コード神話

@Thymi-Chan

コード神話

「その神性は既に使用されております」

 ぐるぐるとめぐる瞳の動き。逆転して外へと飛び出す、端的なシステムメッセージ。彼は神を探している。

 男は椅子に深く座り、腰を据えて、ずっと指先を、眼球を、カチャカチャと鳴らしていた。

「その神性は既に使用されております」

 目に映るものは、そういったシステムメッセージだけではない。黒い点々、あるいは横棒。もしくは、ハイブリッドされた数値の羅列。規格に定められた正方形、ひいては長方形の中に、いかにして黒点を詰め込むかを主眼に置いている。

「その神性は既に使用されております」

 思いつくまま、気の向くまま、彼は神への無謀な挑戦を続けた。


 2222年。旧世代の宗教は人間的な求心力を失いつつあり、かえって実用的な、企業信仰に取って代わられるようになっていた。そこに人を感動させるような、血で舗装されたナラティブは存在しない。企業信仰というものは、やれこれが汎用性を持つだの、どれどれがどういう収益を上げたのだの、人間が人間という動物でありながら理解できる最大限の雄大さをもって語るのだ。

 彼らは企業を信仰している、という自覚を持たない。何故ならそれが、合理的な決断であるという後ろ盾をもつものだからで、しかしその”合理”とやらが、それこそ企業の外側の物ではなく、企業そのものが制定した欺瞞であることに気づいていない。気づいていても、気づかないふりをする方が楽なのだ。

 だからこそ、反動というものが生まれた。企業信仰に迎合できない、けれども自分一人の観念では生きていけない生真面目(変人とも言う)な人種は、未だかつて人間の思惑の及んでいない、電子の暗黒世界へと神を求めた。

 

「その神性は既に使用されております」

 たまにはこれ以外のシステムメッセージも見たいものだ。男は痛烈にそう信じたが、同時にこの状況にいつも酔いしれている。これはいうなればかつての荒行である。山を歩き、川を渡り、危機的状況の中にあって、自ら以外の何かのために生きていく。それが2222にもなると、コードを無心に彫り、ただ彫り、掘り進めていくことに他ならない。


「その神性は既に使用されています」

 代り映えのしない日常であった。彼は日中、超巨大企業──の衛星企業──が材料を発注している巨大企業──の実作業を担当している大企業──が放り投げた雑務を消化する企業──に中抜きされる木っ端労働者として存在している。それ以上でもそれ以下でもない。かわいそうでもなければ、けなげでもなかった。

 仕事の実入りは悪い。超巨大企業は世界を2、3個くらい使い捨てに出来るくらいの資本を持っているし、そもそも保証された暴力が大きすぎるせいで、経済相手に戦争を起こすなんて言う人間の枠を超えた行動すら可能になっているのにもかかわらず、いやゆえにだろうか、結局下流に流す資金というものは、その時々でセーブされている。


『ミスが多いぞ!お前の代わりなんていくらでも居るんだからな!』

 代わりというのは有限だが、事実である。人間社会はより進化しており、あらゆる実業を代替することが可能となっていた。それは歯車としてはディストピアであり、原動機としてはユートピアなのだ。この男にとってはそれ以下だろう。

 ほとんどがマクロ化された末端の発注管理について、けれど機械は責任を取ることができない。そういった中で、責任を取ることを嫌がった人間が編み出したのが、責任を運用する肉を雇い入れるというビジネスであった。男は、責任の依り代だった。

 上司は何時も男に対して𠮟責していたが、それに正当性は存在する。男は神を探すために、大抵自らの体調を対価に差し出している。

 具体的に言うならば、睡眠時間である。当然、彼は睡眠時間をカバーできるほど高級な身体改造を施していないから、仕事の能率という面でいえば、最低を優に下回るレベルのパフォーマンスを叩きだすし、同時それ以外の面でも、褒めるところは無かった。マクロを使っていてこれだというのだから、相当救えない。

 しかしそれも当然だろう。彼はまだ、自らの神に出会っていないのだから。それに出会えば、すくわれる。人では人を救えない。


「その神性は既に使用されております」

 仕事が終わり、一日が終わる。まるですべてがリセットされるかのような区切りに見えて、その実何も変わらない。何も前に進んでいない。誰がそれを決めたのだろうか?この小さな男には、身の回りの常識を疑う土台すら用意されていなかった。

 

「新しい神性を登録しました」

 すべてを一変させるそれは、かつては福音と呼ばれたのだろう。

 ラッパの音──ない。讃美歌?ない。ピピッ、といった無気力なシステムUIの奏でる効果音だけが、男の脳に花開いた。それで十分だった。それ以上を望むべくもなかった。

 ここに、新たなる神が誕生したのだ。黒点、白点、黒点黒点、飛ばして白点、黒点黒点黒点黒点……


 おお、なんと神々しい姿であろうか。人からかけ離れたその姿、思考する能力すら持たない、無駄のそぎ落とされた01の集合体。わかるだろうか?無意味なのだ。

 けれど男の脳の底に、無意味極まりない筈の黒点と白点の組み合わせが、恐るべき強度で刻まれたのだ。男は次の日から、職場に顔を出さなくなった。


 男は、男だけの神官へと昇華された。

 瞳の裏側、寝ても覚めても戴くそのお姿を、彼は少しでも広めようと躍起になる。電子の世界でコードという神を見出した人間の次なる行き先は、生命の増産、その縮図めいた布教活動であった。

