タペストリー

千織

第1話 前編

 彼氏とは、付き合って五年になる。彼は、仕事がうまくいかず転職を考えていた。私は、彼がやりたい仕事ならなんでも良かったし、転勤があるならついて行こうと思っていた。


 自分の仕事に誇りを持っていた。でも小さな会社だから収入はよくない。結婚して子どもが生まれれば男の収入に頼らざるを得ないことを考えると、妥協すべきは女の自分だ。


 私は山のようにある仕事と指示を待つ部下たちに囲まれていた。後任もいない、代わりができるほど余裕がある上司もいない。そんな状況で私が結婚でいなくなると聞いたら、上司は私を祝福してくれるだろうか。


 


 ある日、彼とケンカをした。彼が次に選んだ仕事が気に入らなかったからだ。仕事自体の話じゃなくて、選び方だ。彼にとって、本当に興味がある業界でもないし、今回の失敗も踏まえていない。その会社は他県にあるから、結婚するなら私は仕事を辞めなくてはいけない。


 伝えていたはずなのに。私は、自分の仕事が好きだと。それでも一緒にいたいから貴方の事情を優先すると。何度も言っていたのに、どうしてそんな軽々しい選択に至るのか。


 自分の仕事を甘く見られていると感じて、私は彼にありったけの罵詈雑言を吐き、その場で別れを告げた。彼は私を優しい人間だと勘違いしていたから、あまりの厳しい言葉に驚いて、私を追うことはしなかった。



 清々した。弱い男など、みんな死ねばいい。



 くだらない派閥、冴えない意見、何も決まらない会議、後回しにされる返事、やりっぱなしの仕事。


 それらをフォローしているのは、私と、年上の契約社員の真由美だった。



 真由美は、契約社員にしておくにはもったいないくらい優秀だった。理解が早いし、気が利くし、人当たりもいい。だからと言って、社員にさせて、ここのつまらない男らの下で働かせるのは申し訳ない。


 彼女と働き始めたのは四年前。採用面接時のことはよく覚えている。私は、彼女に将来の展望を訊いた。私は、仕事のために働く人間を好まない。私の仲間には、自分の思い描く人生の実現のためにこの仕事に就いてほしかった。


 彼女は離婚をしたばかりで少し傷ついていたので、展望なんてなかった。でも、私は彼女を採用した。彼女の態度や言葉に、人として信頼できるものを感じたからだ。不思議なことに、私はその短い面接時間の間にも、彼女に対してずっと前から友人だったような親しみを感じていた。




 最初の一年は、彼女に私の価値観を徹底的に伝えた。従業員とお客様に対する視点、姿勢だ。彼女は私がいないとき、私の代わりに”判断”しなくてはならない。私は、私が責任者である限り、自分の職場に当事者意識のない人間は一人もいてほしくない。彼女は私のマインドをインストールするために、逐一私に確認しながら仕事をした。


 二年目には、「もう自分で考えて仕事をしていい」と伝えた。彼女は頼りになる人で、お客様からも職場の仲間からも好かれていた。彼女の持ち前の優秀さがあってのことだが、彼女から「今までこんなに丁寧に仕事を教わったことはない」と言われたのは嬉しかった。




 私は、売上という成果を見せつけることで、会社から権限と自由を得て、理想の職場と仕事を作った。最高だった。働く人は皆、自分の夢や目標を持っていて、だから仕事の厳しさから学ぶ姿勢があり、挑戦的で、互いに助け合っていた。


 ついていけない人は早々に辞めた。それでいい。合わないところで頑張ってもお互い迷惑だ。面接時には言っている。ここは厳しい職場だと。職場の意識が高いと、優秀な人材は良く働く。すると、彼らに憧れる次の世代がさらに頑張ってくれる。まさに”切磋琢磨”だ。


 一を話すと二をわかってくれる人材は優秀だが、本当に稀に、一を話して十をわかってくれる人材に出会う。そんな環境に身を置いていると、もう一すら伝わらない本社の会議が嫌で嫌で仕方なかった。


 現場が盛り上がれば、自然に売上も上がる。お客様は自ら喜んで買ってくれる。逆に差し入れをいただくこともある。もちろん、新しいお客様の紹介も。売上は常に記録を更新していき、ついに会社史上一番の売上に至った。




 それに伴い、私の仕事量も限界を超えた。深夜残業、休日出勤は当たり前。仕事の持ち帰りをするようにもなった。でも、それで良かった。打てば響く仲間がいて、お客様に感謝される仕事。頑張らない理由がない。


 ただ、さすがにストレスは溜まるので、憂さ晴らしに真由美と飲みに行くことが増えた。夜中まで仕事をして、職場にタクシーを呼び、繁華街に行く。ほとんど毎週末。彼女とは、仕事の話からくだらない話まで、何でも話した。楽しかった。彼女がいなかったら私はここまでやれなかっただろう。




「再婚しないんですか?」


 真由美に訊いた。彼女の美貌と器量なら、引く手数多だ。


「そんな気は全然無いですね」


「うちの会社には、おすすめできる男子は一人もいません」


 謙遜でなく、本当だ。彼女のタフネスさに勝てる男はなかなかいない。


「聡子さんこそ、彼氏作らないんですか?」


 職場で使っていたマグカップは例の五年付き合った彼氏からもらったものだったが、真由美がうっかり落として割ってくれた。思い出されて、笑ってしまう。



「結婚したいなら、婚活しなきゃですね」


「もし良かったら、紹介しますよ。私の友人なんで年上だったり、訳ありですが」


「訳ありって?」


「バツイチとか」


「こだわってるつもりはないんですけど、バツイチって、なんか特徴あるんですか?」


「人間関係がうまくいかなかった人たちなんで、人格に問題があります」


「いや、自分もバツイチじゃん。しかも紹介しようとしてるし」


 思い切り笑い合った。

 真由美との会話はいつもこんな感じだった。



♢♢♢



 真由美から紹介された人とは会ってみたが、いい人とはわかるもののピンと来なかった。でも、久々におでかけ用の新しい服を買い、若干でも恋愛モードになったのは新鮮だった。




 真由美は前からやりたかった絵を習い始め、早々にとあるコンクールで入賞した。彼女の絵が展示されるということで、見に行くことにした。


 会場に着くと、真由美と、彼女の友人の男が話をしていた。私に気づいて、二人は挨拶をしてくれる。

 

 男の名は、西條という。同業者だった。


 せっかくだから皆でランチをしよう、となった。




 会場近くのレストランに入り、私は西條の向かいに座った。せっかくの機会だと、彼から色々と仕事の話を訊いた。彼はよく勉強していたし、特に人間に対する洞察には興味が持てた。出張にはやたら行くくせに、なんら現場に還元しない上司とは大違いだった。


 話しやすく落ち着きがあって惹かれたが、彼は左手の薬指には指輪がはめられていた。仕方がない。いい男は唾をつけられるのが早いに決まっている。


 真由美は、私が婚活をしているからいい人を紹介してくれ、と西條に言った。ああ、うちの若い奴で何人かいるから紹介するよ、と西條は答えて、私と連絡先を交換した。




 実際、西條は紹介をしてくれたし、飲み会にも誘ってくれた。私も、その気がありそうな人とはその後も会うようにした。ただ、自分の気難しい性格ではそこから発展する人はいなかった。


 紹介があるごとに、西條はフォローの連絡をくれた。


「変な奴を紹介してるつもりはないけど、嫌なことがあったらすぐに連絡ください」


 こんな、縁もゆかりもない奴によく気遣ってくれるもんだ、とありがたかった。

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