俺の理想郷は

こむぎこちゃん

第1話

「どーもこんにちは! わたくし、写真の精でございまーすっ!」

 唐突に聞こえてきた声に、俺は思わずカメラを取り落としそうになった。

 ここは近所の砂浜。夕焼け空の下、彼女の明莉と二人きり……のはずなんだが。

「写真の、精?」

 眉をひそめながら声のした方を向くと、そこにはふわふわと浮かぶ何かがいた。

 ……夢? 幻?

 赤ちゃんのような体にくるくるの金髪。背中からは白い羽が生え、頭上にはわっかが浮いている。ぱっと見天使っぽいが、首からカメラを提げている。

 なんだ、こいつ。

「はい! 実はですね、今撮られた写真が、あなた様の二十四年間の人生で十万枚目の写真なのです!」

「はあ、そうですか……」

 普通に答えてから、ハッと気づく。

 こういうのって、俺しか見えないやつなんじゃないか?

 ヤバい、頭がおかしくなったと思われる。俺はこの後、明莉に――

 恐る恐る彼女の方を見ると。

「えーっ、十万枚目だって! すごいね、昔から写真ばっかとってたもんね!」

 とキラキラした目で俺のことを見てきた。

 なんだ、見えてるのか。

 変人認定されなかったことに、とりあえずホッと肩をなでおろす。

「ねえ、この子めっちゃかわいくない!?」

 写真の精とやらは明莉にきゃあきゃあ騒がれて、まんざらでもない様子だ。……マジで何しに出てきたんだよ。

「はっ、すみません! 本題をすっかり忘れておりました! わたくしたちは、二十五年間で十万枚の写真を撮られた方を、特別に、写真の中の世界へお連れしているのです!」

「写真の中の、世界?」

「そうでございます! お好きな写真を一枚お選びいただくと、その写真の中にあなた様が入れるのです!」

「へえー、すっごーい! それって、どんな写真でもいいの?」

 先にその言葉に反応したのは明莉。

 好奇心で目を輝かせて、写真の精にそう尋ねる。

「もちろん! たとえば雑誌の、浜辺で水着姿の美女たちの写真を選ぶと、一生海の家のような場所で美女たちに囲まれて暮らせるのです。まさに理想郷! あなた様だけのユートピア!」

 写真の精は両手をバッと挙げて、笑顔を浮かべた。

 その言葉に少し心を動かされる――おれも男だからな――が、少し引っかかる言い方と、何か裏のありそうな笑顔で、踏みとどまる。

「『一生』、あなた様『だけ』ってどういうことだ? そんなことをして、お前に何のメリットがある?」

「疑り深いですねー、そのままの意味ですよ。一度写真に入れば、一生をそこで過ごすことになります。あと、写真の中に入れるのは、あなた様ご自身のみです。明莉様は十万枚目の被写体ということでわたくしの姿は見えますが、写真の中へ一緒にお入りいただくことはできません」

「え、それって、離れ離れになっちゃうってこと……?」

 さっきまでの興奮から覚めたように、明莉が戸惑った声で言う。

 ……そんなことだろうと思った。

「そうですよ。でも、ご安心ください! この現実世界では、写真の中に入った方の存在は、なかったことになるのです! 寂しいと感じることなんてありません!」

 笑顔でそう告げる写真の精。

「わたくしたちは、写真の中に入った方の幸せな気持ちを集めているだけです。あなた様が幸せになれば、わたくしはそれで十分なのです」

 そう言って、写真の精はニコリと笑う。

「どうです、すばらしいでしょう! あなた様は、どの写真に――」

「いや、入らない」

「えっ、なぜです!? こんな機会、二度とありませんよ!」

 あわてたように俺の周りを飛び回る写真の精。俺はそいつを気にせず、ゆっくりと明莉の方に顔を向けた。

「俺にとっては、明莉のいる世界がユートピアなんだよ」

「え……?」

「保証された幸せなんかいらない。俺は明莉と二人で……幸せを、築いていきたいんだ」

 こんな形で言うはずじゃなかったんだけどな。

 顔が熱くなる俺とは反対に、首をかしげる明莉。

 ……まったく。相変わらず鈍感な奴だ。

「俺は、結婚してくれって、言ったんだよ」

 そう言いながら、俺は驚きで目を丸くする明莉に向かってカメラを構える。

「あ、ちょ、待っ――」

 写真の精の慌てた様子を見て、内心ニヤリと笑う。

 やっぱりな。こいつは、十万枚を超えれば消えるんだ。

 カシャッとカメラが音を立てると同時に、写真の精の姿はふっと消えた。

 急に静かになった浜辺に、波の音だけが響く。

「……返事、欲しいんだけど」

 カメラを下ろして、まっすぐに明莉を見つめる。

 彼女の顔が赤いのは、夕日のせいなのか何なのか。

 でも、

「よろこんで……!」

 そう言って笑った顔は夕日よりもまぶしくて。

 その笑顔を見られただけで、俺は幸せだった。

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