アンステーブル

黒月水羽

第1話

 世の中にはやけに光って見える奴がいる。好きな相手は輝いて見える。なんて言うけど、好きとか嫌いとか関係なく、人の目を惹き寄せるような奴がいる。

 宝石だとか、夜を照らす月だとか。そんな風にアイツを表現した奴がいた。俺から言わせると夜の街灯だ。今日もブンブン飛び回る虫が、これでもかと群がっている。


 たしかにアイツは線が細く、目は大きくて睫毛が長く、唇は小さい。鼻は高くて色白で、黄金比率というのだとうちのオカンと姉貴が鼻息荒く語っていた。

 俺もアイツの顔は整っていると思う。理想的な顔だと姉は憧れていたが、この現状を見せてやりたい。四六時中、年齢性別問わずに群がられる生活を見て、同じ顔になりたいとは口が裂けても言えないはずだ。


「ヒカリ! 遊び行こーぜ」


 俺が声を掛けると夜の街灯ならぬ、俺の幼馴染のヒカリは顔を輝かせた。なんとか引き留めようとする虫たちの間から抜け出して、俺のもとまで走ってくる。

 ヒカリがそばまで来たのを確認してから、ヒカリの机に群がっていた虫たちを睨みつける。俺の顔は怖いらしいので、効果は抜群だ。だいたいの奴は怯んで、そそくさといなくなった。


「ユウくんだけ、いつもずるい! 私だってヒカリくんと遊びたいのに!」


 共有だった膝丈短パンから、スカートに変わった姫香ひめかが唇をとがらせる。この間まで、自分たちと同じ中性的な声だった。体だって某人形みたいに凹凸がなかったのに、すっかり女になっている。性別が決まる前から髪を伸ばしていたし、口調や仕草もそうだったから驚かなかったが、あまりにも言動が女らしくて嫌になる。


 姫香は女になる前からヒカリが好きだった。だからヒカリには男になってもらいたいんだ。男になったヒカリはカッコいいだろうけど、その隣に姫香がいることを想像すると胸がムカムカする。


「そうだ。お前ばっかり、いつもヒカリちゃんと遊んでずるいぞ!」


 姫香に便乗するように騒いだのは大晴たいせい。ちゃん付けにヒカリの顔が歪んだのにも気づかない、空気の読めない迷惑男である。

 こちらは男になったから、ヒカリには女になってほしいんだろう。今でも目を惹く美人だ。女になったら可愛いに違いない。それを妄想するのは自由だが、女になってもヒカリはお前なんか眼中にないとなぜ分からない。


 そもそも、性別が決まっていない相手をちゃん付けするのはマナー違反だ。性別選択を強要するのは、性別選択の自由とかいう法律に引っかかるということも知らないバカなのか。

 言い返してもよかったが、俺は二人がもっと嫌がる方法を知っている。俺の背に隠れているヒカリを振り返って、わざと大きな声で聞いた。


「ヒカリ、俺と姫香と大晴、誰がいい?」

「ユウ!」


 ヒカリは悩まず即答。俺は二人にドヤ顔を向ける。二人からしたらさぞかし腹のたつ顔だっただろう。大晴は怒りで顔が真っ赤だったし、姫香は唇を噛み締めていた。まさに鬼の形相だ。


「ヒカリ、行くぞ」


 そういってヒカリの手を引いて歩き出す。ヒカリは嬉しそうな顔をしながらついてきた。隣の家が飼っているゴールデンレトリバーみたいだ。撫でてやると尻尾をブンブンふって笑う、可愛いやつなのだ。


 そう思ったらヒカリの事も撫でたくなって、柔らかい髪をぐちゃぐちゃと混ぜた。ヒカリがなんとも言えない間抜けな声を出す。その声は中間。姫香のように高くなく、大晴のように低くもない。

 まだ、男にも女にもなっていない声だ。

 その声がヒカリから聞こえることに安堵した。自分の声もまだ、高くもなければ低くもない。体だって棒人間みたいに凹凸がない。


 教室を見回すとそんな奴らがいっぱいいた。その中に、男と女が混じっている。まだ五月だから無性の方が多いけど、高校生になる頃にはほとんどの子供は性別が決まっている。


 目の前にいるヒカリもどちらかを選ぶんだろう。どちらを選んだとしてもヒカリはいろんな人に好かれるに違いない。


「ユウ?」


 動かなくなった俺にヒカリが不思議そうな顔をした。身長は同じくらい。パッチリした瞳がよく見える。これが変わってしまうのは勿体ないなと思いながら、俺は「何でもない」といって、ヒカリの手を引いた。



※※※



 昔、人間は生まれた時から性別が決まっていたらしい。おかげで体と心の性別が一致しないなんて、不具合が起きることもあったんだとか。今じゃ想像出来ない世界だ。


 人間の性が不安定になった原因はよく分かっていない。少子化、戦争、環境汚染。いろんな事が積み重なった結果だと偉い人はいっているらしい。大きな環境変化に対応しきれず、滅びかけた人類は生き残るために進化した。それが性別を環境に応じて変えることだったんだとか。

