グリッドSide 前編(閲覧注意)




 僕の人生は、空虚でつまらないものだった。

 筆頭公爵家の当主として、後継者である僕を厳しく躾けながらも確かな愛情を注いでくれる父上と、そんな父を支えながら一人息子の僕の事を心から心配し、愛し、抱きしめてくれる母上。

 そんな、社交界でも最も貴族たるに麗しい夫妻と有名な両親の元に生まれた僕は、その良き点だけを持って生まれた最高傑作品だったろう。

 僕の外見みてくれは、王家の血を引くと知らしめる、夜の闇でも光り輝くように見える白金の髪に深く澄んだ海の青マリンブルー

 一度聞いたこと、教えられたことは大地が水を吸い上げるように脳内に定着し、父母のお陰で貴族たる所作や言動をも身につけられたおかげで、僕は僅か6歳にして、王子よりも王子らしいと評判の貴公子はりぼてになった。

 家格も、見てくれも、中身も最高級品の僕に、王族貴族達は自分たちの娘を売り込んで来た。

 群がってくる着飾った少女たちに最初の内は浮かれもしたけれど、6歳の僕相手にギラギラと飢えた目を向けられ、無い胸を押し付けられ、あたりかまわずべたべたと触れられ、べったりと紅が塗られた唇を近づけられ、その奥でべらべらと世迷い事を吐くために動く舌を見た時、僕は必死に皆の望む『貴公子像』を保ちながらも、心底憎悪し、嘔吐しそうだった。

 気持ち悪かった。

 香水の匂いも

 派手な化粧も

 フリフリのドレスも

 全てが嫌悪の対象となった。


 


 と、この時初めて心の底から『欲で動く女』というものを嫌悪したのだ。

 それ以降、僕は父母にお願いし、勉学に心血を注ぐことで社交を最低限にとどめることに成功した。

 父上のように立派な為政者になりたいのです、と言えば、父母は嬉しそうにそれを許してくれ、僕が求める知識を、国内外の書籍を集め、最高の教師(男)を雇う事で満たしてくれた。

 最高だった。

 嫌な者のいない、心から安心できる安全な屋敷の中プライベートエリアで、欲しい知識を欲しいだけ吸収し、それをさらに自分で考え上げ、父上やその友人達、教師と対等に答弁することで己の高みを押し上げる事が出来た。

 そしてその知識は虫よけになる事にも気が付いた。

 最低限として連れていかれる茶会などで近寄って来る令嬢達に、興味がある事を話せば、彼女たちは話についてこれず『つまらない』と離れていくか、それでも必死に食らいついて、結局ぼろを出し恥をかいて泣いて親元に逃げていく。

 それは、娘を売り込む大人達にも有効だった。

 意気揚々と己の知識を披露し優位に立とうとする大人を、理路整然と言葉を並べ遣り込めるのは快感だった。

 神童。

 そう言われるようになり、一目置かれるようになった時、爵位目当て、見てくれ目当て、興味本位で近づいてくるものはいなくなった。


 そんな僕にも、10歳になった年にとうとう婚約者が出来ることになった。

 相手は宰相を務める父上の友人であり補佐官を父に、母上の親友を母に持つ同じ年の侯爵令嬢だった。

 そんな間柄なのになぜ今まで会った事がないのだろうと思っていたら、なんでも彼女は人見知りで社交には興味を持たず、領地の屋敷に篭り趣味に没頭していたそうだ。

 そんな女に公爵夫人が務まるのかと思ったが、父上の話ではその趣味は、領民たちのために活かされ、斬新なアイデアは侯爵領の新たな産業を生み出したという。

(ふぅん、それは少し興味があるかな?)

