50分の1

日野黎明

第一作 仮面

いびつな笑み程怖いものはないと思い知った。

それは昨晩、彼女とお互いおい立ちを話し合っていた時の事。

小学生の頃はこうだった、それからこうなって今に至る。

そんな他愛もない話が、付き合いたての僕達には楽しかった。

だけど、付き合いたてということもあるので言いづらい過去は避けて話していた。

互いの綺麗な部分だけを見せ合い、汚いところは隠し、互いに見て見ぬフリをする。

そんなお決まりの段取りも終わり、今度は夢の話を始める。

だけど、彼女の瞳はどこか虚ろだった。

公認会計士を目指し勉強に励んでいると語る彼女の顔は確かに笑っていたが、先ほどの笑みではなかった。

そこで、それが本当にやりたいことなのかと聞いてみた。

これがいけなかった。

僕が不用心に、彼氏としての下世話で聞いた質問が彼女の心の傷を抉ったのだ。

彼女はビー玉のような目をやや右下にそらし、うんそうだよとだけ言い笑った。

けれどもまたしても笑みが歪んでいた。

彼女の過去を肯定して、前へ向かせてあげたい。そういった下世話心がまた湧いてくる。

男という生き物は不思議なもので、私のようにひねくれて社会や人間に激しい怒りを持っている人間でも、一女の前ではどこから来たのかもわからない正義感が働く。

だがこの借り物の正義感は無差別に人を傷つける。

私は気づけば彼女の肩をガシと掴み、真っ直ぐ目をみて言い放った。

やりたければやればいい、と。

一体何を、一体誰を気にしているのか、と。

人間とは、綺麗な部分と少しのウラを見れば全てをわかった気でいてしまう。

僕は彼女のおい立ち、それも表面上の目次しか読んでいないのに無責任に言葉を発していた。

その時。彼女はごく自然に、まるで道端に咲いている花を愛でるかのように微笑み、真っ直ぐ僕の目を見て言った。


本当に、私のやりたいことなんです。


最初に会った時のような自然な笑顔だったのに、僕はその笑顔が脳裏に焼き付いて離れなくなった。

笑顔というのは元来、威嚇の為の行為だと聞いたことがある。

初めてこの事を聞いたときは耳を疑ったが、今なら理解できる。

この威嚇は、攻撃の合図ではない。これ以上踏み込むなという最終警告なのだと。


その一か月後、僕達は別れた。

彼女は最後に、貴方との時間は楽しかったと呟き微笑んだ。

楽しかったと語る彼女の言葉が本心かどうかはわからない。

だけど最後に彼女が見せた笑顔は、非の打ち所がない程綺麗だった。

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