攻略対象は、モブ婚約者を愛している

猫石

第1話

 モラ、キルト、タティングレースに刺繍に編み物、それから胸のときめく乙女ゲーム。

 白い壁と天井、そして自分につながる医療機器に囲まれた、真白なベッドが少女の世界のすべてだった。

 そんな彼女に許された趣味は、ベッドの上でできる物ばかりで、いつになったら他の子と同じように、自由に大空の下を歩き回れるのだろうと毎日思っていた。

 彼女にとっては、外に出ること自体が、非日常であり、憧れであり、別世界だったのだ。

 だから、次に目が覚めた時、そこが乙女ゲームの世界であることに、差して驚きはしなかった……。


 ・・・

 ・・

 ・

 いや、驚いたな。

 うん、驚いた。

 それはしょうがないのだ。

 よくあるお貴族様の政略結婚のお見合いの席で。

 目の前にあるガゼボでは、かなりお高い最高級ガラスビーズをたくさん縫い付けてるんじゃないかって思うくらい、とんでもなくキラキラと輝く攻略対象が、にこやかな笑顔で待ってくれているんだもの。

 グリッド・レオンハート公爵令息。

 彼は病室しか知らない少女の、人生最大の推しだった。


 ------ +*+ ‐‐‐‐‐‐


 この世界は、いたるところすべてがで溢れている。――というか、それしかない。

 キラキラであまあまでふわふわという、抽象的な表現が似合うが、はっきりとした言語で例えるならば、甘ロリ系の女の子が夢見るとされる、ゆめかわなおとぎの国のような世界。

 ふわふわふりふりのドレスを着た主要登場人物たちが、庶民貴族関係なくまとめて行われる王立学園の入学試験を突破し、これぞと狙いを定めた攻略対象に猛烈アタックという名の、多種多様なハートフル(ぼっこ)なイベントやミニゲームを繰り返すことで好感度を上げ、いい感じになったりしてハッピーエンドの中のハッピーエンドと言われる『SSRハッピーエンド』を目指して突き進む、マルチエンディングストーリーな激むず乙女ゲーム『プリティマジカルワンダーランド』(ちょ、名前・笑)だ。

 そして、何の因果か。そんな老若男女問わず登場人物オールパステルカラー(くすみカラーあり)なフリフリ衣装しか身に着けられないこの世界。登場人物として立てば、いろんな意味で強烈に視界の暴力がすぎるゆめかわな世界に、少女は転生した。

 彼女の名前は「アリスティア・ハートランド」侯爵令嬢。

 ヒロインばりに大層な名前だが、攻略対象に関心すら向けられない、気弱で泣き虫な婚約者というただのモブだ。

 そして彼女の婚約者こそ、目の前に行儀良く座り紅茶をしば……嗜んでいる『プリティマジカルワンダーランド』人気投票で第一位の座をぶっちぎっていた、クーデレ公爵令息「グリッド・レオンハート」だ。

(ふあーふあー! 目がつぶれるくらいキラッキラだ―!)

 と、決して口には出してはいけない感情が入り混じる。

 そして思い出し、思い知らされる。

 彼は愛がやや重い、けれどその愛を上手に伝えることの出来ないクーデレ貴公子。

 そして自分は、そんなクーデレの彼にこれっぽっちも興味を示してもらえず、ヒロインにかっさらわれてもただひたすらに泣いて消えていくモブ侯爵令嬢なのだ、と。

 しかしここで普通と違うのは、自分は将来に悲観する必要もないと言う事だ。

 エンディングで明かされる、攻略対象に捨てられた婚約者たちのその後。

 ヒロインを虐め抜く他のライバル令嬢達と違い、大人しく引き下がったアリスティアは、父親が決めたモブ伯爵令息と仲睦まじく幸せに暮らしたとあったのだ。

 ならば開き直り、婚約破棄までの十二年間、一番間近で思う存分推し活をすればいい。

(いずれ解消される婚約なのだから、好かれようなんて思わなくていいし、未来の公爵夫人! と気負わなくてもいいよね? なら婚約者でいる間は、推しの御尊顔を思う存分堪能して、その後はお父様の見繕ってきたモブ令息と幸せに暮らせばいいんだもの、気楽だわ)

 ゆめかわすぎて目が痛い世界で、グリッドの婚約者という名の幼なじみとして、冷めた彼の傍でキャッキャウフフすればいいだけの役回りなんてなんて気楽なんだと思っていると、何やら視線を感じ、アリスティアは顔を上げた。

(あれ? グリッド様、何でこっち見てるの? たしか初顔合わせも、盛り上がらなくてすぐ終わったはずなんだけど……?)