 結婚は貴族の義務で仕方のないことだ。ならば少しでも興味がある相手がいい。贅沢な肉に包まれただけの、醜悪な肉の塊でなければ、まぁ妥協するべきだろう。

 そう思い、父上から渡された絵姿を見た。

 艶やかで柔らかな亜麻色の波打つ髪に、朝露を孕んだ新緑の葉を思わせる輝く瞳、小さな唇、象牙色の肌。

 その瞬間、僕は雷に打たれたような衝撃を受け、次の瞬間、脳裏には様々な記憶が蘇った。

 その中には、知らない世界、知らない知識、知らない文化と共に、聞いたはずのない彼女の名前と、見たはずのないスチルが、しっかりと思いだされた。

「……アリス……」

「おや、良く知っていたな。彼女の名前はアリスティア。ハートランド侯爵家の大切なお姫様だ」

 やや驚いたように、しかし笑みを浮かべて言った父の声も、たくさんのを取り戻し、処理が追い付かない僕には届かなかった。

 アリス。

 アリスティア・ハートランド。

 領地の交易の礎として婚約者となった僕を心から尊敬し、努力し、支えようと勉学に励んだにもかかわらず、僕に『話がつまらない』『何のとりえもなくただひたすらに平凡』と言われ、儀礼的な付き合いだけを強要され、無視されても、冷たくされても、それでもよき妻であろうと僕だけを愛してくれた、慎ましくも穏やかな、小さな花のような人。

 最後は心変わりをした僕に公の場で捨てられたにもかかわらず、他の悪役令嬢達と違い、泣くことも、縋る事も、罵倒することもなくただ美しく礼を取り、『グリッド様の今後のお幸せを、心よりお祈りいたします』と、舞台を降りた女性。

 誰彼かまわず、見目が良い、家格が良い、将来有望だと攻略対象にまとわりつき、股を開き、はしたない嬌声をあげるヒロインとは違う、あのゲームの中で最も崇高で純粋で高潔な、


 彼女に会う日は緊張した。

 いつも冷静沈着だった僕のその姿に、父母は『もしかして絵姿に一目ぼれしたのかもしれない、初めて人間らしい感情を持った』と、驚きつつも喜んだくらいだ。

 失礼な話だと思いつつ、レオンハート公爵家が誇る自慢の庭の、ガゼボで待っていると、彼女はやってきた。

 スチルと同じ、甘やかな淡い桜色のドレスを身に着けた、僕の愛する人。

 新緑の瞳を細め、少し緊張しているのか震えながらもカーテシーをした彼女は、初々しく愛らしかった。

(スチルにあったとおり、いや、それ以上だ)

 可愛らしい声も、笑顔も、ティーカップを持つ姿も。

 全てが大変愛らしかった。

 記憶の中のスチルそのままの彼女がそこにいた。

 ただ、違和感があった。

 思い出してみればゲーム通りの、ゆめかわいい(プッ)で統一された世界観は、いままでその通り忠実に再現されていたのにもかかわらず、彼女の頭には、その世界観に相応しくないとは言い切れないまでも、あの世界になかったものがあったのだ。

(……テディベア? バグか……?)

 上手にお茶を飲む彼女の髪を飾る、濃い茶色のテディベアは、此方の世界にはない色彩で、僕はついそれに見入ってしまっていた。

「あ、あの。グリッド様」

 あまりにそこを凝視していたため、彼女は小さく首を傾げて僕の顔を覗き込んで来た。

 大きな瞳が、ゆらりと煌めく。

「どうか、なさいましたか?」

(なんて可愛いんだ)

 僕に近づくことも、触れることもせず、気遣いながら声をかけてくれる彼女に、僕は胸を撃ち抜かれたような感覚に陥った。

「それ」

「え?」

「どこで買ったものか、聞いても?」

「これ、ですか?」

 ようやく絞り出した、いつもの僕らしくない端的な物言いに、彼女はパチパチと長い亜麻色のまつ毛が彩った瞼をはためかせ、僕が指さす先にある、己の頭に飾られたテディベアに指を触れると、ふんわりと笑った。

「これは、羊毛フェルトのクマの髪飾りです」

 愛らしい彼女の小さな掌でコロンと転がる、パステルカラーの世界では少し目立つ、焦げ茶色のクマの髪飾り。その『素材』を、何の疑問もなく口にした彼女。

(あぁ、なんだ。なんてことだ。そうか、アリス……僕のアリスティア、そうか、君も、君も転生者なのか!)