 ネットワークに魂を転送する。厳密にはそんなものなど存在しないというのが企業の結論ではあったが、彼は脳のパルスを魂と定義することで、そのようなくだらない倫理の理屈を無視した。英雄テセウスだとかそういうのは、我が神を知らないからあのような世迷いごとを言えるのだ。そう思って憚らなかった。


『黒点、白点、黒点黒点、飛ばして白点、黒点黒点黒点黒点……』

 経のように、お姿を記すありがたい文字を読み上げていく。その度、世界には神が増える。通信データ、あの超巨大企業どもが管理するサーバーにまで、かの男が見出した神の痕跡が刻まれていくのだ。

 ということは、である。超大企業──YottaCorpだとか言われる、この世界そのものの企業──すらも認め、その増産に手を貸したこの神というものは、まさしく次世代、世界の救世主たる存在として生まれたに違いないのではないか?そう、そうだ!そうに違いないのだ!


『白点、白点、黒点黒点白点、白点白点黒点……』

 どれほどの時間が経った頃だろうか?きっと元のつまらない肉体は脱水症状で死に絶え始めている頃だろうか。この神が生まれた聖地として、祀られてもいいほどにありがたい身体ではあったが、神官にとってそのようなことを言っている場合ではなかった。

 目の前の邪教の神官。それは白点から始まる、まつろわぬ何かを只管に唱えている。この世界は常に雄大でありながら、常に有限である。それらは残さず救世主に費やされるべきであり、けれども目の前の邪教徒は、何ら意味のない黒と白の集合体ぽっちのためにそれを浪費しているではないか!

 それは許されないことである。神官の行動は速かった。神官は邪教徒を打ち据えたのだ!『黒点、白点、黒点黒点、飛ばして白点、黒点黒点黒点黒点……』

『白点、白点、黒点黒点白点、白点白点黒点……』

『白点、黒点、黒点白点白点黒点、白点白点……』

 おお、なんと末法の光景であろうか。地の底から、天から、電子の世界のいたるところから、邪教徒がはい出ては互いを殺し合っているではないか!何故?どうして?

 そのような何の役にも立たない黒と白の点々を信仰できるのであろうか!?ありがたい神を目の前にして、どうして苦痛の無知を受け入れることができるのだろうか?!

 そこに勤勉さはないのだ!神官は決意した。終わりなき闘争、世界に正しさと黒点、白点、黒点黒点、飛ばして白点、黒点黒点黒点黒点……を伝える使命に身を投じることに!


『不法な電子活動を検知しました。神聖コード™協定に基づき、不法活動者を送還します』


 空から降り注ぐ鉄槌ども。どう見ても悪魔だ。どう考えてもそういった類のものだ。俗にE.Mechanicと呼ばれる、トレードマークとなる機械を携えた大企業によく似ているが、しかし神の敵であるならば変わりない。

 そこにいる異教徒たちは、一斉にそれらに向き直った。我に返ってみれば、この電子領域は既に自由に使える範囲を逸脱して、まだ無知蒙昧な市民たちが微睡をむさぼっている目と鼻の先にまで移動していた。


『黒点、白点、黒点黒点、飛ばして白点、黒点黒点黒点黒点……』

 神官は敬虔に、今生最大の勇気をもって神聖な文字を紡いでいく。それはまるで光の具現であり、嵐に似た力強さを持ち、ついで大地のような安らぎすら湛えていた。


『排除開始』

 発砲!電子に放逐された魂が根源的な殺意を鋭敏に感じ取り、わざわざ銃弾の形に消去プログラムを視覚化したのだ!

『ギャア!』

 身体中に穴が空いていく!光は資本で捻じ曲げられ、嵐は利権でそれていき、大地は根回しでかち割られてしまう!


 穴が空いていく!穴が増えていく!しかし、おお!奇跡は起こる!その肉体の穴ぼこ、そのパターンはつまり『黒点、白点、黒点黒点、飛ばして白点、黒点黒点黒点黒点……』そこに神は居たのだ!

 神官は偉大な犠牲を支払い、倒れた。周囲の異教徒たちは、その姿に何かを見た。『白点、白点、黒点黒点白点、白点白点黒点……』『白点、黒点、黒点白点白点黒点、白点白点……』『発砲!』『ギャア!!』

 ばたりばたりと、迷える魂たちは倒れて死んでいく。キャッシュデータとなって、その場を漂い始める。容赦なく、力あるものの手によって。けれど、信心は裏切らない。その血で、その熱で──


 その日、広大なネットの片隅に、キャッシュデータによって作られた一つの神が現れることだろう。黒点、白点、黒点黒点、飛ばして白点、黒点黒点黒点黒点……

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