トワイライト球場

武功薄希

トワイライト球場


 薄暗い空の下、人気のないスタジアムに18人の男たちが集まっていた。元メジャーリーガー、国内プロ、高校球児だった者、アマチュアの頂点を極めた者、そして週末だけの草野球愛好家。経歴は様々だが、彼らの目に宿る光は同じだった。

 観客席は空っぽで、ただ風だけが吹き抜けていく。彼らは無言でポジションに就いた。それぞれのユニフォームが、歩んできた道の違いを物語っている。

 投手マウンドに立つ山田の脳裏に、あの日の記憶が蘇る。夕暮れ時、仲間たちと白球を追いかけた少年時代。「もう一球」と繰り返し、ボールが見えなくなるまで投げ続けた日々。プロとして華々しい成功を収めた彼だが、今、心の中で輝いているのはあの頃の記憶だった。

 バッターボックスの鈴木も同じ光景を思い出していた。高校で野球を諦めた彼だが、暗くなる空の下、最後の一球を打とうと必死だった少年の姿が、今も心に生き続けていた。「もし、あの時…」という後悔は、今この瞬間、消え去ろうとしていた。

 センターを守る佐藤は、メジャーリーグでの栄光の日々を思い出していた。しかし、同時に彼の心に浮かんだのは、地元の小さな草野球場で、日が暮れるまで友達と球を追いかけていた頃の喜びだった。華やかなスタジアムの歓声よりも、あの頃の仲間との笑い声の方が、今は愛おしく感じられた。

 遠くで地鳴りのような音が聞こえた。全員が一瞬だけ空を見上げたが、すぐに試合に集中する。

 鈴木のバットが風を切る。鋭い打球がセンター方向へ飛んでいく。佐藤が全力で追いかける。彼の心に、草むらで転げ回りながらもボールを追いかけ続けた記憶が甦る。ダイビングキャッチ。メジャーリーグさながらの華麗なプレーだったが、佐藤の頭に浮かんだのは、少年時代に友達と交わした「ナイスキャッチ!」の声だった。

 三塁を守る田中は、週末だけの草野球愛好家だ。彼にとって、この場所に立つこと自体が夢のようだった。しかし、ボールを前にすると、体が自然と反応する。それは、少年の頃から刻み込まれた本能のようなものだった。

 イニングが進むにつれ、空はますます暗くなり、風が強くなってきた。地面が時折揺れる。それでも、彼らは一球一球に全力を注ぎ続けた。プロもアマも関係なく、全員の心に「もう一球」と願った少年時代の純粋な思いが蘇っていた。

 5回、激しい地震が襲った。スタジアムが軋む音が聞こえる。しかし、誰一人としてグラウンドを去ろうとはしなかった。彼らの目には、日暮れまで遊び続けた少年たちの姿が映っていた。

 6回裏、満塁の場面。打者の中村がバットを振り抜く。彼はアマチュアの頂点まで登り詰めたが、プロの門は叩けなかった。しかし今、彼の心には後悔はなかった。ただ、少年の頃、暗くなるまでバットを振り続けた純粋な喜びだけがあった。

 鋭い打球が飛び出し、スタンドへ。グランドスラム。敵味方関係なく大盛り上がりで迎え入れる仲間たち。全員の目に、懐かしさと感動の涙が光る。

 7回、8回と試合は続く。遠くでサイレンが鳴り響き、空には不気味な色が広がる。それでも、彼らは黙々とプレーを続けた。ショートを守る高橋は、高校時代のエースだった。プロの道は叶わなかったが、今、彼は人生で最高の守備を見せていた。それは、暗くなるまでノックを受け続けた少年の日々が作り上げたものだった。

 キャッチャーの木村は、地元の名門高校で甲子園を目指したが、あと一歩及ばなかった。その後も草野球を続け、今は週末リーグの強豪チームの主将だ。

 9回表、同点で迎えた最終回。

激しい地震が再び襲い、スタジアムの一部が崩れ始める。しかし、選手たちは動じなかった。元メジャーリーガーも、高校球児だった者も、草野球を愛する者も、そこにいたのは、皆、野球少年だった。

 最後のバッターが打席に立つ。投手・山田は渾身の一球を投じた。バッターは精一杯のスイングをする。

鋭い打球が放たれた瞬間、まばゆい光が全てを包み込んだ。


 18人は命尽きる瞬間、少年時代にキャッチボールしたことを思い出していた。もう一球投げようにも、もうボールが見えなくなる寸前の夕暮れと黄昏時に。

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トワイライト球場 武功薄希 @machibura

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