第4話

 最初の事件の被害者の名前は黒田 敬一。彼は田村教授の長年の友人であり、遺跡の調査に協力していた考古学者だった。彼の死因は頭部への鈍器による打撃で、即死だったと判断される。死亡推定時刻は午後2時とされている。


 美咲はタイムマシンで様々な時代に出かけた。

 地域は関東の中心の一つとして発展する。市域南部の水海(水海城)は古河公方重臣・簗田氏の拠点となった。


 享徳の乱(享徳3年12月27日(1455年1月15日) - 文明14年11月27日(1483年1月6日))享徳の乱は、関東地方における戦国時代の始まりと位置付けられている。


 近世(江戸時代)

古河藩が設置され古河城が藩庁となった。現在の市域西部を日光街道(日光道中)が南北に貫き、古河城下(元の古河)に古河宿、中田に中田宿が設けられた。一方、市域東部では日光東往還(日光東街道)が縦断し、谷貝宿・仁連宿・諸川宿が設けられた。

 古河藩領は、現在の市域を含む下総国北西部、および隣接する下野国南部、武蔵国北東部にまたがって形成され、当時の古河城下(現在の市域西部)は古河藩領の中心にあった。しかし近代以降に旧藩領は県境によって分断され、三方を他県域に囲まれた県最西端の町になる。なお現在の市域東部には、古河藩に含まれなかった地域も多かった。例えば、諸川宿・仁連宿は壬生藩領から天領(幕府直轄地)、谷貝宿は関宿藩領である。

 歴代古河藩主においては、大老2人(土井利勝、堀田正俊)のほか、老中や京都所司代などにつくものも多い、有力譜代藩であった。

 1832年:古河藩第十一代藩主である土井利位が、日本初の雪の結晶に関する観察図鑑『雪華図説』を出版した。


「父さんは一体誰に殺されたんだ?」

 健は頭を抱えた。彼は黒田敬一の息子だ。

 第1の事件は烈によって解決したが、烈は警察に通報せず山田から1000万を受け取り真実を闇に葬った。


 烈は様々な史跡を巡った。

 

 古河城址

 曲亭馬琴(滝沢馬琴)作の読本南総里見八犬伝の芳流閣の元とも言われる。

 大半は川に水没。城門(古河市の文化財)、古河城文庫蔵、乾蔵(共に国の登録有形文化財)が移築現存している。


 古河公方館跡(茨城県指定史跡)

古河総合公園内。御所沼などが復元されている。足利義氏の墓所があるが、何者かに破壊される事件があった。


 雀神社

旧古河町の総鎮守である。

 

 頼政神社

 祭神は源頼政。もとは古河城南端の頼政曲輪にあったが、渡良瀬川改修工事の際に城北西端の土塁上に移転。


 長谷観音

古河公方・足利成氏が古河城の鬼門除けとして勧請。日本三大長谷観音を称する。

 

 正定寺

 江戸幕府の大老を務めた古河藩主・土井利勝の開基。土井家代々の菩提寺である。

 土井家は古河から鳥羽、唐津への転封を経たのち、再び古河に戻り、近世大名として最も長い期間、古河を国元とした。詳細は「正定寺 (古河市大手町)」参照。なお、古河市下大野にある同名の正定寺も土井家に保護されていた。


 鮭延寺

 最上義光を支えた有力武将鮭延秀綱のために建立された寺。この歴史的な縁により古河市(旧総和町)と真室川町が姉妹都市となった。熊沢蕃山の墓もある。


 葛城烈と美咲は、調査の合間に古河の名物である「鮒の甘露煮」を試すことにした。しかし、烈はこれまで鮒の甘露煮を食べたことがなく、その独特な風味に驚いた。彼は一口食べた直後に吐き出してしまい、美咲に「これはちょっと無理だな」と笑いながら告白する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る