ラ•カンパネラ

Canarie

第1話

マルクは、流石に緊張しながらドアをノックする。


「失礼致します。マルク•エルンストです。

入ってもよろしいですか。」


「エルンスト君、入ってくれ。」


滅多に話したことがない、社長の声がして、マルクより一層緊張したが、意を決してドアノブを引いて中に入る。


中に入ると、社長よりもまず、社長の隣の席からこちらを、大きく切れ長な瞳で睨む噂のヴァイオリニストが目に入る。眼鏡をかけているが、眼鏡のフレームに遮られてもなお、強い視線がマルクを射抜く。


「ヴァイオリンの帝王」

これが彼の二つ名だ。5歳にしてイギリスの有名オーケストラとコンチェルトを弾きデビュー、30歳にもまだなっていないのに既に主要国際コンクールの優勝を殆どかっさらい、ヴァイオリンの演奏において彼に太刀打ちできる奏者は殆どいない。


数年前に妻の死により子育てのため演奏活動を休止したが、今から2年前に復帰すると、すぐに世界トップレベルのオーケストラのコンサートマスターに合格した。

エルンストとは4歳しか歳の差がないが、生き方の差なのか、瞳にも所作にも貫禄がある。意思の強そうな、厳しさを感じるアンバーに近い焦茶の瞳がこちらを値踏みするように睨む。長身を堂々と、しかし上品にソファに預け、長い足を組む姿は確かに、「貴公子」よりは「帝王」の名がふさわしい。


演奏のみならず、その長身や目を惹く派手で端正な顔立ちもあり、その存在だけで周囲を圧倒してしまう。本人はストイックで容姿で売られるのは嫌うとも聞いているが、マネジメントを稼業にするマルクには、さまざまな事務所がその容姿も利用して宣伝したがることはよく理解できる。


「彼が私のマネジメントを?

若そうに見えますが。、、大学卒ならまだ2年程度しか働いていないのでは。

、、まあ最近まで演奏から身を退いていましたから、私にご期待してもらえないのは道理かな。」


そのヴァイオリニスト、リチャード•レイノルズは、気さくに微笑んだがマルクをたまに鋭くみつめながら嫌味を口にする。


「いやいや、まさか!そんなことは。レイノルズさんに来ていただければたくさんの良いコンサートが開催できると楽しみにしています。」


社長はレイノルズに嫌味を言われたことに困り、レイノルズの機嫌を取ろうと、テーブルの菓子を勧める。

レイノルズはかなりの甘党だと聞いている。レイノルズが来社するのでわざわざ事務スタッフに念入りなリサーチと手配をさせ、彼が好物の高級チョコレートマドレーヌを仕入れたのは、彼を担当するように上司から暫定的に指名されたマルクである。担当するにあたり、人となりや好物は当然知る必要がある。


レイノルズは、菓子を勧められて礼を述べたが手には取らず、口は微笑み、目は笑わずにマルクの上司を見た。マルクの上司は、ドアから見て手前で、レイノルズの正面に座っている。社長とレイノルズは上司と向かい合う奥の席だ。


「ルドルフさんは彼のボスでしたね。彼は新人なのではないですか?私にはかなり演奏の依頼などがきますが、若い方がその量を捌けるか少し心配です。」


「、、彼は確かに若いですが、この事務所で4年マネジメントをしています。、、大学時代からここに勤めていますから。、、彼は実は音大卒でして、演奏の知識もございます。素晴らしい演奏をされるピアニストを何人もマネジメントし、信頼を得ています。」


上司は、マルクが担当した師匠級から新進気鋭までの著名ピアニストの写真や、マルクが実際に彼らと成功させたプロジェクトの実績を、応接室のスクリーンにパソコンを繋いで映して見せる。


「マルク、ご挨拶して座りなさい。」

上司に言われ、マルクはリチャードの前に行き、名刺を出して挨拶をする。


「本日はお会いできて大変光栄です。

サー•レイノルズ。

、、僕はマルク•エルンスト、この事務所でソリストのかたのマネジメントをさせて頂いております。、、お見知り置きを。」


「、、ありがとうございます。

、、手が大きいんですね。ピアニストのマネジメント実績がおありとのことだが、音大ではピアノを学ばれていたんですか。」


レイノルズは名刺は受け取らなかったが、握手は返してくれ、握手のあとに訊ねる。レイノルズも長身に見合う大きな手をしている。


「音大では、ピアノ科でした。」


「なるほど。

でもヴァイオリンのことはあまり知らないんじゃないかな。それに私は今はソリストだけをやるんじゃない。コンマスを頑張りたいし、今までと少し路線も変えたくてね。


、、やはり違う方にして頂けませんか。

ヴァイオリンの知識が全くないようだと困る。、、ヴァイオリンはピアノと違ってソロだけじゃないんでね。」


噂通り、レイノルズは一見気さくだが言葉尻を気にする神経質さもあるようで、マルクの発言が気に食わなかった様子で上司に言う。


上司が何か返そうとしていたが、マルクにはいくつもひっかかりがあり、マルクはその場に立ったまま、話出した。


「お言葉ですが、サー•レイノルズ。

ピアノも別にソリストになるだけが能ではないかと。

色々な器楽奏者や声楽家のソロ伴奏のピアニスト、合唱の伴奏ピアニスト、オペラのリハーサルピアニスト、、、そして弦楽と共演するような曲もたくさんある。


、、あなたがピアノには詳しくないように、僕は確かにヴァイオリンの知識は足りません。だからこそ、日々勉強しています。

死ぬまで、この仕事をする限り勉強していきます。、、良いパフォーマンスや舞台をしていただくために。あなたがそうやって演奏に向き合っていらっしゃるように、です。」

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