 難しい仕組みはよく分からないが、現代の人間は十五歳で自分の性別を選ぶ。男か、女。なりたい方になるのだ。


 俺は学校で貰ってきた「性別選択のススメ」という冊子を開く。男と女の違い、性別が決まったらしなければいけない手続き、気をつけなければいけないことなどが書かれている。写真やイラストが多いからなんとか頑張っているが、ページをめくる手がどんどん遅くなる。文字を読むのは苦手だ。しっかり読めと先生に名指しで注意されたが、正直読まなくていいんじゃないかと思う。


 リビングで冊子を意味もなくペラペラめくっていると、夕飯の買い出しに行っていたオカンが帰ってきた。「めずらしい、宿題でもしてるの」と失礼なことを言いながら、買い物袋をキッチン台において近づいてくる。

 面倒で冊子の表紙を見せると、「もうそんな時期なのね」と言いながら隣に座ってきた。相談に乗って欲しいなんて一言も言ってないのに、母親って生き物は時々やけに勘が良い。


「ユウは男の子を選ぶと思ってたけど、悩んでるの?」

「男を選ぶに決まってるだろ。俺が女になった姿、想像できるかよ」

「すごく勝ち気なお嬢さんになるでしょうね」


 オカンはそういいながらクスクス笑う。笑い事じゃないんだがと思いながら睨めば「ごめんって」と軽く俺の体を押した。


「ヒカリくんのこと?」


 何も言っていないのに、なんで母親という奴は子供の気持ちが分かるのだろう。俺は素直に頷くのが癪に障って何も答えなかった。それでもオカンには伝わったらしい。


「どっちになってもモテるでしょうね」

「男には女になれって言われてるし、女には男になれって言われてる」

「あらまあ、モテモテ」

「腹立つよな。ヒカリの気持ち無視して」


 自分と違う性別になってくれたら付き合えるから、学校の奴らは自分とは違う性別になってほしいとヒカリにいう。大人たちは「女になったらアイドルになれる」とか「男になったら俳優になれる」とか、自分の理想を押しつける。誰もヒカリの気持ちなんて考えてない。綺麗な生き物が、自分の理想の形になることを望んでいるのだ。

 なんて気持ち悪い。


「ユウはほんとにヒカリくんが好きね」

「違う。ヒカリが俺のこと好きなんだ」


 間髪言わずに答えるとオカンは苦笑した。「そういうことにしといてあげるわ」という台詞には言いたいことが沢山あるが、次に言われた問いで言い返せなかった。


「じゃあ、ユウは女の子になるの?」


 今度はすぐに答えられなかった。俺は男になるつもりなんだから、答えは「ならない」一択のはずなのに。ヒカリの顔が頭に浮かんだら、何も言うことが出来なかった。


「……まだ、ヒカリが男になるとは限らないし……」

「お母さんは、男になると思うな。ヒカリくん」


 何でそう思うのかと視線で問えば、オカンは世界の全てを知ってるみたいな顔で笑う。そのくせ何も教えてくれずに、わざとらしく「夕飯の準備しなきゃ」と言いながら立ち上がった。ふてくされた気持ちで冊子を睨み付けていると、髪をぐしゃぐしゃとかき乱される。


「まだ時間はあるんだから、真面目に考えなさい」


 文句を言う前に、オカンは立ち去っていった。買ってきた食材を冷蔵庫にしまって、夕飯の準備を始める気配がする。

 俺はテーブルの上に残された冊子を睨み付けた。


 時間はあると先生もいっていた。高校生になってから性別を選ぶ子もいるから焦らなくていい。大事な選択だからよくよく考えるように、そういった。

 でも、本当に時間はあるのだろうか。


 ユウが女を選んでくれたらいいのに。そう一瞬でも望んでしまった自分に腹が立って、俺は冊子をぐちゃぐちゃにするとゴミ箱に投げ入れた。オカンの「何してるの!?」という声が聞こえたけど、返事をせずにリビングを飛び出して、部屋に駆け込む。


 ベッドにダイブして、帰り際のヒカリを思い出した。まだどちらでもない、中性的な顔。ずっとそうであったらいいのに。性別なんて選ばないで、ずっと二人で一緒に、今と変わらず生きられればいいのに。


 姫香の女として男を見る媚びた顔と、大晴の男として女を見る緩んだ顔を思い出す。そんな顔、ヒカリに向けるなと怒鳴りつけたい気持ちになった。泣き虫だったヒカリの手を引いて歩いたのは俺だし、ずっと一緒にいたのも俺なのに、ヒカリの性別が決まったら俺の居場所は別の誰かにとって代わられる。そんなの許せない。だからといって、ヒカリが男を選んだとき、女を選ぶのも嫌だった。


「一生、無性でいいだろ」


 大人になんてならないまま、子供のままでもいいじゃないか。

 そうシーツを握りしめて、気を抜けば泣いてしまいそうなほどに震えた声で呟いたけれど、子供のままで居続けるなんて無理なんだと、バカな俺でも知っている。


 次の日学校に行くと、ヒカリは男になっていた。

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