

「と、冬子さん、秋男は大丈夫……ですか」

 いつもとは違った冬子の表情を思い出して恥ずかしさの熱に頭を揺らされながらの発言だった。たどたどしい口調の丁寧語が出てきている春斗に対して冬子は淡々と答える。

「タメ口でいい。多分精気でも吸われたんだろ。どうせ明日にはまたうるさくなってる」

 冬子の説明を思考放棄で受け入れながら過ごしている内に辺りは暗くなっていた。

「じゃあ、帰るか。秋男も元気ないしな」

 三人同時に立ち上がり、春斗と冬子がレジへと向かう中、秋男だけが先に外へと出て行った。

「アイツ……後で請求してやる」

 二人で代金を支払い、店を出て急ぐように車へと向かう。

 車が見えて来たその時、春斗は気が付いてしまった。

「秋男いないけど」

 流石に不審に思ったのか、冬子は携帯電話を取り出し秋男にかける。何度かのコールの後、秋男は電話に出たようだ。

「もしもし」

 冬子は随分と速いそれに答えようとするも、耳に入るのは微かな違和感。

「もしもし……もしも、うひゃひゃひゃひゃひゃ」

 違和感は突然大きくなり、明確なカタチを持ち始めた。携帯電話を閉じて駆け出す冬子の姿がそこには在った。

「春斗、川だ。多分やつは秋男の中に潜んでたんだ」

 春斗は冬子に置いて行かれないよう走り始めた。必死に走った。頑張った。息を切らして足が訴える痛みも無視して。

 見えて来た川、秋男は川へと向かって歩みを進める。川の向こうにいたのは顔すら見えない細い人型の影。闇に溶け込むそれは秋男に手招きをしていた。

「待て、秋男」

 冬子と春斗は必死で地を踏み、秋男に迫って行く。秋男は少しづつゆっくりと確実に川に入って行く。靴が濡れたにも関わらずその歩みは一切止まる気配を見せない。まさに魅入られた人物そのものだった。

 そして影とわずか数センチのところ、そこで春斗はようやく追いつき秋男の手を取り思い切り引っ張り上げる。

――良かった

 春斗は秋男を引き上げ、安堵のあまり崩れ落ちる。力の抜けた身体はまるで精気を失った秋男のよう。

 彼のそんな姿を確認してか秋男は振り返り、顔を向けた。その顔を目の当たりにした春斗は飛び上がるような恐怖を得て素早く首を振り、恐怖の情に身を任せる。

「もしもし……もし、うひゃひゃひゃひゃひゃ」

 それは秋男などではなく骸骨。身体の隅から隅までその全てが骨へと変わって行く。

 秋男が魅入られていたのかと思っていた春斗、しかし狙われていたのは他でもない春斗本人だった。

 そのショックに耐えられない春斗はそのまま地に伏した。



  ☆



 目を覚ましたそこに広がるのは白い何か、身体が受ける感触から恐らくベッドの上から天井を見上げていた。

「目、覚ましたか」

 冬子は春斗の目を覗き込む。

「良かった、もう大丈夫だから」

 それから語られる冬子の話によればドライブの帰りで秋男は寝ていた。ファミレスで秋男はよく話していたにも関わらず春斗が「静かだ」と言ったためその時点で違和感を持ったのだという。それからファミレスを出る時金も払わずに急に外へ出たため追いかけて行くと春斗が川へと向かう姿とそれを待ち構えていた幽霊の姿があったのだという。

 春斗は辺りを見回す。その寝室は薄桃色のカーテンによって彩られており、どう見ても女の子の部屋だった。春斗は殆ど確信を持ちつつも、現実を否定すべく訊ねる。

「ここ……どこだよ」

 軽い笑い声をあげながら冬子は優しく答えた。

「私の家だ」

 春斗の頭は茹で上がりそうな程の熱を感じていた。それが川の水で濡れたせいではないのだと思い返しながら更に顔を赤くした。

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