湿度

@0rita_mifu

第1話

汗ばんで柔らかいキミの腕と、湿気でわずかに膨張した木製の机が密着しているのを眺めていた。白くて細くて、赤ちゃんみたいにつるつるの腕。机から離したら赤くなってるんだろうな、なんてぼんやり考える。それくらいしかやることがなかったから。

「ハズレ」と、何様かわからない偉そうな何人もの生徒に烙印を押されてしまった退屈な授業。単調に生徒を名指しし、分かりきっていることを答えさせる古典の授業。今日の最高気温は32℃で、湿度はきっと、どうせ80%くらいはある。

キミの番まであと5人くらいになって、そろそろ起こさなければいけなくなった。ノックのまるいペン先で、白い肌をつつく。モチリと少し沈んだ肌を、ツツツと撫ぜる。膨らんでしぼんでを繰り返すのがよく分かるほど小さく丸まっていた背中が、体が、僕のペン先でぴくりと強張った。

「おはよう要くん、もうちょっとだよ」

突っ伏した頭が。ゴゴゴという効果音がつけれるくらい重たく浮いていく。

「……」

僕ならきっとむず痒くて耐えられないって、いつも思う長い髪。その中に住んでいる暗い瞳がまっすぐ黒板の方に向いているのが見える。僕のことは見ない。見てないふりしてる。僕が見てないときに見てる。知ってるよ。視線って、君が思ってるよりずっと気配がある。面白いから教えないけど。

唇が、プリントがピリと破けるみたいにほんの少しだけ開く。

「下二段活用」

あぁ、そんな声じゃ

「聞こえません、もう一度」

頭がしなだれる。地を這って、決して茂みから出てこない蛇みたいな嘲笑や呆れが、キミに近づいて巻き付いていくのが分かる。一番うしろの、窓際から二番目の席。だからよく見える。一瞬息苦しそうにキュッと結んだ唇が薄くて、夏には似合わないほど白いと思った。いとはしたない、という昔の言葉は現代語になおすと、とても不釣り合いだ、になることを、ふと思い出す。

「…下二段活用」

「……はい、ここは下二段活用ですね」

難聴で単調な先生にはまたしても届かなかったみたい。キミの答えじゃなくて、教科書に書いてある模範解答。先生はそれをさらさらと黒板に書いていく、単調に。僕らもそれを書き写す、言わずもがな単調に。

誰も悪くないのに居心地の悪い教室。自分の番が終わったキミは、音も性懲りもなく机に還っていった。


チャイムが鳴って過半数が席を立つ中、キミは依然として突っ伏していた。でも寝てないって分かる。ただ暇をつぶす姿勢。

「災難だったね要くん。なんか今日先生機嫌悪かったし」

話しかければ窓の方に顔を向けるキミ。そっち側に僕はいない。

「…知らない」

「ん、そっかぁ」

しょうがないから窓の方に移動する。でもそうしたら、キミは教室の中心に顔を向ける。そっち側に僕はいないってのに。

「なんでそらすのさ」

「知らない。見たくないから」

「知らなくないじゃん、なんで見たくないの?」

「知らない」

「そればっかり」

こっちを向いてくれないのは寂しい。友達なんだから顔を突き合わせて話がしたいと思うのは当然なわけで。でも、どうやったら振り返ってくれるのかを考えながら話しかけるのも楽しいから、これはこれで良い。キミ分かりやすいし。

「ねぇ、今度映画見に行こーよ、見たいのがあるんだ」

また強張った体が、今度はさらに縮こまる。殻を厚くするみたいに。

「知らないよ、友達といけばいいじゃん」

「要くんも友達じゃん」

そう言えばいつも、ついこっちを見ちゃう要くんが好きだよ。

「なんなの」

「なんなのって言われても、なんにもないでしょ?友達ってなんにもなくても友達じゃん」

キミは、他の「友達」が「うざい」って単語を発するときにするみたいな顔をした。

「行かないよ」

「行かないの?」

「行かないでしょ、行けないし」

「行けないの?」

「行けない」

「そっかぁ、残念」

なんだこいつ、と言いたげな顔のまま目をそらして、リュックから筆記用具を出して、教科書を出して、ノートを出していく。少し乱暴に。分かりやすい顔。分かりやすいイラつきと困惑。また、怯えに似たもの。

分かりやすいキミが好きだよ、僕。


カルト二世と囁かれているキミ。きっと本当なんだろう。きっと僕が想像するより、きっとその世界は難しいのだろう。

でも僕は、キミと、キミと友だちだから、キミが好きだよ。


要くんが出ていった教室で、机に突っ伏す。冷たくて、ぺたりと肌が張り付くような感触。君は、これが好きなのかな。

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