無題

椿生宗大

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 嫉妬なんて感情はとても醜い。羨むと言い方にしてもその本質は変わらない。自分以外の者の自分が関与できない言動に働く感情であるからだ。僕ははっきり言って、醜い人間であると思う。怠惰なのだ。きっと同級生の皆は今頃テスト勉強に勤しんでいるだろうが、僕は何をしているかと言えば永遠スマホと睨めっこしている。自分が何もしないことが原因で気分が沈んでいるというのに、例の如く人に話しかけて無為な時間を共有してもらっている寂しい人間なのである。僕は多分、前世は蛇女であった。街中で格好良い人、スタイルの良い人、お洒落な人を見かけて、眺めて楽しんだ後は妬みに心が支配される。幼少期、好きな人ができてストーカー地味たことをしてしまったのも、そういった性質が前世より受け継がれてしまったのだと、思いたい。今こうして文章に起こしてみると、更に自己嫌悪が深まる。僕はどうしてこんなにも周りの責任にしたいのだろう。前世なんて知覚できないものを存在すると思い込み、まして前世の自分の責任だなんて破茶滅茶な理論を展開している。街中で見かけるイケてる人を見てもそうだ。僕が勝手に比較をして苦しくなっているくせに、僕は改善するための努力をしただろうか?その人たちみたいに本当になりたいなら頑張れる部分も少なからずあったろうと考えてしまう。相対的に自分が勉強不足であるのは仕方ない、それを自分の性分だからと割り切ろうとしている。どこか、体と心を切り離して、心を客体化し自分とは無関係のものかのように扱おうとしている節はないか?どこまでも自分を生かすことに必死で、目を背け続けている。嫉妬を感じている、これは心に由来するものであることに疑いはない。心が感じているものなのだ、僕は心を別個のもののように無意識に見ていた。だから、僕は空っぽなんだ。悲しい。悲しい。何が悲しいのだろうか。本当に悲しんでいるんだろうか、悲しいなら吐き出すことなんてせずに咽び泣くことに専念してみたら良いのに、そもそも涙なんて湧いてこない。泣けないのだな。自分が惨めだ。

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