世界異変の前日


 秋。小学校に入学して、夏休みも終わった後の二学期。私が通っていた小学校では、その時に遠足の行事があった。近くのちょっとした山にハイキング、という遠足だ。当時の私はそれが本当に楽しみだった。


「お弁当は明日……学習帳と、筆箱は入れた……。お菓子も、入ってる。三百円。ちょっとだけこえちゃったけど……」


 遠足の前日、私はリュックに必要なものを出しては入れてを繰り返して、念入りに準備をしていた。どれだけ楽しみにしているのか、と笑われるかもしれないけど、子供にとって遠足というのは一大行事なんだ。

 そうして準備をしていると、三歳の妹が私の側にとことこと歩いてきた。まだまだ小さくて、とてもかわいかった。


「ねーね。ねーね」

「ん? どうしたの、あーちゃん」


 私は妹をあーちゃんと呼んでいた。私にとっても、とてもかわいい妹だ。私が歩いていると、嬉しそうに私の後ろをついて歩いてきて、立ち止まったらぎゅっと抱きついてきて……。私を見上げて、にぱっと笑ってくれて。本当にとっても、かわいかった。


「おでかけ?」

「うん。明日はね、遠足に行くんだ」

「いきたい!」

「だーめ」


 当たり前だけど、妹と一緒に行くなんて許されるはずがない。みんながみんな、弟や妹を連れて行ったら、先生の負担がとんでもないことになるよ。


「むー」

「ごめんね。代わりにいま、たくさん遊んじゃおう」

「あい!」


 ちょこちょこ走ってきて、抱きついてきて。その後はあーちゃんと、お母さんに怒られてしまうまで一緒に遊んでいた。




 翌日に、遠足に出発、だったんだけど。


「ほら、あーちゃん、お姉ちゃんに行ってらっしゃいしましょう?」

「むー!」

「ははは。今日は何時にも増してべったりだな」


 遠足に向かう前。私はあーちゃんにひしっと抱きつかれていた。お母さんが困ったようにあーちゃんを撫でていて、お父さんはそんな私たち姉妹をにこやかに見守ってくれてる。そんなお父さんも仕事に行かないといけない時間だったはずだけど。


「あーちゃん、どうしたの?」

「いっちゃ、や」

「うーん……。こまるなあ。私も遠足に行きたいなあ」

「やー!」


 いやいやと首を振るあーちゃん。普段は聞き分けがいいから、ここまでだだっ子になるのは初めてで。私も両親も戸惑ったものだ。


「あーちゃん。帰ってきたらさ、一緒に遊ぼう? たくさん、たっくさん遊ぼう。それじゃあ、だめかな?」

「んぅ……。いっぱい?」

「うん。いっぱい遊ぼう。明日はお休みだから、明日もいっぱい。ね?」

「んぅ……」


 そこまで言って、あーちゃんはようやく私を離してくれた。最後に私がぎゅっと抱きしめて、あーちゃんはとことことお母さんの方へと歩いて行く。お母さんは苦笑いだ。


「本当にお姉ちゃん子になっちゃって……」

「私はかわいいからいいよ! ね、あーちゃん」

「ねー」


 意味はよく分かってないかもしれない。それでもころころとあーちゃんは笑っていた。


「それじゃあ……。行ってきます!」

「いってらっしゃい、気をつけてね」

「いってらっしゃい。みんなと仲良くな」


 両親が手を振ってくれて、そして最後に、


「ねーね、いてらさい」


 そう、あーちゃんが手を振ってくれて。


「あは。いってきまーす!」


 そうして私は、家を出たんだ。

 思えば。あーちゃんはその時から、もしかしたら何かを感じていたのかもしれない。子供っていうのは、不思議なところで勘が鋭いから。でも、今はもう、分からない。

 少なくとも。また遊ぶ、というあーちゃんとの小さな約束は、果たせなかった。

 今でも覚えてるよ。あーちゃんを抱きしめた時の温もりは。とても、とっても、温かかった。




 学校について、バスに乗って。目的地の公園は、バスで一時間走った先だ。そこにとても広い公園があって、入口から奥の広場までのんびり歩くことになってる。自然がたっぷりの公園で、ハイキングにちょうどいい場所だ。


「なぎさちゃん、楽しみだね!」

「うん! 楽しみ!」


 友達とそんな会話をした覚えがある。ただ、今となっては、顔も思い出せない友達だ。私は薄情なのかな。

 そうして。私たちは目的地の公園に……たどり着くことは、できなかった。

 三十分ほど走った頃だったと思う。突然、本当に突然、頭の中に声が響いた。


『初めまして。人間諸君。この声は届いているわね?』


 それは、不思議な声だった。高いような、低いような、男のような、女のような、老人のような、幼子のような……。どれでもあるしどれとも違う、不思議な声。

 耳に聞こえるのではなく、頭に直接話しかけられてる。そんな感じの声で、本当に不気味だった。


「な、なにこの声!」

「だれ!? だれなの!?」

「みんな、落ち着いて!」


 私だけの幻聴じゃないということは、みんなの反応を見れば分かった。全員に聞こえてる声だって。分かったところでどうしようもないのだけど。

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