 ゾクゾクッとした感覚が、股間から脳髄を駆け抜けていく快感に震えながら、僕はにこやかに微笑んだ。

「羊毛……? 初めて見るものだ。それは、どこで買ったのだ? 輸入したものだろうか?」

 問えば、彼女は自分のにも気づかず、嬉しそうに微笑んだ。

「いいえ。どうぞ、持ってみてくださいませ」

 それにはアリスティアは首を横に振り、そっと僕の手に乗せてくれ、説明までしてくれた。

「こちらは……私の最初の作品ですが、思ったよりも良い出来だったので、髪飾りにしたものです」

「これを? 君が?」

(こちらの世界にない技術を、そんなに嬉しそうに話すなんて、なんて君は可愛く愚かしいんだ)

 警戒心の欠片もない純粋な彼女に、ゾクゾクは止まらない。

「はい……私も、こうして身に着けることで、商品に興味を持っていただけるよう頑張っているところです」

(あぁ、可愛い、可愛い、可愛い。自分のやったことの価値もわからず、そうして僕に教えてくれる様はまるで穢れを知らない天使そのものだ)

「すごい技術だな……どこから学んだのだ?」

「お、思い付きですわ」

(前世の技術だと、今気づいたようだ。必死に繕う様もなんて愛らしいんだ! 可愛い、あぁ、本当に可愛い)

 少し慌てながらも笑顔で話しかけてくれるアリスティアに、僕は小さなクマを見つめるふりをして彼女を観察し、その姿に感動するしかできない。

(幼い君も、本当に可愛い。僕のアリス。可愛いアリス……触れたい、抱きしめたい)

「そ、そうか。君は小さいのに、すごいのだな」

 体中を駆け巡る激情を、鍛え上げた貴族の矜持で抑え込み、評判通りの貴公子として微笑むと、彼女は薔薇色に染めた頬を小さな手で覆い、目をぎゅっと閉じて必死に何かに堪えている。

(あぁ、なるほど……彼女の推しは『グリッド・レオンンハート』なのか)

 だとすれば、自分たちは両思いで、この状況は願ったりかなったり。

 幸いなことに彼女は聡くも少しばかりのようで、絡め捕るのには苦労しないだろう。

(けれど、出来れば彼女から『推し』ではなく『僕』として愛されたい……僕だけを見て、愛を囁いてほしい。……さて、どう動くべきか)

 ゲームという世界ゆえ、ひたすらに面倒なこともある事にはある。

 しかし、それらからアリスティアを守り、彼女を攻略するゲームだと思えば心湧き躍る。

 そんなことを考えながら、彼女の作ったリボンをつけた可愛いくまの髪飾りを指でつまんでいると、アリスティアがはにかみながら微笑んだ。

「よろしければ、そちら、今日の記念に貰ってくださいませんか?」

「いいのか!?」

(アリスが自ら作ったものを貰えるなんて、なんて幸せなんだ)

 すこし歪な、そしてニードルで刺した時についてしまっただろう小さなのあるそれを得たことに、グリッドは心から歓喜する。

 興奮のあまり、一瞬、我を忘れてしまい、わずかに椅子から腰を少し浮かせてしまい、此方を見ている母親たちの手前、ひとつ、小さく咳払いして座り直し、恥ずかしそうに目を伏せ、そこからちらりと彼女を見た。

「……いや、申し訳ない。君が、頑張って作ったものだろう?」

 返したくもないけれど、一応そう尋ねてみれば、彼女は嬉しそうに小さく首を振って笑ってくれた。

「グリッド様が気に入ってくださったのでしたら、貰ってくださると嬉しいですわ」

「そうか……いや、うん」

(あぁ、可愛い……なんて可愛いんだ、アリスティア……)

 名前を呼ばれたことに、彼女の体液のしみ込んだ熊を貰った事に、グリッドは歓喜を抑えながら、貴公子然として微笑む。

「ありがとう、大切にする」

「私こそ、気に入ってくださって嬉しいですわ」

(あぁ、アリス。今すぐ君を抱き締めたい。けれどそれじゃぁつまらない……君から愛を告げられるこうりゃくするまで、僕には『君には必要以上に触れない』縛りをつけよう……いつ落ちてきてくれるか、楽しみだよ……愛しているよ、アリス)

 クマ越しにアリスティアを見つめながら、僕はこれからやるべきことを考えた。

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