 はて、と首を傾げれば、グリッドも一緒に首を傾ける。

(どうしたのかしら? もしかして、私、何か粗相を?)

 そう思い、アリスティアはティーカップを置き、そっと、問いかけた。

「あ、あの。グリッド様。どうかなさいましたか?」

 聞けば、彼は大きな青い瞳を少しだけ伏せて、それから私の耳元を指さした。

「それ」

「え?」

「どこで買ったものか、聞いても?」

「これ、ですか?」

 首を傾げ、指さされた耳元に手をやれば、指先に触れたのはふわふわの手触りで。

 あぁ、と気が付いて、私はそれを外すと、手の平に乗せて差し出した。

「これは、何だ?」

「羊毛フェルトのクマの髪飾りです」

 アリスティアの掌にコロンと乗るのは、パステルカラーの世界では少し目立つ、焦げ茶色のクマの髪飾りだ。

「羊毛……? 初めて見るものだ。それは、どこで買ったのだ? 輸入したのもだろうか?」

「いいえ。どうぞ、持ってみてくださいませ」

 それにはアリスティアは首を振り、そっとグリッドの手に乗せた。

「こちらは我が領地で飼育している羊の毛の、製品にならないものを染色し、ニードルという、細い針で沢山つつきながら形を作り固めたものです。これは私の最初の作品ですが、思ったよりも良い出来だったので、髪飾りにしたものです」

「これを? 君が?」

 少し驚いたような表情をしたグリッドに、アリスティアは微笑む。

「はい。領地の視察で商品には出来ない羊毛がたくさん余っているのを見て、思いついたのです。こうして染色し、工芸品にすればお金が入ります。雪が降り外で作業できない間の新たな資金源になるよう、今、領民たちが試行錯誤しているところです。私も、こうして身に着けることで、商品に興味を持っていただけるよう頑張っているところです」

「すごい技術だな……どこから学んだのだ?」

「お、思い付きですわ」

(前世の記憶です、なんて言えなーい!)

 内心大慌てのアリスティアだが、グリットは小さなクマを見つめたまま、ただ感嘆の声しか上げない。

「そ、そうか。思い付きなのに、このような品質のものを、それも領民たちのために考えるなんて……君は小さいのに、すごいのだな」

「父の受け売りですわ」

(本当は、病院のベッドでやる事がなくって手芸マニアと呼ばれた血が騒いで作ったら、父が商品にするよう進言しただけなんです―!)

 ぼろを出さないよう、パニックになりながらも丁寧に答えるアリスティアだが、クーデレのはずの攻略対象であるグリッドが、リボンをつけた可愛いくまの髪飾りを指でつまみ、まじまじといろんな角度から見、頬を赤く染めていることに気付いた。

(そういえばグリッド様は、可愛いもの好きという設定があったわね)

 それでは、と、アリスティアはグリッドに微笑んだ。

「よろしければ、そちら、今日の記念に貰ってくださいませんか」

「いいのか!?」

 食い気味に、椅子から腰を少し浮かせてそう言ったグリッドは、アリスティアと目が合うと、ひとつ、小さく咳払いして席に座り、それから恥ずかしそうに目を伏せ、ちらりと彼女を見た。

「……いや、申し訳ない。君が、頑張って作ったものだろう?」

「グリッド様が気に入ってくださったのでしたら、貰ってくださると嬉しいですわ」

「そうか……いや、うん」

 クマと私を小さく見返し、何度もそれを繰り返した後、グリッドは花が綻ぶように笑った。

「ありがとう、大切にする」

「私こそ、気に入ってくださって嬉しいですわ」

(よっしゃ! 推しの貴重な幼少期の笑顔GETーーっ! この後、婚約者として定期的で無難な茶会交流しかなくなっても、先程の笑顔を思い出を胸に、安心してモブに嫁げますー!)

 心の中でガッツポーズをしながら、アリスティアはクマを嬉しそうに見つめているグリッドを見守る。

 こうして、推しとファンの、初めてのファンサ……ではなく、婚約者同士のお茶会は、平和に幕を閉じた……はずだった。

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